ちがいます。
2002年選考では予め関東と近畿から1枠づつ減らされ、関東は4枠とアナウンスされていました。
その為、東京2枠に影響はありませんでした。

2002年まで東京は単独地域として2枠であり、現在のような東京+関東のような括りはありませんでした。
記事の便宜上、東京2枠と関東4枠併せて6枠、そのような表現をしていたかもしれませんが、東京2枠に変動はなく比較対象ではありませんでした。

したがって2001年秋季大会後に優勝日大三高当確、準優勝二松学舎当確でした。
試合内容は完璧でした。
もし決勝戦が1993年のような拓大一20-6東海大菅生のようなスコアになれば、準決勝で拓大一と接戦のうえ敗退した日大三高が繰り上げ選考されたように、東京の枠の中で繰り上げ選考が行われたことでしょう。

それと同様な繰り上げ選考が起こったのが2001年の秋季関東大会だったわけです。
順当であればベスト4の4校(優勝宇都宮工業、準優勝浦和学院、ベスト4前橋、太田市商)で枠が埋まりすんなり当確でしたが、
ベスト4の太田市商業は準決勝にて浦和学院に1-8の7回コールドで敗退していたうえ、同じ群馬県の前橋がベスト4に進出していたので地域性も加味されて落選したのです。
太田市商に替わって選考されたのが準々決勝で浦和学院に4-6で敗退したベスト8の水戸短大付で、これにより関東4枠が確定したのです。
したがって、太田市商が他の地区である東京や他地区と比較された事はありません。あくまで関東枠内での揉め事でした。
2002年選抜の関東枠は4枠だったのですから。

東京2校目と関東5校目を比較対象にして選考すると発表されたのは2002年の夏の事で、
2002年秋季大会の結果から優勝校のみ当確、準優勝校は関東の5校目と比較されて選考すると発表されました。
ここに初めて東京+関東という括りが始まりました。

したがって、東京2校目と関東5校目が比較された最初の東京の学校は世田谷学園が第一号となります。