校舎炎上
焼け跡に戻ってきた学生たち

戦前の法政大学を代表する校舎は、1921(大正10)年に建設された
木造三階建ての第一校舎でした。
この校舎は1923(大正12)年の関東大震災でもほとんど無傷でしたが、
1945(昭和20)年5月25日から26日にかけての焼夷弾攻撃を受けて
第二校舎とともに焼失しました。
幸いなことに、六角校舎、新館(校友会館)、第三校舎(図書館)が
残っていたので、他大学と比較すると被害は少ないほうでした。戦災に
よる法政大学の被害度は55パーセントと測定されています。
なお、大学では教員と学生の強い要望に応えるため、終戦から
3カ月目には、焼失を免れた第三校舎(図書館)で昼夜の閲覧サービスを開始しました。

□ 残念なのは戦災で古い資料が失われたことです。
  関東大震災にはほぼ校舎は無傷なだけに惜しかった。