テレビ番組「天皇の料理番」に出て来る明治37年当時の日本大学法律科は
昼間の東大法科、夜間の日大法科と云われ
質も上々だったようです。

埼玉のイモねーちゃんの通うMARCHや、関関同立との違いは
日大法科には実績があることです。MARCHが腰を抜かすぐらいの実績がね。

大正10年10月15日に発行された日大新聞創刊号の記事を紹介します。
在学生も通過せる半検事弁護士試験
本学出身の合格者55名 優秀なる此の成績を見よ・・・

 半検事弁護士試験の結果は、此の程発表されたが例の如く
本学出身者の成績は、非常に良好である。
半検事試験に於いては首席より3番まであい並んで本学の占める所となり
6番9番も同様。したがって10番以内の合格者、本学出身者は其の半ばを
領している。
 
 弁護士の方は2番より4番まで、7番より9番までこれ又本学出身者の占める所
10番以内の合格者6名は本学。
合格者数は半検事十名。弁護士45名。其のうち古野徳、小黒善蔵両氏は、
両方とも同時に合格し、また山田寛、宮崎巌雄、軸原宿一の3君は在学中である。


◆ 天下の東京帝国大学法学部が日大法科に完敗する時代がありました。
  頭のよさそうな人を見かけたらそれは日大法科の学生さんです。