50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part.15
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>>809
深瀬は2年の選抜では投手としてベンチ入り。
2年生でベンチ入りしてたのは立浪と深瀬だけ。
翌年の3本柱の野村、橋本、岩崎よりも投手として期待されていたのは翌年は4番サードとして春夏連覇に貢献してたから意外で。 深瀬は、長距離砲として申し分ない素質がありそうだったのに、その後の活躍を聞かないままだったのは意外だった。 >>800
1978年も選抜のとき下位だった西田が
選手権では4番だった。選抜のときは
谷松、柳川、木戸が野球雑誌では
注目されていたけど。 >>853
選抜では西田が6番だったのは、打撃もピカ一だが投手だから負担を考えて下位に置いたと鶴岡監督が語っていた
選抜の時点で西田の打撃が抜けていた
南宇和田中富生からすごいホームランを打った >>846
守備はセカンド。54年はスタンドで春夏連覇!55年はスタンドだったと思う。 明るい性格で
尾藤監督から「お前は吉本行け」と、言われたかなんかで、本当にお笑いの道に進んだ。
2011年だったか、星稜とのOB戦(甲子園)で、試合出場!さゆりもマネージャーとして、ベンチ入りし、尾藤監督に「派手なマネージャーやなぁ」と、いじられていた! 太平かつみ、お笑いの運動会での短距離走はむちゃくちゃ速かったな。 深瀬投手って桑田を意識してたんだろうけど結果、斎藤明夫(大洋)みたいな投法になってたが
動画で見ると速いな。145キロは出てる。
「昭和師匠」には「1987年選抜 PL学園VS広島商」をUPしていただきたいものだ。
「え〜!PLは背番号7のレフト(レフトではなかったが)を名門・広商相手に投げさすのか?!広商を
愚弄してる!!(怒)」と思って「7」の岩崎を見たが体も大きく球威、変化球とも文句のない投手で「今年の
PL もしかして強い??」とおおいに感じた試合だったので。野村VS田中一郎(広商4番 のち東北福祉大学)の広島ジャガーズ同門対決もあった。 全盛期のPLってピッチャー4番かキャッチャー4番しか獲らないって広言してたね。
ピッチャー、キャッチャー以外で獲るのは抜群に上手いショートだけだったとか。 昔の高校野球は、平均的な学校でも中学ではスポーツなら何でも学校一番の集まりだった。
そんなやつでも高校野球は無理だからやめておく、と言うのが多かった。今は知らんけど >>457
日立の金沢監督とか大阪桐蔭の西谷監督、多治見の監督みたいに最終学年を不祥事で泣いた人を応援したくなる。 >>540
やっぱり池田の蔦監督や日大一の高橋監督みたいに軍隊経験者は怖いやろな >>861
上手いのに途中で辞めるヤツも多かったしね >>857
かつみは足は速かったらしい!まぁ55年辺りの箕島は全盛期で部員も100人ぐらいいたから、ベンチに入るのは厳しかったと思うわ! >>610
後年、牛島香川の話が雑誌に掲載されていたが
PLは渋滞で試合前ギリギリに日生球場に到着したから試合前練習が出来ずにすぐ試合が始まったのが影響してか初回に5点入って勝負決まったようなコメントがあったな。 >>867
PLのこの代は投手に軸がいなかった
秋の府大会で浪商を1点に抑えた中西、2年からベンチ入りした竹中が伸び悩んだ
選抜で本職ショートの阿部を投げさせたりしていた >>673
それは80回大会以降ですな。
南部の学校にとって画期的な事だと新聞で読んだな。 >>803
5ちゃんねるmateではアンタの名前『南』になっとんで >>822
コレラ世代やな。
『コレラ禍』って言葉を新聞雑誌で見ていたからか『コロナ禍』普通に読めたな >>851
野村、橋本は1986年の代も主戦格で秋は投げて選抜出場に貢献していた。
選抜のベンチに入れなかったのはテストでカンニングしたのがバレた罰みたい。
片岡の動画で本人が語ってた。
だから深瀬より野村、橋本のほうが最初から期待されていたはず。 有田のコレラって77年だったのか。あの当時箕島が有田周辺とは知らなかった。 深瀬は高校時代がピークになってた。
専大に進んで期待されてましたが内外野のポジションは違うけど
明徳の町田公二郎に隠れて、社会人のJR東日本でもスラッガーの素質は開花せずでした。 >>867
小早川の述懐によれば、試合前のじゃんけんに勝った渡辺主将が、
鶴岡監督の指示通り後攻をとったと知って主力陣はのけぞったと。
この試合だけは、先行をとって中西投手の投球練習の時間を稼ぎたかったそうだ。 >>879
月城は当時の常勝PLにしては平凡な投手だったな。
野村、橋本が投げてれば浜松商戦はまた違った展開になったかもね。 箕島と取手二の動画がアップされてるが
改めて見てみると、取手二が8回に大逆転。
9回裏、2点を追う箕島最後の攻撃。
2アウトランナー無しからエラーで出塁。
またもや箕島の大逆転が来るかと思いきや、
その後、嶋田の打った打球は、一瞬、同点ホームランかと思えるが、
風で打球が押し戻されて試合終了。
もし、あれが風がなく同点ホームランになっていれば、
またもや伝説になって、しばらく箕島の時代に続き、
まだまだ、智弁和歌山の時代は来なかったかもしれない。 >>882
箕島の失速から智弁和歌山の甲子園での台頭までに10年のタイムラグがある
智弁和歌山は甲子園初出場後数年間はデルトマケ状態だった >>868
選抜の実況で背番号1の竹中が故障と言ってた、それで11番中西が主戦
中西に不安があり、試合開始早々竹中と9番林が投球練習開始
二回戦の宇都宮商戦で大差リードを許したが、その時竹中がリリーフした
それ以外は中西ばかり投げてた、林は投球練習ばかりで一度も選抜で投げなかったな
準決勝箕島戦で9回同点に追いつかれ、10回サヨナラのピンチに阿部登場
しかし初球暴投だったかな?あっさりサヨナラ
8番バッターなのに大苦戦宇都宮商戦での2本、さらに1本放ち選抜新記録
その後選抜3本は藤王清原元木松井など10人以上いるが、今だに4本はいない >>882
2013年の最後の打球も、嶋田と同じような打球で、打った瞬間は、また同点かと思ったが… >>884
箕島と当たらない時に甲子園に出て、箕島と当たると負けた。4年連続箕島にやられた時もあるが、公式戦の7回目だったと思うが初めて箕島に勝ち甲子園でも勝てるようになった >>882
師匠の方かな?
こっちは師匠より前にフル中のフルで2日前にUPしてるからな
https://youtu.be/m9NggR_qFkA
残念だったな師匠もw
レア動画じゃないわ
あと伝説の安売りしすぎだな >>882
このチームは大型チームでしたね! 杉本187
豆塚186 坂本180ぐらいか、嶋田179で勘佐は上背は無いけどカッチリしてた!迫力満点で箕島史上最強の一つだったと思う。ただ、バントや細かい事が苦手で、本来の箕島野球とは少し違ったチームでしたね。 和歌山大会では、4番が坂本で5番は勘佐だった!取手二戦の動画に7回1点追加した後に、坂本が痛烈な三塁線を放つが惜しくもファール!
動画には映って無いけど坂本は、前の方の打席でも大ファールを打っているが、やや強引なところがあったかも? 県大会の智弁和歌山戦では特大のホームランを打っていた強打者 84年のあれだけのチームで一回戦負けは、連覇以降なにか運がなくなった箕島を象徴する試合だった。
箕島ーPLの決勝戦を期待していたのに本当にガッカリしたわ。 >>888
箕島対取手二の動画は、5年かもう少し前ぐらいに既にフル動画アップされていたが、何年か前に削除されていた。 >>892
57年 58年 59年の中で、最低1回は優勝したかったですね!
8回に雨で守備が乱れたが、このチームは箕島史上最強だったかも知れないが、ツキはないチームだったかも知れないですね!
箕島×PLだと思ってたからショックでした。
前年にはなりますが、箕島は吉井世代で、桑田清原は1年だったと思いましたが練習試合で、
箕島9-3PLいうのはあったと思います。 >>892
取手は箕島もPLも破ったんだから力があった。 84年の箕島の島田章弘は、プロ入り後数年で肩の故障の為、野手に転向したが、遠山のように故障が癒えた後に投手に戻る選択肢はなかったのかな。
当時の阪神投手陣の中では、かなり速い球を投げてたし勿体なかったなあ。 素朴な質問なんだけど、youtubeに昔NHKで中継してた高校野球の録画や録音を流すのって違法なの? 取手ファンは多いみたいだけど、自分には一番不気味な存在だからさっさと取手には消えて欲しかった。
箕島ーPLが見たかった 84年の春の近畿大会の優勝チームは近鉄で活躍した山崎慎太郎投手の新宮でしてけど、
このチームも甲子園に出ていたら優勝候補に挙げられたのでしょうか?新宮ってめった
に見れないチームで、自分が見たチームは弱いのばっかりだったから、強い新宮を見てみた
かった。 >>896
昔、阪神にキーオというメジャー投手が阪神にいたと思うが、キャンプの時に、新人の嶋田のブルペンで投げてる姿を見て「あの若いの誰?」と、キレの良いストレートを投げていたので絶賛してましたね! >>899
1位箕島
2位和歌山工
3位新宮
三位まで近畿行ける年回りでした。
前年秋は出遅れましたが(新人戦桐蔭6-1箕島、秋2次戦耐久3-2箕島)、春も夏も箕島が圧倒しました。甲子園でも優勝候補になる力てわしたが、新宮では優勝候補の一角にも上がるのは厳しかったと思います。 >>899
82年のチームと84年のチームは強かった
両方とも箕島みたいに甲子園で優勝候補に上がるのは無理だったが1つ2つ勝つ力はあった
84年はともかく、箕島が早期敗退した82年に出てほしかった
南部などに負けたのが惜しまれる 昔の和歌山は、県外私立にいく以外、基本地元の高校に進学するのが一般的だった。公立学区制度があったし!だから箕島以外の高校も戦力十分で強かった。 まぁ甲子園になれば箕島の強さは以上だったけど(笑) 案外県内の方がちょくちょく負けてた。
智弁和歌山時代になり県内のトップ選手を集める様になってから、独占状態になってしまった。 >>901
たしか春の近畿準決勝では山崎が島田に投げ勝ったな。5-4だったか。 >>900
プロ入り1年目、阪神優勝した年になるが
中日戦で先発し8回まで0点に抑えた(wiki確認したらノーヒットノーランだったらしい)
しかし阪神打線も点を取れず、8回ヒット打たれたのかな?0点に抑えたのに降板し
9回表は山本和(優勝した年の後半、故障で戦線離脱したので他のリリーフ投手かもしれんが)
9回裏岡田のサヨナラホームランで阪神勝利した
阪神優勝した年は、幾つか覚えてるシーンがあるが
特にこの試合は、自分はよく覚えてる
1年目からこんな活躍したので、2年目以降さらに大活躍すると思ってたが 後日UPしますとは書いてましたがついに出してきました。
伝説【最強レベル試合】
85年夏 準々決勝 PL学園 対 高知商
https://youtu.be/ZLd3fIn2XRg
(10分前に公開) 39:56
(投稿主の一言コメント)
高知商業も強かったぁ。
しかしPL学園は憎たらしいほど強かったです。。 昭和56年、選抜、選手権とも
御坊商工、和歌山工の聞きなれない秘密兵器で
ベスト8。
箕島が出てこなくてもしっかり結果を残すことに
和歌山のレベルの高さを感じた。 昭和56年選手権予選一回戦で箕島が負けた時は、関西のローカルニュースで流れた。 杉本の親に同じドラフト1位なのに、何故嶋田より条件が低いのかを問われ、ほぼ即戦力に近い嶋田と違って、杉本は変化球や牽制球に難がある粗い投手で育成に時間がかかる、嫌なら来なくていいと広島の木庭スカウトが突っぱねたと「スカウト」という本に描かれてた。
阪神と広島の財力の違いもあったかも知れない。
しかし同じ年、同じ球団に弟が1位で自分が4位だった嶋田宗彦は複雑だったろう。 >>910
確かその年箕島は、1回戦で耐久?と対戦、8回裏まで4−0でリードしてたのに
9回表にまさかの一挙7失点で負けたんじゃなかった?
尾藤監督があまりのショックで、1ヶ月くらい”失踪”とかニュースになってたような
記憶があるんだけど勘違いならスマン。 >>908
清原のホームランはいかに金属バットの時代とはいえ
高校生の水準をはるかに超えていたと思う
プロ一年目で31本塁打というのも分かる気がする >>913
しかしホントとんでもないようなホームランだよな
ホームラン打った次の7回の打席もスパーンと球を捌いてるな
ピンポン球みたいだわw >>912
箕島4-7串本 です。 串本には好投手がいました。が、普通に箕島が勝つと誰もが思ってましたが、4-0から9回に7点取られました。ちなみに箕島の投手は2年生の上野山投手! 1年吉井はスタンドだったでしょう。
和歌山は公立校ばかりで串本辺りも力のあるチームがあり、戦力は分散してましたが、智弁和歌山とかに流れるようになった。 >>909
52 53 54 55 57 58 59 と毎年のように出てましたが、56年だけ出場出来ませんでしたね! 85年夏 1回戦 高知商 対 藤嶺藤沢
https://youtu.be/FSTFhaJ6sgo
(10分前の公開) 8:05
(主な出場選手)
中山裕章(高知商業) 1985年横浜大洋ドラフト1位
など 84年夏の3回戦で取手二と福岡大大濠の試合も先ほど師匠がアップしてたが、ユイマイちゃんねるって人が2日前に同じ試合をアップしてるなw
しかもフル中のフルのやつを >>909
御坊商工
初戦の相手は阪急に2位指名され、阪急阪神で活躍した古溝のいた福島商
二回戦は夏優勝する金村の報徳と、槇原のいる大府が対戦し勝利した大府
難敵に連勝しベスト8で上宮と対戦
上宮は出場30校二回戦からの登場、出場2回目で前回は初戦敗退だった
前年夏1年生ながら連続無失点で一躍有名になり優勝候補荒木の早実と、京都東山が対戦
開幕日2試合目だったと思うが、番狂わせで東山が勝利
二回戦東山に勝ち、さらに準々決勝御坊商工に勝利し、前評判低かったと思うが
有力校を倒してくれた近畿勢を倒し、運の良いベスト4進出 よく話題にあがる84年箕島だが、その直前あたりから尾藤監督はチームの大型化を
めざしている、あるいはレギュラーを選手の投票で選ぶ、この時期から箕島の
停滞がはじまる。79年のチームは負けないチーム、ひたむきな選手のチーム、だから
こそ大型化だったのだろう >>895
昭和59年当時は、まだまだ、奇跡のPL、逆転の箕島のイメージが、
凄い強い時代だったから、
その箕島相手に大逆転して2点差を逃げ切ったり、
PL戦も9回裏に清水哲の同点ホームランが出て時点で、
これでPLの勝ちだなと誰もが思ったはず。
それを振り切ったからな。かなりのものだよ。
ただ、この時の取手二高は、かなりの型破りというか、異色のチームだった。
でなければ逆転の代名詞といえる両横綱を立て続けに撃破するなんて出来なかったろうな。 82春 初戦東西優勝候補同士の対戦が決定した箕島vs上尾
上尾日野投手は連続無失点継続中、しかし初回箕島打線が打ち崩し記録ストップ
箕島完勝で二回戦へ、次の相手は甲子園初登場の明徳
試合は0-0が続き延長13回表明徳が2点先取、その裏箕島も2点取り同点
さらに14回明徳またも1点、その裏箕島2点取って逆転サヨナラ勝ち
準々決勝の相手はPL、これまでの甲子園対戦は箕島の2勝0敗
PL1-0でリードし9回箕島は一死二三塁のチャンス
誰もが箕島逆転するだろうと予測したと思うが、スクイズ失敗そして三振だったか?
まるで江夏の21球みたいな終わり方だった
83夏 夏春連覇の池田が圧倒的な下馬評で、池田に対抗できるのはどこか?
中京と並びエース吉井の箕島は対抗候補に挙げられ前評判高かった
初戦の相手は山梨の吉田、楽勝と思いきやここに大苦戦してしまった
何とか延長で勝ったが、これで池田に対抗できるの?と不安
三回戦後の日ハム開幕投手津野の高知商に、あっさり惨敗
84夏 KKPLに対抗できるのはどこか?その最有力候補が箕島だったと思う
しかし初戦取手二に逆転負け
連覇後も連続して実力あるチームで甲子園に来たが、ツキに見放されたような負け方など
実力はあるのに以前の箕島とは別チームな感じがした 連覇の次の年の準々決勝横浜戦で、3点リードされながら、じわじわ追い上げ3ー2。九回裏にランナー一塁に出して場内逆転を期待する異様なムード。
昔なら相手が崩れて逆点できそうな雰囲気だったが、お得意のバントを失敗して送れず、最後の打者も愛甲に押さえられて負けた。
逆転を期待する異様なムードの中で勝てなかった箕島、落ち着いて対処して勝利した横浜、
箕島伝説に陰りを感じた。 >>922
木内監督によると、公立高校には珍しくいい選手が集まった世代だったらしいし、やはり木内監督の好采配は大きかったんじゃないか
清水哲に同点ホームランを打たれて、ランナーを出しサヨナラ負けのピンチでワンポイントリリーフに柏葉投手を使って切り抜けるとか普通の監督ではできないだろう >>921
池田の蔦監督は、箕島に逆転負け食らってから、箕島が諦めるぐらい点を取る野球を目指した。丁度池田に合わせるように、金属バットもよく飛ぶバットになり、筋トレと合わせ猛打のチームになった。 箕島も負けじチームを大型化したが、細かい野球が苦手になったのが84年辺りのチームでしょう! >>924
春夏連覇から森川、宮本以外ゴッソリ抜けて、しかも優勝候補本命でもある横浜相手に、3-2のスコアは、負けてもさすが箕島と思う内容だった。 84年の鹿商工の試合がアップされていたが、翌85年夏の北陸大谷と鹿商工の試合も観たいなぁ。一見地味なカードだけど、めっちゃ印象に残ってるわ。北陸大谷?、どこ?、って感じだったけど、鹿商工や国体でも宇部商と好試合だったしそれなりに強かったんだろうな。 >>927
同点ホームラン打たれて続く打者に死球。明らかに石田は動揺していた。
柏葉をワンポイントさせて石田の気持ちを落ち着かせる意味もあったんだな。
再びマウンドに上がった石田は別人のように清原を三振、桑田をサードゴロに打ち取ったからおどろいたな。
延長に入り、中島の3ランが出たとき、近所からバンザーイという声が聞こえた。みんなテレビ見ていたんだな。 【これを待っていた!!】84年夏
準々決勝 PL学園 対 松山商
https://youtu.be/3Bx7DSkPCkI
(30分前に公開) 48:25
(主な出場選手)
酒井光次郎(松山商業) 1989年日本ハムドラフト1位
清原和博(PL学園) 1985年西武ドラフト1位
桑田真澄(PL学園) 1985年読売ドラフト1位
など >>931
20〜30分ごとにID変えて荒らし書き込みか?ご苦労なことで…
さすがにうんこをすることだしかすることのない無職はやることが違うw 取手は空気読んで負けて欲しかった。
打ち出したら止まらない勢いが優勝してしまう、と言う感じがした。 >>936
木内監督は「柏葉はどのような状況でも力むことなく淡々と投げる」からワンポイントリリーフさせたんだな
石田については「気が弱いというか、初対面だと物怖じしちゃうタイプ」と言っていた
石田の進路についても「君は気が弱い 中島と一緒に東洋大学へ行ったほうがいい」とアドバイスしていた。ただ、進路については本人以上に親の意向も反映されるわけで、石田は早稲田へ行って退学、回り道で社会人からプロ入りはしたけど、私は東洋大学経由でプロに行けたらプロ入り後にもっと活躍できたのではと妄想してしまう
木内監督は選手の性格を完璧に把握していたんだなあ >>941
てか東洋も大概じゃねーの?
当時の大学野球でマシなの中央、青学くらいだろ
青学も宇部商の藤井がいじめでやめてるけど >>931
鹿商工といえば82年のチームが謎だった
左上手、右上手。右下手とタイプの違う好投手をそろえていたが、
背番号1のエース郡山投手が投げているところを一度も見たことがなかった。 82鹿商工は2年生4番(3番かも)のバットを高く立てたフォームがかっこよかった。 >>943
言われてみれば確かに謎だw
とはいえ、82年は九州の強さが序列的に謎だったよ。八幡もクジ運が悪かった感があるし、大将格は佐賀商か熊工辺りだったのかね。津久見は勝ち上がっていたがよくわからなかった。 >>945
ウソを書くんじゃない。藤井は辞めてない。
4年の秋の最終戦でスタメンセンターで出てた。
すぐに交代してたけど。 >>942
馬鹿かお前は
要は1人で行くより、気心知れたチームメイトと一緒に行けということだろ
大学がどこかなど野球推薦の場合は記号でしかない >>945
大将格は秋春と九州大会優勝した鹿児島商工 >>945
八幡大付と対戦した日大二は、失礼ながらそれほど強いとは思えなかったが……(日大二は以前にも、劣勢な試合が雨天ノーゲーム➡再試合で勝利、があったらしい)。 84年夏の取手二と鎮西の試合UPされたから興味ある人は見てみては
師匠版
↓
https://youtu.be/05EezbXZOLs
27:36
ユイマイちゃんねる
鎮西vs取手二
↓
https://youtu.be/Xv_JiMHwY9g
1:56:13 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。