余剰人口のゴミ箱としての都市
話を人間に戻そう。農村から絶えず産み出される、さしあたり不要だが万一に備えて必要な余剰人員は
どのようなゴミ箱に捨てられたのか。答えは都市である。
江戸時代の人口増加抑制が主として堕胎や子返しによって行われていたと考えている人には、
当時の農村を、ほとんど労働者の出入りがない閉鎖的なコミュニティと想定している人が多いが、これは偏見だ。
現在の住民基本台帳に相当する宗門人別改帳を調べてみると、半数以上の子供が出稼ぎ奉公に出ており、
しかも奉公先の大半は、江戸や大坂をはじめとする都市であることに気が付く。
江戸時代の都市では、死亡率の方が出生率よりも高く、逆に農村では、出生率のほうが死亡率よりも高かった。
このことは、農村で生まれた余剰な子供が都市に送り込まれ、そこで命を落とすことにより、全体の人口が一定に保たれたことを意味する。
奉公に出た子供たちは、後継ぎや結婚のために都会から村に戻ることもあったが、かなりの割合は奉公先で死亡している。

みなさんの中には、地方から上京し、都会で仕事していることに優越感を持ち、地方に住んでいる人々を「田舎者」と軽蔑している人もいることであろう。
しかし、こうした価値観は最近のものであって、江戸時代ではエリートである長男が村に残り、長女は隣村に嫁ぎ、
どうでもよい次男、次女以下が都市に飛ばされたのである。
実際都内でサラリーマンで働いてるものは農家商家の跡取りになれず、役場、教員、医師、地銀信金農協漁協林業のなどの働き口のコネもなくて
口減らしに追い出されたされた出来損ないにすぎない。
同様に、Fラン大学に通っている上京学生もUターンで地元の優良企業には採用されず仕方なく東京砂漠でつらい仕事に追われる日々が待っているだけである。