今じゃ考えられない20世紀の生活
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ちょっと前のことなのに、今じゃ考えられないことをしてた・・・みたいなことありますよね。
都会だけど鍵を開けたまま寝てた、とか。
若い人には信じられない、古い人にもそうだったなぁ・・・と思わせるような事。
そういう事実を書いてください!
基本的に、特に皆さんがよくご存知の20世紀に限定させていただきます。
1900年代前半とかじゃなく、早くても第二次世界大戦が終わったぐらいから。
マタ〜リと参りましょう。 東京と大阪の関係性って
日本と韓国の関係性にそっくりだよね このスレに「大阪人嫌いな人」なんているっけ?
単に「大阪は田舎だ」という「事実」を述べてるだけのレスならいくつかあるけど カラーテレビはモントリオール五輪の時に買ってくれたと母親が言っていたな。 28年前西武球場でおこなわれた
サザンオールスターズのコンサートは家族と見に行った。
サックスの音色がよかった。 桑田佳祐さんのソロライブ見に行ったけど
持ち歌が少ないからサザンオールスターズの曲を歌っていた 近所、親戚、幼稚園の友達の家は昭和44年までに続々カラーテレビに買い換えられていて、45年末に16型のカラーテレビを導入した我が家は明らかに出遅れていた。
白黒テレビが壊れたついで。それまで何回も修理していたが、その時はなぜか修理にしなかった。
父親は毎晩のようにプロレスやナイターをみていたが、晩酌のおともにみられれば別に白黒でも構わないって感じだったな。
自家用車もあったし、俺にテープレコーダー(オープンリール)を買ってくれたりして決して貧乏な家じゃなかったはず。 マリンピアくろいのジャズフェスティバルは見に行ったけどフュージョンとジャズが楽しめてよかった。 >216
別にソロ曲だけでライブ構成できるくらいの曲数は充分あるよ
”Needs of Fan"って奴だろ LIVE TOUR '94 -さのさのさでミスブラのアコースティックverを日本武道館で聞いたけど、よかった。 >>199
吉田拓郎さんはLOVE LOVE LOVE 愛してるで
レギュラーメンバーとして出演した。 >>222
フジテレビは面白くなきゃテレビじゃない!、を合言葉に、受け手(視聴者)を楽しませるには、まず送り手の自分たちが心底、楽しまなきゃだめと言っていた
象徴的なのは、アドリブを一切許さず細部まで事前に作り込んでいたTBS「全員集合」が、出演者と裏方のスタッフが学芸会のノリで悪ふざけをし続けるフジの「ひょうきん族」に圧倒されたこと
でもその時の若手スタッフがいま、幹部クラスになっていまだに内輪ノリを見せると視聴者も喜ぶと思っているフシがあって、アナウンサーに有名人のこどもを縁故採用し続けている
フジのそういうところが嫌われてるって気付いてない >>221
それは大分後だよ
その頃には他のニューミュージックの人もテレビ拒否なんてしてなかったし
“ニューミュージック”なんて言葉自体が薄れてきていた
泉谷しげるなんかその頃当時を振り返って「自分はホントは出たかった。でも皆出ないから仕方なく」みたいな愚痴をなんかの番組で言ってたな 賞レースは嫌いだ。と言ってベストテンに出なくなったのは、郷ひろみだっけ? 郷ひろみ
自分の曲は全て好きだ、順位付けなど出来ないししたくない。という理由 岡林が全く出なかったからみんなテレビに出づらかったのかな 昭和の末期フジテレビの番組でオリエント急行88という列車をみた
テレビでJR東日本のSLや電気機関車が外国の寝台列車(日本製の台車に交換し編成内に電源車を連結)を牽引する姿をみて、「豪華な寝台列車があればいいのに」と思った。
翌年桜木町駅で寝台列車用の客車をみて、「オリエント急行みたいだ」と思った。 エスカレーションは昭和なら河合奈保子のヒット曲
平成ならともさかりえが歌った曲しかない。 >>168
ジャッキーと奈保子について
ワイドショーが取り上げていたな。 たけしのロボ村西とおる思い出す 吹越満のロボコップに対抗してたけしがやったネタ >>217
うちは早い時期からTVが2台あったが
ラジオ、レコードは無かったなぁ
なので兄弟(姉弟だが)でチャンネル権争いをしたことが無い。 テレビは回転式チャンネルでも、UHFはクリック感のないダイヤル式だったり、コンバーターを知ってる人も少なくなりました。60以上かな? >>235
俺はリアルタイムで知ってる=50代前半 >>1
下記のような知識・情報が得られる機会がなかったので大変だったと思います。
書き込みの紹介のみして立ち去りますが、
真面目な話、薬や医療も大事ですが、知識を知るだけでも救われることがあります。
一見、苦しみだらけのように思える事もある世界ですが、
少し長い目で見れば、誰の人生にも必ず救いがあります。
たとえば見かけのお金や財産は少なくても、
下記の69を知るだけで、人生の本当の完全な救いと、
我々に本来与えられている永遠の転生や無尽蔵の豊かさ、
そして損・遠回りしない生き方が《客観的な証拠付き》で分かります。
人生の完全救済の証明
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/psy/1514042708/69 テレビはダイヤル式とリモコンの間にボタン式あったよね
あれ寝っ転がって見てると起き上がるの面倒で足の指で押して親に叩かれたわ >>240
タッチちゃんねる登場前に、リモコンで回転式ちゃんねるをモーターで動かすヤツもあったぞ。
三洋ズバコン、ナショナルマジコン >三洋ズバコン、ナショナルマジコン
ネーミングセンスが何ともダサ味わい深くかわいくもあるな
アンメルツヨコヨコみたいなインパクト 人々のHITBIT。
松田聖子がイメキャラやってたMSX系パソコンのキャッチコピー。 >>243
ダジャレというか、あからさまなネーミングは三洋が特にひどくて、エアコンがひぇひぇだのレイダン(冷暖房)、Windowsパソコンがウインキー(win機)、
美〜撮るず(ビデオカメラ)、マルチーず(動画も撮れる多機能デジカメ)、テブラコード留守だの、聞いている方が恥ずかしくなる名前のオンパレードだった。
ここまでくると、オーディオ機器のブランドの「OTTO」(オットー)も「音」(オト)に引っ掻けたにちがいない。(Suicaのように音を先に決めて語源をこじつける)
いくら関西のメーカーだからって松下やシャープはここまでひどくなかった。 >>245
小林製薬の商売をジャマするようなこと言うなよw >>345
霧ヶ峰と静御前は大成功したネーミングだと思う 商品名なつかし〜霧ケ峰は今もあるよ、白くまくんもまだあるんだっけ?
からまん棒はCM曲もマンボだった
こうしてみると大型テレビの画王とか真っ当なネーミングだわ そこは三洋、画王のあとを追って発売したカラーテレビの商品名が
「帝王」 マネシタ電器が三洋ズバコンを真似して出した超音波式リモコンテレビ
pbs.twimg.com/media/DE0SI9BVoAANFQK?format=jpg
パナソニックのHPにも載っていない黒歴史扱いモデル。
“日本では超音波式リモコンがあったものの、音で誤作動する問題が多発。「マジコン」と呼ばれた赤外線リモコン搭載テレビはその問題を払拭した画期的な製品”と、自社の超音波式はまるでなかったことにされている。
panasonic.jp/viera/history/1970 やすし・きよしの漫才のネタに「イモコン」ってのがあったな
妹をこき使う妹コントロール
今のバラエティ番組、芸人は多いけど正統派漫才はほとんど見なくなったね >>96
彼は歌が上手かった。
日本武道館のコンサートは彼女と見に行った。
平成に入ってからも懐メロ系の番組に出演したり
ヒット曲を熱唱。 からまん棒からまるしな
何故か当時「洗濯ネットを使う」という発想が無かったので随分からまん棒には失望した >>257
商品はともかく、30年以上も前の広告なのに、古さを感じないな。
そのころ(昭和60年前後)に30年前の広告を見たら古くさくてたまらないだろう。 ビオレUのCM
JKと幼女の大胆入浴シーン
当時でさえ苦情来ないのかと心配になったが今でもネットで見られるから大丈夫だったのか?
今じゃ服着た田中圭が腕に擦り付けてるだけ >>257
彼女と小金沢昇司が ちょっとだけ秘密(デュエットソング)をCDを聞いたときテレビでみた記者会見を思い出した。
まさか彼女が「あの俳優と付き合っていたとはね。」と思った。 田村正和演じる古畑警部が
さんま演じる小清水弁護士を法廷で追い詰める
古畑警部が検事・裁判長・記録係の二人に水差しをみせた。
古畑警部「そうなんです。誰がどううみても水差しなんです。ところがこれを花瓶といった人間がいるんです。小清水先生 あなたですね。」
小清水弁護士は、「記憶にない」と
否定する
古畑警部はあるものを見せる 今泉さんの猫の名前が『おしゃまんべ』の話な
犯人=ゲスト・桃井かおりがDJ役で頭に洗面器をかぶった人の話のオチが今でも気になってる 三谷幸喜が手掛けるドラマはミッシングリンク
王様のレストランや振り返ればやつがいるやラヂオの時間に登場する人物が古畑任三郎に登場する >>267
少女漫画家だよ 『漫画』と言われるのが嫌いで「コミックです」と訂正する女 >>269
裁判で彼女の弁護をしていたのが
小清水弁護士 さすらい刑事旅情編は鉄道警察隊の刑事が活躍するドラマ
三浦洋一が主役を演じた。 「はぐれ刑事」シリーズに女性アイドル歌手が刑事役として出演
このときの彼女の演技を見た
通常ニコニコと笑顔で居ると思いきや、結構冷静な態度でしばしばスノッブな言葉を使った >>267
小説家はパクリ元の刑事コロンボ「死者のメッセージ」な >>168
彼女は友人である松田聖子さんと神田正輝さんの
結婚披露宴に友人代表として挨拶し聖子さんの思い出を語った。
10年後彼女はヘアメイクの男性と婚約し
二児の母となり豪州にすんでいる。 >>168
僕は「奈保子さんの大ファン」で奈保子さんが出演したテレビは録画したりラジオはきいていましたね。
コンサートも見に行きました。
奈保子さんは梶原しげるの本気でDONDON に出演した
とき作曲者の「公文健さん」の名前について梶原さんが
「学習塾の方ですか?」とボケていた。 フェルマーの最終定理がアンドリューワイルズに
よって証明された。 ウインスペクターでバイクル役の声優として
出演した篠田薫さんは太陽にほえろ!で
俳優として出演していた。 >>265
小清水弁護士「あんた司法試験うけなはれ」 >>223
ひょうきん族は笑い屋のこえがながれていた。 >>223
>面白くなきゃテレビじゃない!
それは否定しないけどね
面白さ=バカ笑い ここで思考が止まっている気がする。
日テレのT部長もそれに近い考えだったが
面白さ≠バカ笑い に気づき一線を引いたのは凄いと思う フジテレビと言えば27時間TV
日テレの黄色いTシャツ24時間TVに張り合ってるようだがボランティア番組ではない
完全なるバラエティーお祭り企画
にも拘らず第1回目に訪問募金詐欺が出没し局に問い合わせが来たことから
番組内で「募金活動はやっておりません」というお知らせが放送された
それを見たビートたけしがオールナイト日本で「みんなやってんだなww」と茶化した 某女性アイドル歌手がトーク番組でパジェロに乗っている話をして驚いた。 >>175
髪の毛を金髪に染めたのはジュリーが最初 146 名無しだョ!全員集合 2019/09/12(木) 20:44:18.03 ID:DRQThszz
https://pbs.twimg.com/media/DQGlU2xUQAEskWJ.jpg
記事形態からして1992年3月3週目の四国新聞朝刊・テレビウィークリーから。
同3月25日 フジ(OHK)「やまだかってないテレビ」最終回
山田邦子さん、KAN氏、永井真理子さんらを排出し、その後の「クイズヘキサゴン」につながる、
番組発ユニットを多く生み出す。
BS2(BS11)「N響楽団Bモードライブ」
BモードステレオというのはCD並みの高音質で、コンサート会場の臨場感を楽しめるといううたい文句だったが、
最近はそのBモードステレオ事態があまりないような気がする >>287
フジが、面白さ=バカ笑いってのはちょっと違うんでは
フジは面白さ=スタッフ・キャストの作り物じゃない内輪受けと捉えていた
画面の中で段取りや台本で考えられたコントではなく、キャストが心底ふざけて、笑っていれば視聴者も喜ぶ、と
とは言っても、タモリのテレホンショッキングが最後まで私的な友人関係のリレーだと言い張っていたけど、見てる方はウソでしょ、と分かっていて飲み込んでいた
でもフジはそのへんからヤラセとリアル、演出の区別がつかなくなっていったんだと思う 機動戦艦ナデシコは劇中劇としてゲキガンガー3が放送された。
Gショックは80年代に登場したが
90年代から大ヒットするようになっ おやじ狩りとかエアマックス狩りとかっ都会の狩りが流行ったな 夜のヒットスタジオは1968年11月4日から1990年10月3日まで、約22年間放送された。
ロンドンから中継したときペット・ショップ・ボーイズ・バナナラマ・デッド・オア・アライヴがゲストとして出演
ザルツブルクから中継したときはエイス・ワンダー
・ペット・ショップ・ボーイズがゲストとして出演 河合奈保子さんの大ファンだった。
旦那さん結婚してから俺も奥さんと結婚してからもファンを続けています。 >>288
殿様のフェロモンで人間ハケ水車やっていたけど笑えなかったな 1998年(平成10年) 年間シングルヒット曲ベスト100
1位 誘惑 ⇒ GLAY
2位 夜空ノムコウ ⇒ SMAP
3位 my graduation ⇒ SPEED
4位 タイミング ⇒ BLACK BISCUITS
5位 SOUL LOVE ⇒ GLAY
6位 長い間 ⇒ Kiroro
7位 HONEY ⇒ L'Arc〜en〜Ciel 1998/07/08
8位 愛されるより 愛したい ⇒ KinKi Kids
9位 Time goes by ⇒ Every Little Thing
10位 全部だきしめて/青の時代 ⇒ KinKi Kids
21位 Power ⇒ ポケットビスケッツ
28位 スタミナ ⇒ BLACK BISCUITS
96位 叫び ⇒ 野猿 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています