2003年の桐朋高校も惜しかった。

東京の桐朋高校は、スポーツ推薦はおろか高校からの入学生も少なかった。
野球グランドだけは恵まれていたけど、高校募集はスポーツ推薦どころか、一般推薦も無し。
学力試験のみで50名だけ。
野球部(硬式)のメンバーのほとんどが桐朋中学の軟式野球部出身者で構成されていていた。
付属中学上がりは、当然、小学校時代は塾通いでないと中学受験で合格しない。
2003年の東京都高校野球秋季大会で日大三を破って8強に入り、関東・東京の21世紀枠で地区推薦されスポーツ紙で騒がれた。
当時の桐朋の野球部員数は約30名の少人数。
当時、桐朋高校の東大合格者数は40名以上。武蔵、洛南に次いで全国14位。その上は海城、ラサール、麻布、栄光学園、開成、筑波大駒場くらいしか硬式野球部のある学校は存在しなかった。
毎年、野球部からも何人も東大合格者が出ていた。

野球部員も3分の1が東大を受験するような進学校だった。

当時のエース投手は小平シニア出身の外進生だったが、他のメンバーは後に東京六大学の慶應のエースとして活躍した下級生投手も含めて付属の中学からの内進生で占めていた。
その点は洛星と同じ。
だが、桐朋も21世紀枠の最終選考で漏れた。