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PL学園は野球部だけではなく、学園全体が存亡の危機にあるようだ。
PL教と言えば「野球と花火」。春と夏に派手な話題を振りまいて、名前を宣伝するのが常だった。
教団の信者数は100万人と言われ、宗教団体では19位、新興宗教系では9位に相当するが、そもそも日本の宗教の信者数の合計は、日本の人口の数倍になるとされ、怪しいものである。

PL教は大正時代に立宗された。江戸末期に生まれた天理教や、昭和初年の、創価学会、辨天宗などとともに「新宗教」に分類される。

これらの宗教は明治から昭和にかけて社会が大きく変わる中で教勢を伸ばした。地方から都市に流入する人々の心のよりどころとなって、信者数を増やしたのだ。
既存の宗教と新宗教の違いは、既存宗教が「志」と言う形で信者の自由意思による喜捨、寄付を求めたのに対し、多くの新宗教は信者に対し「年収の何割」という大きな金を納めさせたことだ。教団により多く喜捨することで、より幸せになれると説いていた。
そのために急速に経済力が拡大し、新宗教は成長した。

各地に教会、支部などを設け、組織としても巨大化した。中には強引な勧誘をしたり、金銭トラブルを起こすなど、社会的な問題を起す宗教もあった。
また宗教内の分派も盛んで、天理教などは5つも6つも新宗教を生んだ。その際のトラブルもあった。次第に社会的な批判も高まっていった。

やがて新宗教は、豊富な資金力を背景に、学校や病院や文化施設を創設するようになった。これは既存宗教のやり方を真似たものだが、そういう形で社会的に受け入れられることを目指すようになったのだ。

第二次世界大戦後、新宗教は都市に流入する人々に対し、さらに布教を進めた。しかし戦後新たに生まれた宗教や、新宗教同士での競争が激しくなった。

そうした中で、一部の新宗教はアピールの格好の手段として「高校野球」に力を入れるようになった。
天理高校、修徳高校(天理教系)、智辯学園、智辯和歌山(辨天宗)、創価高校(創価学会)などがそれだが、PL学園は、そうした新宗教系で最強の学校になったのだ。

甲子園春夏合わせて96勝30敗、優勝7回、準優勝4回、4強以上17回。

PL教は「高校野球」によって、知名度は飛躍的に上がり、カルト的な教団と言うイメージは払しょくされた。

関西の少年野球は、実質的に鶴岡一人が創始したボーイズリーグによって、組織化、体系化された。
ボーイズは、鶴岡が元南海の選手に野球の仕事を与えるために始めたという部分もあった。黒田博樹の父、黒田一博も運動具店を経営しながらボーイズの指導者になった。
PL学園の野球部は鶴岡一人の長男、鶴岡泰の監督時代にボーイズリーグの有力選手を多数獲得し、強豪にのし上がっていった。
ボーイズの発展と、PL学園の台頭は軌を一にしている。

しかし、それは「きれいごと」の世界ではなかった。元プロ野球選手の指導者たちは、選手を高校に送り込む際に、さまざまな形でキックバックを得ていた。また有望選手と抱き合わせで普通の選手を送り込む際に、父兄からも「協力金」の類を得ていた。
さらにPL学園の監督はプロ野球や学校などに選手を送り込む際にも影響力を持っていたから、そこにも「見返り」が発生した。
※このあたり軍司貞則「高校野球裏ビジネス」や片岡 宏雄の著作による。

PL学園は、関西圏、さらには全国から有望選手を獲得していった。彼らの活躍で、甲子園での圧倒的な強者となった。
その過程でPL学園は「高校野球裏ビジネス」と言われる利権の構造を築いていったのだ。

PL学園の野球部は専用の寮に入り、24時間野球漬けの日々を送る。先輩後輩の関係は絶対で、上級生には下級生が「部屋子」と言う形で付き、身の回りの世話から夜食の調理まで面倒を見る。あたかも相撲部屋のようであった。陰湿ないじめも存在し、死者も出た。