古い受験雑誌を読んでいたら、こんな記事が出ていた。立命館の学生が真顔で
「もしも明治維新の時に首都が京都になっていたら、立命館と同志社がいまの
早稲田、慶応の位置にいた」と言ったのだそうだ。

ほんとうにそう言えるのだろうか。検証してみよう。
同志社は元々京都に作られた大学なので、京都が首都であろうとなかろうと
いまと変わりはないだろう。慶應は幕末に既に江戸にあったのでそのままだと
すると、同志社と慶応の位置は入れ替わっていた可能性がある。

早稲田はというと、こいつは東京が首都だったから東京専門学校として発足した。
したがって、首都が京都なら京都専門学校となっていた可能性が高い。つまり、
早稲田はそのまま早稲田だ(名称は異なるだろうが)。

で、立命館だが、そもそもこの学校は自己目的で設立されていない。京都帝国
大学の教員を経済的に援助するために設立された。しかし、首都が京都であれば、
京大は東大と立場が入れ替わる。同時に、首都が京都となったためにそこで設立
される私学も多くなったはず。帝大教員というインテリが収入を得る機会も増える
ので、立命館に出番はない。

おまけに立命館の創立は明治維新が一段落したあと、日清戦争のあとであり、
その意味でも出る幕はないということになる。

結論:首都が東京になったから、かろうじて立命館は関関同立の一員となれた。