>>186
『偏っている』

相手が常識等から外れているということを印象づける目的で使用する言葉。

大衆は、自分がちょうどバランスの良い場所に立っており、自分の考えが健全で一般的であり、常識的であるという強い信念を持っている。
筆者の両親は宗教団体に入っているが、筆者に向かって「あんたは科学的な考えに――」とうわごとのように繰り返しながら、宗教的儀式を強要してくる。

 テレビや新聞の報道が、ある種の団体に、ある種の民族に、ある種の社会風潮に「偏った」報道をしていないとはとても思えないし、
学問もまた明らかに常識から偏っている(なにしろ三角方程式の解き方さえ「一般常識」とは見なされないのだから、
数学の世界がいかに偏った世界であるかがわかるだろう)。
 どんな思想・信条も、それと離れた何かから見れば偏っている。イスラム教徒はターバンを必要以上に巻きすぎであるし、
仏教徒は「ナンマンダー」と言いすぎである。
 意識すべきなのは、そこには「中心」などはじめから存在しないということである。
そうした場における対立においては「健全で一般的な」ものなど存在しない。

「常識比べ大会」における栄光ある優勝を目指しているならばともかく、原理的な「議論」等をする場面においては、
「あなたの考えは――」と表明するのは、無邪気すぎる。