50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part.15
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>>896
昔、阪神にキーオというメジャー投手が阪神にいたと思うが、キャンプの時に、新人の嶋田のブルペンで投げてる姿を見て「あの若いの誰?」と、キレの良いストレートを投げていたので絶賛してましたね! >>899
1位箕島
2位和歌山工
3位新宮
三位まで近畿行ける年回りでした。
前年秋は出遅れましたが(新人戦桐蔭6-1箕島、秋2次戦耐久3-2箕島)、春も夏も箕島が圧倒しました。甲子園でも優勝候補になる力てわしたが、新宮では優勝候補の一角にも上がるのは厳しかったと思います。 >>899
82年のチームと84年のチームは強かった
両方とも箕島みたいに甲子園で優勝候補に上がるのは無理だったが1つ2つ勝つ力はあった
84年はともかく、箕島が早期敗退した82年に出てほしかった
南部などに負けたのが惜しまれる 昔の和歌山は、県外私立にいく以外、基本地元の高校に進学するのが一般的だった。公立学区制度があったし!だから箕島以外の高校も戦力十分で強かった。 まぁ甲子園になれば箕島の強さは以上だったけど(笑) 案外県内の方がちょくちょく負けてた。
智弁和歌山時代になり県内のトップ選手を集める様になってから、独占状態になってしまった。 >>901
たしか春の近畿準決勝では山崎が島田に投げ勝ったな。5-4だったか。 >>900
プロ入り1年目、阪神優勝した年になるが
中日戦で先発し8回まで0点に抑えた(wiki確認したらノーヒットノーランだったらしい)
しかし阪神打線も点を取れず、8回ヒット打たれたのかな?0点に抑えたのに降板し
9回表は山本和(優勝した年の後半、故障で戦線離脱したので他のリリーフ投手かもしれんが)
9回裏岡田のサヨナラホームランで阪神勝利した
阪神優勝した年は、幾つか覚えてるシーンがあるが
特にこの試合は、自分はよく覚えてる
1年目からこんな活躍したので、2年目以降さらに大活躍すると思ってたが 後日UPしますとは書いてましたがついに出してきました。
伝説【最強レベル試合】
85年夏 準々決勝 PL学園 対 高知商
https://youtu.be/ZLd3fIn2XRg
(10分前に公開) 39:56
(投稿主の一言コメント)
高知商業も強かったぁ。
しかしPL学園は憎たらしいほど強かったです。。 昭和56年、選抜、選手権とも
御坊商工、和歌山工の聞きなれない秘密兵器で
ベスト8。
箕島が出てこなくてもしっかり結果を残すことに
和歌山のレベルの高さを感じた。 昭和56年選手権予選一回戦で箕島が負けた時は、関西のローカルニュースで流れた。 杉本の親に同じドラフト1位なのに、何故嶋田より条件が低いのかを問われ、ほぼ即戦力に近い嶋田と違って、杉本は変化球や牽制球に難がある粗い投手で育成に時間がかかる、嫌なら来なくていいと広島の木庭スカウトが突っぱねたと「スカウト」という本に描かれてた。
阪神と広島の財力の違いもあったかも知れない。
しかし同じ年、同じ球団に弟が1位で自分が4位だった嶋田宗彦は複雑だったろう。 >>910
確かその年箕島は、1回戦で耐久?と対戦、8回裏まで4−0でリードしてたのに
9回表にまさかの一挙7失点で負けたんじゃなかった?
尾藤監督があまりのショックで、1ヶ月くらい”失踪”とかニュースになってたような
記憶があるんだけど勘違いならスマン。 >>908
清原のホームランはいかに金属バットの時代とはいえ
高校生の水準をはるかに超えていたと思う
プロ一年目で31本塁打というのも分かる気がする >>913
しかしホントとんでもないようなホームランだよな
ホームラン打った次の7回の打席もスパーンと球を捌いてるな
ピンポン球みたいだわw >>912
箕島4-7串本 です。 串本には好投手がいました。が、普通に箕島が勝つと誰もが思ってましたが、4-0から9回に7点取られました。ちなみに箕島の投手は2年生の上野山投手! 1年吉井はスタンドだったでしょう。
和歌山は公立校ばかりで串本辺りも力のあるチームがあり、戦力は分散してましたが、智弁和歌山とかに流れるようになった。 >>909
52 53 54 55 57 58 59 と毎年のように出てましたが、56年だけ出場出来ませんでしたね! 85年夏 1回戦 高知商 対 藤嶺藤沢
https://youtu.be/FSTFhaJ6sgo
(10分前の公開) 8:05
(主な出場選手)
中山裕章(高知商業) 1985年横浜大洋ドラフト1位
など 84年夏の3回戦で取手二と福岡大大濠の試合も先ほど師匠がアップしてたが、ユイマイちゃんねるって人が2日前に同じ試合をアップしてるなw
しかもフル中のフルのやつを >>909
御坊商工
初戦の相手は阪急に2位指名され、阪急阪神で活躍した古溝のいた福島商
二回戦は夏優勝する金村の報徳と、槇原のいる大府が対戦し勝利した大府
難敵に連勝しベスト8で上宮と対戦
上宮は出場30校二回戦からの登場、出場2回目で前回は初戦敗退だった
前年夏1年生ながら連続無失点で一躍有名になり優勝候補荒木の早実と、京都東山が対戦
開幕日2試合目だったと思うが、番狂わせで東山が勝利
二回戦東山に勝ち、さらに準々決勝御坊商工に勝利し、前評判低かったと思うが
有力校を倒してくれた近畿勢を倒し、運の良いベスト4進出 よく話題にあがる84年箕島だが、その直前あたりから尾藤監督はチームの大型化を
めざしている、あるいはレギュラーを選手の投票で選ぶ、この時期から箕島の
停滞がはじまる。79年のチームは負けないチーム、ひたむきな選手のチーム、だから
こそ大型化だったのだろう >>895
昭和59年当時は、まだまだ、奇跡のPL、逆転の箕島のイメージが、
凄い強い時代だったから、
その箕島相手に大逆転して2点差を逃げ切ったり、
PL戦も9回裏に清水哲の同点ホームランが出て時点で、
これでPLの勝ちだなと誰もが思ったはず。
それを振り切ったからな。かなりのものだよ。
ただ、この時の取手二高は、かなりの型破りというか、異色のチームだった。
でなければ逆転の代名詞といえる両横綱を立て続けに撃破するなんて出来なかったろうな。 82春 初戦東西優勝候補同士の対戦が決定した箕島vs上尾
上尾日野投手は連続無失点継続中、しかし初回箕島打線が打ち崩し記録ストップ
箕島完勝で二回戦へ、次の相手は甲子園初登場の明徳
試合は0-0が続き延長13回表明徳が2点先取、その裏箕島も2点取り同点
さらに14回明徳またも1点、その裏箕島2点取って逆転サヨナラ勝ち
準々決勝の相手はPL、これまでの甲子園対戦は箕島の2勝0敗
PL1-0でリードし9回箕島は一死二三塁のチャンス
誰もが箕島逆転するだろうと予測したと思うが、スクイズ失敗そして三振だったか?
まるで江夏の21球みたいな終わり方だった
83夏 夏春連覇の池田が圧倒的な下馬評で、池田に対抗できるのはどこか?
中京と並びエース吉井の箕島は対抗候補に挙げられ前評判高かった
初戦の相手は山梨の吉田、楽勝と思いきやここに大苦戦してしまった
何とか延長で勝ったが、これで池田に対抗できるの?と不安
三回戦後の日ハム開幕投手津野の高知商に、あっさり惨敗
84夏 KKPLに対抗できるのはどこか?その最有力候補が箕島だったと思う
しかし初戦取手二に逆転負け
連覇後も連続して実力あるチームで甲子園に来たが、ツキに見放されたような負け方など
実力はあるのに以前の箕島とは別チームな感じがした 連覇の次の年の準々決勝横浜戦で、3点リードされながら、じわじわ追い上げ3ー2。九回裏にランナー一塁に出して場内逆転を期待する異様なムード。
昔なら相手が崩れて逆点できそうな雰囲気だったが、お得意のバントを失敗して送れず、最後の打者も愛甲に押さえられて負けた。
逆転を期待する異様なムードの中で勝てなかった箕島、落ち着いて対処して勝利した横浜、
箕島伝説に陰りを感じた。 >>922
木内監督によると、公立高校には珍しくいい選手が集まった世代だったらしいし、やはり木内監督の好采配は大きかったんじゃないか
清水哲に同点ホームランを打たれて、ランナーを出しサヨナラ負けのピンチでワンポイントリリーフに柏葉投手を使って切り抜けるとか普通の監督ではできないだろう >>921
池田の蔦監督は、箕島に逆転負け食らってから、箕島が諦めるぐらい点を取る野球を目指した。丁度池田に合わせるように、金属バットもよく飛ぶバットになり、筋トレと合わせ猛打のチームになった。 箕島も負けじチームを大型化したが、細かい野球が苦手になったのが84年辺りのチームでしょう! >>924
春夏連覇から森川、宮本以外ゴッソリ抜けて、しかも優勝候補本命でもある横浜相手に、3-2のスコアは、負けてもさすが箕島と思う内容だった。 84年の鹿商工の試合がアップされていたが、翌85年夏の北陸大谷と鹿商工の試合も観たいなぁ。一見地味なカードだけど、めっちゃ印象に残ってるわ。北陸大谷?、どこ?、って感じだったけど、鹿商工や国体でも宇部商と好試合だったしそれなりに強かったんだろうな。 >>927
同点ホームラン打たれて続く打者に死球。明らかに石田は動揺していた。
柏葉をワンポイントさせて石田の気持ちを落ち着かせる意味もあったんだな。
再びマウンドに上がった石田は別人のように清原を三振、桑田をサードゴロに打ち取ったからおどろいたな。
延長に入り、中島の3ランが出たとき、近所からバンザーイという声が聞こえた。みんなテレビ見ていたんだな。 【これを待っていた!!】84年夏
準々決勝 PL学園 対 松山商
https://youtu.be/3Bx7DSkPCkI
(30分前に公開) 48:25
(主な出場選手)
酒井光次郎(松山商業) 1989年日本ハムドラフト1位
清原和博(PL学園) 1985年西武ドラフト1位
桑田真澄(PL学園) 1985年読売ドラフト1位
など >>931
20〜30分ごとにID変えて荒らし書き込みか?ご苦労なことで…
さすがにうんこをすることだしかすることのない無職はやることが違うw 取手は空気読んで負けて欲しかった。
打ち出したら止まらない勢いが優勝してしまう、と言う感じがした。 >>936
木内監督は「柏葉はどのような状況でも力むことなく淡々と投げる」からワンポイントリリーフさせたんだな
石田については「気が弱いというか、初対面だと物怖じしちゃうタイプ」と言っていた
石田の進路についても「君は気が弱い 中島と一緒に東洋大学へ行ったほうがいい」とアドバイスしていた。ただ、進路については本人以上に親の意向も反映されるわけで、石田は早稲田へ行って退学、回り道で社会人からプロ入りはしたけど、私は東洋大学経由でプロに行けたらプロ入り後にもっと活躍できたのではと妄想してしまう
木内監督は選手の性格を完璧に把握していたんだなあ >>941
てか東洋も大概じゃねーの?
当時の大学野球でマシなの中央、青学くらいだろ
青学も宇部商の藤井がいじめでやめてるけど >>931
鹿商工といえば82年のチームが謎だった
左上手、右上手。右下手とタイプの違う好投手をそろえていたが、
背番号1のエース郡山投手が投げているところを一度も見たことがなかった。 82鹿商工は2年生4番(3番かも)のバットを高く立てたフォームがかっこよかった。 >>943
言われてみれば確かに謎だw
とはいえ、82年は九州の強さが序列的に謎だったよ。八幡もクジ運が悪かった感があるし、大将格は佐賀商か熊工辺りだったのかね。津久見は勝ち上がっていたがよくわからなかった。 >>945
ウソを書くんじゃない。藤井は辞めてない。
4年の秋の最終戦でスタメンセンターで出てた。
すぐに交代してたけど。 >>942
馬鹿かお前は
要は1人で行くより、気心知れたチームメイトと一緒に行けということだろ
大学がどこかなど野球推薦の場合は記号でしかない >>945
大将格は秋春と九州大会優勝した鹿児島商工 >>945
八幡大付と対戦した日大二は、失礼ながらそれほど強いとは思えなかったが……(日大二は以前にも、劣勢な試合が雨天ノーゲーム➡再試合で勝利、があったらしい)。 84年夏の取手二と鎮西の試合UPされたから興味ある人は見てみては
師匠版
↓
https://youtu.be/05EezbXZOLs
27:36
ユイマイちゃんねる
鎮西vs取手二
↓
https://youtu.be/Xv_JiMHwY9g
1:56:13 >>950
日大二高は確か優勝した池田と4ー3の接戦してましたよね。日大二高に勝ち目があった試合だったと思います。 日大二高の再試合はS 40の岡山東商戦ですね。元大洋のエース平松さんがいて、選抜優勝校でした >>942
宇部商・藤井進は野球部員のまま青山学院大学を卒業している 82年の日大二は秋の東京大会で早実の荒木から7点取ったくらいだから打力は秀でていた。
特に田辺、倉本、桧山の左のクリーンアップは強力だった。ただ投手が弱かったな。
左の田辺、右の片岡、座光寺と駒は揃ってたが決め手に欠いた。田辺が一番安定していたが
長いイニングは投げられなかった。田辺に完投能力があれば、それなりのチームだったと思う。 >>941
松沼兄弟が取手二から東洋大に行ってるので、強いルートがあったんやろな
石田以前、取手二から早稲田に行った選手いたのかな?
優勝した事により早稲田に誰か1人入れるようになった
それでエースの石田になったって経緯なのだろうか? >>955
久々に名前を聞いたので、検索したら
「2017年に脳内出血により死去、享年49歳」
知らんかった、石田が亡くなったのは知ってたが >>942 >>957
あの年の取手二というと、ショートの吉田が推薦で明治大学入学が決まってたのに、
土壇場になって明治を蹴って、プロから指名があった近鉄に入団したのを覚えてる。
指名した近鉄も大概だが、明治入学を蹴るなんてそりゃ明治も怒るわなぁ。
今は同校から明治に入学するルートは無いはず。
翌年は早稲田入学が決まってたPLの桑田を、ジャイアンツが例の涙の清原騒動を
起こしてまで入団させる事件まで起きてるし。
今のドラフト制度はプロ志望届を出した者しか指名出来ない規定になってるが、
何でもっと早くこの規定を導入出来なかったのか、とつくづく残念に思う。 やっと76年、松本投手の動画がみれた。速い!しかもカーブのコントロールが完璧
だ。酒井、久保、小松らと対等、むしろ上だなと思う。対するはPLの中村投手だが
決勝戦だから、もう少しましな球投げられないのか?と思う。 >>956
82年の東京大会と荒木で思い出したが、
今、改めて映像を見てみると、結構、記憶違いしていることがあるんだな。
82年夏の東東京大会の決勝といえば、荒木の早実で鉄板かと思いきや、
修徳が予想以上に強く延長戦に突入。
ランナー3塁で三遊間を抜けるヒットで、早実のサヨナラ負けかと思いきや、
ショートの超ファインプレーでし凌いだとずっと思っていたが、
よく見てみると修徳は表の攻撃で、あれが抜けていてもサヨナラ負けではなかった。 >>949
そうだよなぁ。
九州大会秋春と制していたから。
昭和57年夏は九州沖縄勢
八幡大附
佐賀商
佐世保工
熊本工
津久見
都城
鹿児島商工
興南
のうち八幡大附だけ初戦敗退ってのが意外やったね。
選手宣誓が八幡大附の川端主将でしたかな。 もし、俺の息子が野球で
早稲田と東洋のどちらかに行けるとしたら、
文句なく早稲田を薦める。
みんなもそうだろ? >>964
1980年代ならそうだろうね
終身雇用の下、良い大学へ行き大企業へ入れば一生安泰と信じられていたから、野球で駄目だったときを考えて親はそう考える
ただ、優秀な指導者は教え子に才能があるなら頑張ってプロへ行く道を提示する >>955
藤井に限らずいわゆる野球名門校からの野球推薦の選手は、入学時点で学力がないことに加え、大学生活は野球漬けだから授業についていけず、お情けで卒業するから、野球がらみ以外でまともな就職は望めない
立教大学で活躍しドラフト指名されたが野球を捨てて就職した黒須みたいなのは例外 馬鹿大将はFランだけど慶應卒の高橋由伸よりは賢い。ヘラヘラしてるけど 早稲田なんか注目されたくて広末を一芸枠で入学させたくらいやからな。 >>958
えー藤井亡くなったの?
知らんかった・・・RIP >>963
主将の顔といえばセンバツの上尾-箕島もインパクトあった
優勝候補同士の対決と言うことで、抽選直後にプラカードもった両主将が抱負を語っていたけど、
超イケメンのそろい踏みにテレビの前の女子たちは大騒ぎしとった 箕島の岩田なんて、荒木よりもイケメンに見えたものだな。 この試合は現在、他には上がってないようなので良かったら。
【伝説試合】84年夏 準決勝
PL学園 対 金足農
https://youtu.be/o6SYmU8zNl4
(2時間前に公開) 43:42 イケメンといえば箕島の島本こうちゃん
歴代ナンバー1 みんなすげーな笑
嫌みじゃなくてさ
男の顔に興味ないから全然わからん
ブ男とかデブなら何人か覚えてるが ちょっと前では
駒大苫小牧、初優勝時の佐々木孝介主将(現監督) >>977
高校時代言えば、甲子園には出てないから全国区ではないかも知れないが、尾藤強氏も高校時代めちゃイケメンだったよ! 親父さんに似てないなぁ〜と、思ったぐらい! そう言えば、当時の南海野村監督(選手兼任)は、南海は人気がないから島本を獲得したと言ってたですね。 >>971
荒木氏は現役辞めてから、かなりふっくらされたけど、岩田氏は50歳過ぎても体型があまり変わってない感じです。相変わらずイケメンです!
現在、職業は知らないけど、社会人クラブチーム箕島球友会で、役員されてますね! 箕島含む有田地方では、
漁師系は精悍なイケメンで
ミカン農家系は素朴な顔と言われている 銚子商のエース片平哲也は千葉県代表のティームには珍しいイケメンだったと思う 昭和50年代前半 土曜の夜 某公共放送で阪急-近鉄戦の中継があった。
近鉄というと太田幸司投手しか知らなかったのだが、
初めて島本選手を見たとき、「あれ〜、こっちのほうがカッコええやん・・」と思ったのでした。
太田のコーちゃん ・・すみません。 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。