細田守の女性観は女性が生まれ持った逃れることができない属性への崇拝であって
女性の人格や個性に芯に向き合ったものではないから不快感がある。
一方、宮崎駿の作品には実は「女性」という存在はでてこない。
駿の作品に出てくる登場人物はすべて「仕事」やその人間に与えられた「役割」に対する向き合い方を描いているに過ぎないので不快感がない。