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たとえば法学部二年のM・Iは、次のように言う。

  私達は明治大学を、入学難の、逃避場として、来たものではない。
  過去の明治法律学校の名を聞き、現代に於ける、幾多の他校には
  及びも付かない名教授、の名を聞いて、遙々、集ったものである。

  而るに何ぞ、明治の対外価値が官立のそれに比し、
  遙かに、低く比価されているのみならず、入学前までは、
  眼中にさへ無き、他の二三の私立大学よりも、
  低く比価されなければならぬと聞いては、驚きの言葉さえない。

  私達が彼等より勉強しないと言ふのか、彼等よりも・・・

  (「畏友達よ奮起せよ」、昭和四年六月一日)

「二三の私立大学」とは早大・慶大とこの頃に躍進が目覚しい中央大学であろう。
また、富田稔(専門部法科一年)も次のように言う。

  私が入学してから一ヶ月許りのことだつた。私は四一講堂で何気なしに
  机の楽書に気が付いた。そこにこういふ言葉があつた、

  「祝三流大学入学」

  私は愕然とした、(略)少くとも私には意外だつた、私は思はず涙が出た、
  何といふことだ、(略)此れはくだらない一人の怠け者が書いたのだ。
  こんなことを気にしちやいけない。然し他の人達と交はつて居る中に
  この様な間違つた気持ちを持つた人が多数在ることを知つた。

  (「新入生よしつかりしろ」、昭和九年六月三〇日)

(出典:『明治大学百年史』 第四巻 通史編U、176-177ページ)