天理史上最強のチームは?
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>>4
秋の県大会を圧勝し、近畿大会直前で事件が発覚。近畿大会は出場停止だぞ。 鈴木康友さん世代の77年春は、優勝すると思いましたが! いや、あの選抜はたしかに優勝候補ではあったが、福家の調子がいまひとつだったから優勝はできないと思った。
あのチームに智弁の山口がセットになっていたらなあ。同じ五条中学から鈴木は天理、山口は智弁に進学したんだけど。 >>22
山村の方が調子よかった。中村戦は山村先発で行くべきだった それでも部員12人の中村に負けるとは思わなかったが。
山沖はあの試合いちばん調子よかったが、天理打線の完敗。
一打逆転の場面で鈴木康友を空振り三振にきってとった山沖の投球は圧巻だった。 関本の1つ上の代も、強かったと聞いた事があります。甲子園出場は果たせませんでしたが! 昔の堺監督以降、橋本と森川と現監督以外の人(清水と島?)の記憶がほとんど無い。
不祥事辞任は仕方ないけど、何となく監督の影が薄い強豪も珍しい。 優勝した86夏90夏97春のチームなら、やはり86夏になるかなと思います! あと監督は、97選抜の時は中川監督でその後鈴木喜一さんが監督されましたね。 中川さんか…
この人のインタビューシーンとかも、全く記憶が無かったわ しかし天理といえば清水監督だろう。
マックス佐藤から藤本のときまでの期間。 >>34
鈴木喜一さんは、本来ならずっと監督をしていても良いくらいの人。
現役時代は世代5指に入る捕手で、プロのリストにも入っていたし
多くの大学からの誘いもあったはずですが、天理大学に進んで野球もやめられました。
初優勝時にはコーチをしておられたと記憶しています。
その後暗黒時代の監督を引き受けて、復活への地ならしをした功労者やと思う。
今もサトスタでよく観戦しておられます。
貞光世代の選抜で、キャッチャーの堤田のキャッチングが酷評されたが
選抜後、臨時コーチのような立場で、堤田に指導をされておられました。 今のチームも楽しみ。更に今の1年生が、3年生になる時も楽しみですね。 近年では貞光世代だと思いますが、全国大会では結果が出なかった。 >>36
清水で覚えてるのは80年の横浜戦。満塁のチャンスで、解説者もココは自由に打たせるほうが…と言ってた場面でスクイズさせて、アッサリ併殺。
今なら絶対、モリシクラスの馬鹿監督呼ばわりされてるはず。 以前の天理は投手日照りだった。
制球に苦しむのは年中行事。
金森、猪口、福家、高松…
三年で選手が入れ替わる高校野球でもチームカラーというのはあるものだが、それにしてもどうして天理の投手は毎年制球に苦しむのだろう、と福家のときアサヒグラフでたたかれていた。 ノーコン投手揃いの70年代で、ある程度コントロールが計算出来たのは、75夏岡本と78夏中西ぐらいか(74の松岡は見てない) 中西は三試合連続完封なんてしてしまったものだから、本当にあの天理の投手なのか?と信じられなかった。 中西は前日の最終試合を完封した翌日の第一試合が中京戦で運が悪かった
岡本も完封ではないが同じパターンで新居浜商にやられた
中西は同学年の郡山の下手投げ池上が注目されていた分
注目度が低かったが天理の歴史でも指折りの好投手だったと思う 中西の時は1978年ですね。確か夏の県大会決勝は、天理vs郡山で延長14回だったはずです!仰るとおりに、郡山の池上も素晴らしい投手でしたね。 あの試合は7回まで郡山が4-0とリード、このまま終わるかと思ったが。
8回に天理が怒濤の同点劇。
郡山の森本監督は7回終了時点で勝ったと思い、部長と握手したらしい。ベンチの油断が逆転負けにつながったと。 その様なエピソードも聞いた事があります!確か夏の郡山との決勝は、その試合を含めて1回も負けてないですね。決勝のみならず、夏の郡山戦は殆ど負けた記憶がないです。 1978年夏は、天理が甲子園で初めて3つ勝ったんですよね。 >>54
川畑がいた71年夏は負けたんじゃなかったか? 71年夏は、準々決勝で御所工に2ー3だったと思います。森川さんが現役の、74年夏準決勝で5ー6で負けてますね。 ですから夏に関しては、74年以降郡山には勝っていると思います。 >>58
そうか、郡山に0-1で負けたのは秋の決勝だったのかな。 78年は郡山が選抜出場したと思います。天理は確か、補欠校じゃなかったですかね? 比叡山、吉備あたりと横一線だったけど、天理は浪商に完封負けで、地域性の強みで比叡山が選ばれた気がする。
あの時天理が選ばれていれば、翌年選抜で比叡山が恥をかくことは無かった。 >>66
あのときの補欠は市神港、天理だったかな。
天理は浪商に0-2の完封負けと内容もよくなく、郡山が当確だったため選外。
たしかベスト4の村野工、浪商、PL、郡山につづいて箕島、比叡山と決まった。
最後の7枠目は吉備と市神港が争い、実力的には兵庫一位の市神港が上だったが直接対決で4-3と競り勝った吉備に軍配だったと思う。
天理が選外になったのは早すぎたような感じだが。初戦で平安に3-1で勝っていたし、少なくとも最後の7枠目で三つ巴の争いにならないとおかしい。 72天理も最強ではないかもしれないが印象に残ってる
(中)吉田(遊)藤岡(左)新谷(一)佐藤(二)松好(右)吉沢 (投)金森 (捕)吉村 (三)藤本
吉田さんと新谷さんはドラフト指名されたがプロへ行かず
佐藤清さんはご存知の通り、エース金森さんは社会人野球
偶然分川池の打ちっ放しでバイトしてた松好さんにお会いした記憶がある
準決で津久見に逆転負けしたけど強かった 11のチームは夏の予選に参加していたら何処まで勝ち進んだだろうか。 >>71
前に50代スレで書き込みされたかたですか?
津久見戦、雨の中断で流れが変わった。荒れ球の金森が中断後は妙に制球がよくなり津久見打線につけこまれてしまった。
紀和決勝は桐蔭に20安打、投手力が弱体だから最強とはいえないが秋の近畿も優勝していまし(佐伯天皇の陰謀で選抜されず)、打線の破壊力では歴代屈指かもしれませんね。 >>76
50代スレには書き込んでいないと思います
だいぶ前1970年代の高校野球スレに書き込んだと思います
72天理は見事に2、3点先制(特に初回)して逃げ切るチームでした
金森もノーコンでしたが球に威力があったので好投手いうてもいいと思います
津久見は中川吉近の3、4番の破壊力もさることながら
1番ショート坂東の働きが大きかったですね
準々で好投手辻内を擁する明星を坂東の左翼線サヨナラツーベースで下し
続いて天理を撃破しました
あの年は天理も明星も優勝候補で強かったので
決勝まで明星とは当たりたない思うてたんですが
両方とも津久見にやられましたね >>65
郡山が選抜に出て、百合先生が選手宣誓した年でした。
夏の県大会も決勝戦で郡山と対戦、6―4でリベンジして天理が甲子園に。 >>77
明星戦は水江の一世一代の好投だった。。
準決勝、豪雨で中断中に清水監督は選手にサンドイッチを食べさせたがあれがよくなったかもしれないと著書に書いている。 >>53
この試合、もう一つ珍しいシーンがあって
後攻の郡山が延長に入って
1死、2,3塁のチャンスに
次の打者が外野にサヨナラの犠牲フライを打ったかに見えたが
3塁走者がホームインする前に、2塁走者の帰塁が遅れて
ダブルプレー、サヨナラは不成立。
その後、中西投手の後を投げた足立投手の
決勝タイムリーで、天理は勝利した。 >>80
明星はまさかあの年が最後の甲子園になるとは思わなかった。
72の天理は堺監督、清水部長の時代だったかな? 72年は西村監督清水部長で、堺監督は翌年からではなかったでしょうか? >>87
1972年の夏は西村監督で、
1975年の春、夏は堺監督だから
西村監督の次は堺監督だったと思います。
清水監督は1976年度からだと思います。
交代の正確な時期は忘れました。 そう、清水さんは最初は部長登録。
76年春から監督だったかと。たぶん前年秋から清水さんが監督になったと思う。 清水監督は、確かジャンケン勝ったら先攻主義でしたね。 >>96
清水監督時代の甲子園での先攻、後攻は
76年春…先、後
76年夏…先、後、後
77年春…先、先、後
78年夏…後、後、後、先
79年春…後
79年夏…先、先
80年夏…先、先、先、先 昔は天理以外でも、先攻をとるチーム結構あった様に思います。 高嶋監督の頃の智辯学園や、蔦監督の池田も先攻だった様に思います。 >>110
高嶋監督時代の智弁学園の先攻、後攻
76年春…先、先、先
77年春…先、先、後(早実戦)、先
77年夏…先、先、先
蔦監督時代の池田の先攻、後攻
71年夏…先、後
74年春…後、先、先、後、先
75年春…後
79年春…後、先
79年夏…先、先、先、先、先
82年夏…先、先、先、後(早実戦)、先、先
83年春…先、先、後、後、先
83年夏…後、先、先、先、先
85年春…先、先、先、後
86年春…後、後、先、後、先
86年夏…後
87年春…先、先、先、後
87年夏…後、先
88年夏…先
荒木のときの早実の先攻、後攻
80年夏…先、先、先、先、先、先
81年春…先
81年夏…先、先、先
82年春…先、先、後
82年夏…先、後、先、先 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています