今じゃ考えられない昭和の生活◆94
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ちょっと前のことなのに、今じゃ考えられないことをしてた・・・みたいなことありますよね。
都会だけど鍵を開けたまま寝てた、とか。
若い人には信じられない、古い人にもそうだったなぁ・・・と思わせるような事。
そういう事実を書いてください!
基本的に、特に皆さんがよくご存知の昭和に限定させていただきます。
マタ〜リと参りましょう。
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【前スレ】
今じゃ考えられない昭和の生活◆92(実質93)
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/kankon/1547177303/ >>712
思い出した
昔のウメボシと言えば塩の結晶が周りに付いてるのが多かったわ
そしてそれごと食べてた >>713
食費に余裕がある家ではバター多用、並み以下の家ではマーガリン多用だったのでは?
お宅がバターごはん食べてるときに、マーガリンごはんだった家もありそう。 バターとマーガリンの区別がつかないガキんちょだったので、バターラーメンのつもりでマーガリンを入れて
えらい目に遭いました… バターは銀紙に包まれて紙箱に入ってて親が料理(ケーキとか)に使うもの、マーガリンはプラケースに入っててパンやふかし芋などに塗るなど普段使いするもの
…という認識だった。
そしてどちらも「バター」と呼んでた。特別なことがない限り普段使うのは後者なので、両者を区別する必要がなかったので。 >>718
ソフトタイプのマーガリンが普及するまえは、マーガリンも銀紙に包まれてたよ。
小学校の給食は、そのソフトタイプじゃないマーガリン8g銀紙個包装が出て、冬場はしっかり固まってたけど夏場は紙をひらくとねっちょねちょだったな。 我が家ではパン食を滅多にしないので、小学校入学後、はじめてマーガリンというものに出会った。
ビニールの溶けたような匂いのものをトーストしてないパンにベタべベタ塗りたくってバクバク食べる級友が信じられなかった。
バターの代替になんかならないまったくの別物だよ。 バターの原材料を見てみたら、生乳と食塩としか書いてないもんね。
マーガリンの原材料を見たらびっくりして、買う気が全くなくなった。 >>717
味の素提供の「ごちそうさま」では、バターは絶対に使わず、自社のマーガリンである「マリーナ」(マリームじゃないよ!・現在は販売終了)でホワイトソース等を作っていた。 しかも、ソフトタイプとか今出回っているネオソフトとか多くの国民がマーガリンだと思っている物は、マーガリンですらない「ファットスプレッド」。
いわば第三のバター。
イミテーションビールに発泡酒とかリキュール類って書いてあるように、ちゃんと箱の表面に書いてあるし、JAS上もマーガリン“類”というもの。
CMなどでもマーガリンだとは一言もいっていない。 >>723
そもそものマーガリンは、ちゃんと牛脂と乳製品で出来てたという。 バターで思い出すのは安いケーキに使われていたバタークリーム
バタークリームのケーキしか食べたことなかったから
大人になるまでケーキは嫌いだった 身内が留学してたトロントあたりでは、VAT(消費税的なヤツ)がバターは軽減税率、マーガリンは一般税率だった。
なんとなく、そういうことなのかな…と。 >>725
家がケーキ屋だった子の話があったけど、あれはバターからじゃなくて、ショートニングかなにかの安い植物油脂から作るといっていた。
バタークリームって耳新しい言葉が広まったとき、
生クリームじゃない=バタークリームて誤った認識が広まってしまった。
安く作るための代替品なのに、本物のバターなんか使ってる訳がないと思っていた。 >>727
町からやって来た若奥様が、本物のバターを使った手製のバタークリームケーキを御馳走して下さって、
たいへんおいしゅうございました。 >>727
>>729
まあ確かにそうだわね
バター入れて高くしてどうするw
本物のバタークリームは美味しいんだろうな食べたことないけど 素人の者だけど、音符やコードの上がり下がりみたいなパターンには限りがあるから
似たような曲調になってしまうんじゃないの?
自分は80年代のハイエナジーとか、いわゆるディスコソングが好きなんだけど、
それもこれも似たような曲なんだが、ハイエナジーならではの独特なフレーズが
好きだから似たような曲でも違和感なく親しめるんだよね。逆に、最近リリースする曲
も、あえてそぅいうフレーズをマネて出す曲もあるくらいだし。 みんな贅沢だなあ。
あの頃はたいしたケーキもなかったし、洋風の菓子なんて他には殆ど食べないから、バタークリームのケーキも俺にとっては目茶苦茶旨いものだったぞ。 >>722
いや、普段食べてるお菓子が黒棒かりんとうどら焼きだから、バタークリームケーキがもの凄くしつこい味と感じたという
人だっているの。
あと、シスコやフルタの準チョコも普段のお菓子。 >>733
アンカー間違ってるよ。
722は「ごちそうさま」とマリーナの話。
>>732
俺も地方のまち住まい(市ではあったが)だったので、不二家の支店ができるまで、ケーキなんてクリスマスくらいしか食べられないものだったから、
生クリームかなんて考えずにごちそうだと思って食ってたよ。
菓子パンで、コッペパンに切れ込みをいれてチェリーを模した小粒のゼリーも入ったクリームサンド?とか。それでもクリームパンとは別物のごちそうだったな。
それまでの親戚とかの手土産は、たい焼きやみたらし団子ばかりで正直飽き飽きしていた。
あと、クリームといえば、デパートの大食堂や喫茶店に連れていってもらったときのチョコレートパフェ。
クリームや液体のチョコレートってどこで売ってるんだろう、とか素人には売ってくれない(販売単位が巨大)と思っていた。
レギュラーコーヒー(豆)も喫茶店、プロ専用。
個人経営の食料品店ばかりだから、売ってなかった。
40年代。 >>733
親が買ってきて家に常備されるお菓子は、煎餅やかりん糖、甘納豆とかの豆菓子とか自分等が親しんでたと思われるものばかり。リクエストを聞かれることもなかった。
子供界に流行があることも関心がなかった感じ。
10円玉持って駄菓子屋にいってた頃、ポッキーは70円、アーモンドチョコ(一個一個包んであってスライド式に出てくるやつ)は100円か150円してて、子供の小遣いでは絶対買えなかった。 >>735
未就学児時代の自分で自由になるお金の最高金額は一回20円。
それを週5日前後。
月換算で300〜400円というところだったかな?
当然、まとめて400円なんてもらったことはない。 昭和の朝食と言えばお味噌汁のお椀がツツツツと滑って動いたけど最近は滑らんな
なんでだろ? >>623
♪花、太陽、雨〜
「帰ってきたウルトラマン」を思い出すというか、それしか思い出さないorzスンマセン
手元のBGM集にもちゃんと収録されてるよ。 >>737
お前ん家、物理的に傾いてたんじゃないの? >>736
その年頃で制限付きとは言え、お金を使う・使わせるなど有り得んかった
しかも頻度が高い。凄い贅沢をしてたんだな >>737
テーブルが濡れてたんだろ
お椀の糸尻(いとじり)の中の空気が味噌汁で温められて膨張して、お椀が浮き上がって水の上を滑るんだ とんがりコーンでスチュワーデス物語の
片平なぎさの義手のマネをしていた >>741
その理屈は知ってるんだけど、最近見ないなーと思ってさ
昔は家でも食堂でもツツツツと動いていた記憶がある
一般的なテーブルの天板の素材が変わったとか?
そういや昔はツルツルだったようなイメージがある 昔は家の断熱性も今ほど高くなくて冬場の室温が低く、その温度差がお椀を持ち上げる効果を高めていたんじゃないかと。 >>744
おおお、理論的な推察ありがとう
確かに家の中でも冬はしっかりと寒かったな
今は真冬でもセーターなど着ないわ >>743
メラミンとかデコラとかのツルツル素材は最近見ないね >>740
未就学児に自由に使えるお金を与えるかとか駄菓子屋に行かせるかは、その家によって考え方に差があると思います。
当時仲良しだった自衛官の家の子(5歳くらい年上の姉がいた)は、週に何度かは判りませんが、自由になる限度額が50円
でした。
20円が限度額だと、ジューCも買えないし、レインボーマンガムも板ガムは買えても、ボンボンガムは無理でした。
20円のお小遣いを貯めるという知恵が無かった。んぎぎぎぎぃ。 昭和の時代のバーや居酒屋で出て来るつまみといえば
ナッツ類や、サラミ・チーズ等のカナッペ、ピクルスなどが主流で
料理と言えるものはせいぜいソーセージを焼いたものとか枝豆、
オイルサーディンをレタスに添えたり、くらい
それが徐々に家庭料理っぽくなってきて
出汁巻き卵、かぶの梅しそ和えとか、どて焼き、貝の酒蒸し
焼きおにぎり、煮込みうどん、揚げ出汁豆腐、炊き込みご飯等が登場
食材もあさりとかタケノコとか菜の花みたいに旬のもの使うように
どうも家庭料理ってやつが洋食にシフトしていって
さらに核家族が増えて「おふくろの味」を求めたサラリーマンを
引き寄せるための作戦が、このラインナップなんだそうな
時代の流れだね >>748
レーズンバターというとんでもないつまみもあったよね 二十数年前に京都で会社やってる社長さんに
会員制のこぢんまりした老舗バーに連れて行ってもらったことがあるけど
寡黙で黒っぽいワンピース姿の格好いいお婆さんが一人でバーテンやってて
カウンター内の流し以外調理スペースらしいものは無くて
おつまみは乾き物だけというものすごくシンプルで趣のある店だったな
確か河原町駅近辺の四条通沿いだったと思うけど今でもお店残ってるだろうか >>752 平成だと思うよ もうその頃は
ごめん途中で送信しちゃった 昭和から続く老舗バーの話のつもりだったんだけど
わかりづらくてごめんね スレタイには沿ってないけど、そういうところは永く続いてほしいね >>748
昭和の時代ってそれ40年より前だろ
50年代後半はファミレス、居酒屋チェーンも出来始めて、そんなにメニューも貧しいってほどじゃなくいまとそんなに変わらなかった(冷凍食が普及前だから) デンカ
「河原町駅近辺の四条通沿い」だけかぁ・・・
ボス
「チョーさん、ゴリ!悪いがその辺しらみつぶしに当たってくれ!」 本気で検索してみたら見つけた〜
記憶違いごめん、河原町じゃなくて祇園方面だったわ
確か相当古いバーと聞いていたけど、昭和どころか大正末期からの創業でした >>757
改めて思い出すと「太陽に吠えろ」って警視庁じゃなくて所轄だったんだな
警視庁と合同捜査本部が設置された場合はボスもこき使われてたんだろうか フィクサーで有名な福本邦雄は秘書官をつとめていたころ椎名悦三郎と赤城宗徳に自衛隊出動について反対した。 >>759
ボスって偉そうにしてるけど、階級は警部補の係長だからね >>761
警部でもなかったのか
所轄の警部補の係長ならもっと外出て聞き周りとかするよね >>762
石原裕次郎が「お前の好きなようにしろ」と言うと、「責任は俺がとるからお前が最善と思う捜査をしろ」と聞こえた
奈良岡朋子だと「もう知らないから勝手にすれば?」と聞こえた不思議 アンケスレで出てたけど、昭和〜平成歌謡史に基づいた○○世代って
○
美空ひばり世代
○
3人娘世代
○
百恵ちゃん世代
○
聖子ちゃん世代
○
モームス世代
○
AKB世代
○
この「○」に入るのって何だろう?それともこれだけかな? >>759
いまの警察モノって警察組織の闇とか内部闘争とか話がデカイから、舞台は警視庁、主人公は警察の闇を知っていてトップから腫れ物扱いのはぐれキャリア、または叩き上げエリートの捜査一課ってのがお約束
所轄が扱う万引、コソ泥、カツアゲとか細々としたケチな事件ではドラマにならないってことかな
警察モノで交通ものって無いのかね
ウケないか… >>768
最近は変則的なドラマも出てきたけどね
「警視庁生き物係」とか「メゾンドポリス」とか結構面白かった >>768
警察物で交通物となると主人公は女性警官しか思い浮かばない… >>756
そうだな、比較的近い昭和の「居酒屋」というとオレのイメージだと養老の滝とかだしw
>>748のメニューだとバーや居酒屋と言うか、スナックとかもっと低所得向けな飲み屋のイメージか。
昔から家庭料理のメニューも多い酒の飲めるところというと比較的安価な割烹料理店(料亭ほどじゃない)とか
小料理屋じゃないかな。部課長クラスが主任やヒラ連れて行くようなところw? 漫画だけどブラッディエンジェルズ、逮捕しちゃうぞは交通課だったけど、ご指摘通り女性だ
男性交通課も出てくる作品だとハコヅメがある
元警察感が描いてるだけに祭りの警備や巡回、呼び出されていったら暇なおばあちゃん、と起こる事件は身近
あらゆる業界ぶっちぎってブラックっぷりも惜しげもなく描いてる 長野県警謹製、けいさつのおにーさん なんてのがある
男性二人、交番勤務だな 「ボス!やおい町2丁目でコロシです!」とか言うと腐女子が喜びそう >>774
それ、ブラックエンジェルスや、ブラッディは地元暴走族の影のアイドルやで。 ああ、あれは名作ラブコメやった。
猫から進化した人間たちのワチャワチャラブコメで
終盤主人公が両親とともにアメリカ連れていかれそうになるのを、周りがなんとか引き留める
いい話やった。 知っている限りでは
警察モノの捜査会議で現在のような大会議室、
本署と所轄、刑事同士の肉体的、精神的な諍いがはっきりと描写映像化されたのは
1995年の映画「マークスの山」が最初だと思う。 川俣軍司は当時29歳という
「銭形警部28歳」並の驚き。 >>768
交通課じゃないけど、万引きやコソ泥追っかける刑事ものなら
「ドロ刑」があるじゃん
漫画だけど去年ドラマになった >>782
母ちゃんは必ずブリーフを買って与える
体育時にからかわれて自分で買うと言い出す スポーツの時は、トランクスだと睾丸捻転症を引き起こすの。
つか今のボクサーブリーフって、完全に色付き猿股じゃん。
結局色々やってみて、昔のが一番だったってことだね。 >>783
知らなかった…リアルタイムで見てたのに >>790
関西以西じゃないと通販でしか買えないんだよねえ テレビ東京のものまね番組みていたら塾の先生をやってる青年がSteven WonderのI just called to say I Love Youを歌いチャンピオンに選ばれた。
その青年の名は中西保志 >>793
スティーヴィー・ワンダーね。
彼がライオネル・リッチー・マイケル・ジャクソンのものまねをしてWe are the World を歌ったのをみて
「上手い」と思った。 >>279
コンサートでレインボーの歌をカバーしていた。 あいみょんの RING DING という曲の歌詞で
「今日はうちにいて映画でも観なよ」ってのがあるけど
昭和50年代までは、自宅で映画鑑賞なんて夢のまた夢だったな
VHSが普及してもコンテンツが高かったし(映画1本2万円とか) >>799
そういやビデオデッキが爆発的に売れたのも
家電屋が内緒で裏ビデオを付けたからという説もあったな >>798
名画座というか、古い映画専門の映画館があった。
ぴあに、50音順の映画タイトル目次があって、情報集めて電車でわざわざ見に行ったりしてたな。 >>800
ホントの話
家電屋はその手のビデオをいっぱい持ってた
新しいハードが出始めのときは無茶苦茶高いからなにか強い動機付けがないと売れない
レーザーディスクもそうだった >>801
あったなー
レンタルビデオなんてなかった頃にどうしても観たい映画があって
隔週にぴあが出るたびにあのページをわくわくしながら探すんだけど全然なくて
やっと見つけたと思ったら2つ向こうの県だったり
でも最近になってネットで簡単に観られるようになったから
片っ端から観たけどつまらないのなんの >>802
ホントだったのか
当時はまだ高額商品の購入決定権は父親が持ってたから
いい戦略だったんだろうね いまでも白物家電(家事に使うもの)以外の高額家電はオッサン受けしないと売れない
高額家電のほとんどはなくても困らない付加機能で高い値札を付けてるから男にしか訴求力がない
ちょうどフェラーリ、ベントレーなど高額車のオーナーは男しかいないのと同じ 平成になると
エロチャンネルを見たいからスカパーを契約した。と言う都市伝説になる。
ちなみに主視聴者は鬼女 今の高額家電は逆だと思うけどな
パン焼くだけのトースター、吸引力だけの掃除機など
単機能でスタイリッシュで高いのが売れる
日本の機能なんでもつめ、というのは昭和の売り方だよね
それではもう売れない
だから家電メーカーがことごとくチャイナになってる 日本は家電メーカーが大企業病に罹っちゃったからなー
有名な話だとテレビ+ビデオでテレビデオという製品が各社から出たのに日立だけ出なかった
その理由はテレビ部門とビデオ部門がどちらも自部門の製品として売り出すと言って譲らなかったから
最近になって慌てていろんな機能付けてるけど、ほとんど無駄で意味なし
一方でテレビの番組表とか録画とかの根本的な機能は使い勝手が悪いまま 昭和末期親父の愛車は三菱・デリカ(初代)から
三菱・デリカスターワゴン(2代目)に買い換えた。 昭和の時代、髪を茶色や金髪に染めているのは不良であり
どこかへの反発心の表れであり、オシャレではなかった >>807
アイホンとか余計な機能ありまくりでしかもとんでもなく高いんですが 小さい頃、冬に葉物野菜と言えばキャベツと白菜だった
越冬用に玉で買って納屋に置いてあって、使う時に何枚か取りに行くのは子供の仕事だった
寒くて怖くて嫌だったなw
スーパーで葉物野菜を買うのは贅沢、冬は上記2種と根菜類、あとは塩漬けや干した山菜とか瓶詰めとかでひと冬過ごす
果物はりんごとミカンが各1箱。やっぱりスーパーで果物買うのは贅沢、つかそもそもスーパーだってミカンとりんごしか売ってない
それでもばあちゃんに言わせると、肉や魚を買えるようになっていい時代になったって、そんな時代
そして今、正月用のタケノコ瓶詰めの仕込みをする自分がいるw >>812
うちもこのあいだアイホンの機種変更したんだけれど、家の中から物音たてずに玄関先の様子を見れたり、留守中の訪問者の姿がカラーで見れたりと昭和と比べてずいぶん進化したなと思った。 関西に住んでた頃ヤン火(奈保子・嘉門さん)を聞いていた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています