昭和52年の夏。俺は木内に酔った。木内の采配は貪欲に勝利至上主義だったからだ。それまでは、飛田穂洲の教えを体現するようなやり方だった。もちろん勝ちに行くが、負けても、一球に懸けるその瞬間を体験できれば良いというような。

茨城は弱小と言われてた。それに対して悔しいとも感じなかった。高校野球がひたむきに一球を追いかけるものであるもの、勝利はその先と思っていたからだ。