中学受験で"全落ち"した母子の「最終出口」
受験最終日、ミスチルの「ギフト」で号泣した

都内にある中堅の私立男子校に通う、中学2年生の中村伸也君(14歳、仮名)。学ランに身を包み、日々学校に通う彼の表情は明るい。
休日に自宅マンションに遊びに来る親しい友人もでき、学校生活を謳歌している。
母親の順子さん(40代、仮名)は、自宅に来た息子の友人たちと一緒に語り合う日もあるという。

絵に描いたような幸せな母子の風景だが、小学校の頃はまさかそんな日々が来るとは想像もできなかったと順子さんは言う。

小学校3年以降、順子さん家族が体験していたのは「中学受験戦争」。それも真っ暗闇に近い――。

まさか息子が中学受験を希望しているとは

■中学受験スタートの号砲は、ある日突然に鳴った。

伸也君が小3の年末、塾からかかってきた1本の電話。「息子さん、中学受験を希望されています」。母親の順子さんには寝耳に水だった。
息子からは一言も聞いたことがない。「息子さんの意思ですし、一度、お話に来ませんか?」と言う塾に押し切られるように、愛息の受験勉強生活はスタートした。

(略)

受験コースに変わると、生活は一変した。通いなれた校舎には中学受験コースはなく、他校舎へ電車で通うことになったのだ。塾代も一気に万単位で上がった。
距離、金額とも、学童の代わりではもはやない。それでも本人の意思だと、順子さんは最大限かなえようとした。

ところが塾生活は、そう生易しいものではなった。通いはじめて数カ月、初めは順調だった成績も4年生になると急降下。
好調時と比べると偏差値は15〜20ポイントも下がってしまった。

電車で通う校舎の受験クラスは、「第二の家」とまで呼んだ元の校舎とは雰囲気も大きく違った。成績によるクラス替えもあり、生徒同士はライバル関係。
新校舎は“戦場”だった。

成績が下がり続ける伸也君の心にも変化が表れた。“劣等感”が住みつきだしたのだ。
母親がどんなに「大丈夫、次の試験はきっとできるよ」と声をかけても「僕はできないんだ」と言うばかり。
しぶとい劣等感に苦しむ一方、受験コース入塾時に目標としていた、早稲田大学の附属校には、到底手の届かぬ成績に陥っていた。

(続く)
https://toyokeizai.net/articles/-/249566