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 さらにChange.orgの求めに応じて昌子さんが28日に出したコメントを以下に紹介する。

「安倍首相、麻生大臣にこの声が届くと思います」
 この署名に賛同してくださった方、またスマホやパソコンをお持ちでない方からも沢山の応援の声をいただいています。お礼と感謝を申し上げます。
 夫がもがき苦しんで自死を選ぶことになった真相を知りたいです。
 きっと安倍首相、麻生大臣にこの声が届くと思います。
 今日(28日)は54歳で亡くなった夫の誕生日です。
 最高のプレゼントを皆さんからいただきました。
 本当にありがとうございます。

赤木昌子さんの感謝のメッセージはChange.orgの募集ページにも掲載されている(撮影・相澤冬樹)

■手記公開と提訴を3月にしたかったわけ
 そう、きのう3月28日は赤木俊夫さんの誕生日。本来ならこの日、57歳になったはずだった。私と同い年、同じ学年だ。
 その日、私は赤木さんの自宅を訪れ、祭壇の写真の前にチョコレートを捧げた。そこにはすでに小さなケーキが供えられていた。

「誕生日はいつもトッちゃん(俊夫さんのこと)の好きな料理を作って二人でお祝いしたんですよ。
私の誕生日もすぐ近く(3月22日)だから、二人一緒のお誕生会。自宅で、ケーキも買ってきて。もうできないけど…」

写真の前に誕生日のケーキと週刊文春を供える(撮影・相澤冬樹)
https://rpr.c.yimg.jp/im_siggaOten4AErsTXakhy15eP3g---x800-n1/amd/20200329-00170272-roupeiro-002-16-view.jpg

 昌子さんが俊夫さんの手記を公開し、国と佐川宣寿元財務省理財局長を相手に裁判を起こしたのは3月18日。
この時期を選んだのは、実は深い理由があった。
3月7日が俊夫さんの三回忌、22日が自分の誕生日、そして28日が俊夫さんの誕生日。昌子さんにとって、俊夫さんと二人にとって、
大切な日が続く3月に、どうしても手記公開と提訴をしたかったのだ。