◆ 甲子園で伝説を作った“平成の怪物”ではなく…

まずは投手から。ここは「横浜高校」という校名になる前の「旧制本牧中学」出身選手ということで迷ったが、実績で若林が上と判断した。

投手が圧倒的に有利な時代とはいえ、最多勝1回と最優秀防御率2回に輝き、通算防御率が1点台というのは見事という他ない。

また、通算200勝はスタルヒン(元巨人など)に次ぐ2人目であり、今でも最年長最多勝記録(36歳)や最年長20勝(39歳)
というプロ野球記録も保持している。

もちろん、“現代の選手”ではやはり松坂がNo.1。それだけに、メジャー移籍後の度重なる故障によって、
通算200勝の大台に到達せずに現役を終える可能性が高いというのはいささか残念である。

◆ 二遊間はいまも“横浜”

 捕手では、今でこそ外野としてプレーすることが多いものの、
プロでも100試合以上のマスクをかぶっていることから近藤を選んだ。

 高校時代も内野手と捕手を兼任しながらシュアなバッティングを見せており、プロでもその持ち味を最大限発揮している。
2017年には椎間板ヘルニアで57試合の出場に終わったものの、打率.413という結果を残して話題となった。

 実働8年間で通算打率が3割を上回っており、ヒットを打つことに関しては現役選手の中でも屈指の存在と言えるだろう。

続いて内野へ。一塁には、1980年夏の甲子園でエースとして全国制覇を達成した愛甲を選出。プロ入り4年目に野手に転向すると、
1988年からは5年連続全試合に出場するなど、低迷期のロッテを支えた。年齢を重ねても勝負強いバッティングは健在で、トレードで移籍した中日でも代打の切り札として活躍。1999年のチームのリーグ優勝にも貢献している。

二塁の石川は涌井と同学年で、甲子園でも活躍。ドラフト指名順位は6巡目と当時の評価こそ高くなかったが、
シュアな打撃とスピードを武器に遊撃手としてレギュラーに定着。2010年にはシーズン153安打・36盗塁をマークした。
その後は二塁へと回り、近年はベンチを温めることも増えているが、昨年は節目となる通算1000安打を達成している。

三塁には、中日の中軸として活躍している福田を挙げる。高校時代は捕手だったが、
打力を生かすためにプロ入り後に内野手に転向。一軍定着までに時間がかかったが、
2016年からは4年連続で2ケタ本塁打をマークしている。今年で32歳となるが、
全盛期はこれからと思わせるプレーぶりを見せており、まだまだ成績を伸ばす可能性が高いだろう。