じゃあ大半の入試現代文では何が聞かれているのかというと、おおざっぱだが端的な言い方をすると、
書き手側の文章の書き方がわかっているかどうかということなんだよ。読み手としてそれを理解して読んでいるかということだな。

ただし、書き手といっても、個別具体的な書き手、山羊小母なら馬場あき子だっけか、を言っているのではない。
抽象化された書き手が想定されている。「日本語の運用能力の高い書き手がこの課題文を書きました」ってことを
前提として答えてね、ってことね。

この試験でなにがわかるのかっていうと、解答者が日本語の運用についてどういう知識をもっているかということやね。