50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part.4
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>>850
フォーク投げてたよ
同級生のPL小早川が「当時の牛島君は球は速いしフォークもあったので、ホント打ちにくかった」と
NHKのプロ野球解説中に言っていた >>847
多分、優勝候補筆頭は優勝した箕島。前年のメンバーがごっそり残っていたので評価が
高かった。但し、前年秋の近畿大会準決勝で浪商にコールド負けを喰らっていたので、
人によっては浪商をトップに挙げた。多分
https://blog.goo.ne.jp/tsuchy67/e/49335bccaa73bfb4e7c777b5d15cc87c
が正しい。
確かにあの頃は、特に投手は一人で投げぬくので選抜決勝は2人のピッチャーは
見る影もなく無残な投球で、ノーガードの打ち合いになった。それまで不振だった
4番の北野が三塁憤死で選抜初のサイクルヒットになった。
またPLは2回戦で小早川のどでかいホームランが飛び出し、また8回と11回にはそれぞれ
4点差に対して同点(既に点が入って満塁ではなかったかもしれない)、サヨナラと阿部の
2打席連続本塁打で前年夏の奇跡の延長を演じていたが、準決勝では九分九厘掌中におさめた
勝利がするりと抜ける箕島への大逆転負けで神通力が消えた瞬間でもあった。 荒木にボール返すのを強く返した、と当時新聞に書いてあった気がした。 >>854
そうだったのかなぁ?
手渡したのやはり荒木投手でした!
「勝負せいや」と言ったそうですw >>845
松本の制球難といえば、76年選抜の県岐商戦、76年夏予選の市神港戦、76年秋県大会の滝川戦と枚挙にいとまがなかったからな。
担当記者に迷いがあっても仕方がないかも。 >>852
PLは78夏に優勝しているが78春79春の箕島との直接対決では連敗、箕島は79春夏
連覇、まだこのころは箕島が格上という感じだったね。 >>857
もしも30年以上写真の両者のその後を全く知らなくても
左は誰だかすぐ分かるが、右は誰それ?になってしまうな
ブサは年をとるごとに愛嬌みたいなのになるが、イケは全盛期の100%からどれだけ欠けたかの対比を比べてしまう
この試合当時フジテレビの笑ってる場合ですよ!放送中で
司会は毎日B&Bで、曜日ごとに担当が代わりこの日は紳助竜介の曜日だった
同点となった時に紳助が番組中に大喜びし試合内容を伝えた
そして観客は「え〜〜〜!」の絶叫
この頃はフジや日テレなどの生放送でも、普通に甲子園の話題を出してた
お昼のワイドショー司会してた水前寺清子が熊本工業を応援し泣いたり(これテレ朝だったかな?)
この頃の甲子園は全国民の話題だったな、最初の挨拶で甲子園の話題から始まったり >>859
70年代に箕島は選抜3回、選手権1回の4回も優勝しているからね。複数回優勝は
箕島だけ。PLは優勝1回、準優勝2回だから、決勝進出の回数では箕島の次だけど、
史上3校目の春夏連覇を含めて70年代は箕島の時代と言っても良い。 高松商業の河地投手もフォーク持っていた。浪商戦で香川選手からフォークで三振取った って雑誌にあったのを覚えている。 >>859
連覇の箕島の時代が智弁和歌山の時代へと変化した時、スタイルは変わっても野球王国和歌山の負けない野球が脳裏にやきついている。
神港学園?が唐川の成田をシャットアウトした時、中村高校の山沖が0-3で箕島に負けた試合を思い出した。 >>814
明徳の松田監督、ベンチで試合中にオロナミンCみたいなの飲んでなかったっけ? >>859
箕島初優勝の決勝の相手が北陽だった、当時子供で試合は知らぬが
シーソーゲームで箕島が勝利
7879の大阪は浪商PLという巨大戦力を擁するが箕島に3連敗した
79準決勝箕島vsPL
9回まで3-1でPLリード、しかし9回裏箕島が同点とし
10回裏箕島サヨナラのチャンス、この時PLは3本ホームラン打った驚異の8番バッター阿部が登板
さっきも書いたがエースの竹中が故障で、11番中西(ずっと西川と勘違いしてた、訂正してくれた人ありがとう)
がほとんど投げ、試合開始早々から1番の竹中と9番の林が投球練習する
そんな頼りない急増エース中西であった
結局9番の林は甲子園では全く試合に出れなかったはず
その控え二人を差し置き、ラッキーボーイであった阿部が外野から交代して登板
いきなり暴投してサヨナラ負け
79準決勝箕島vs浪商
試合はシーソーゲームの8-7であったが、なんか箕島が試合を支配し負ける気がしなかった
83準々決勝PLvs箕島
東西横綱が初戦激突し、80イニングぐらい無失点記録してた上尾の日野を初回から攻略
東の横綱を圧倒した西の横綱箕島は、二回戦で初出場明徳と歴史に残る激戦を制する
そして迎えたPLvs箕島、甲子園では三度目の対戦
試合は1-0でPLリード、しかしこれまでの大阪勢と箕島の対戦を記憶している自分にとって
これは逆転されるパターンで、そして9回箕島は一死二三塁
これはお決まりの試合展開だなって思いながら見てたが
箕島スクイズ失敗、そして三振、なんか江夏の21球みたいな終わり方で
箕島の神通力が消えたように思えた 松田さん、今年なんかの暑さだったら、蔦さん最後の年は岡田さんの後見役と同じだったように、後見役出場だったかも。 >>845
>>858
松本の顕著な制球難は76年度まで。
77年度に入ってからの安定感は見違えるよう。
地方大会を見ても、なおかつ相変わらず昔のイメージを引きずっているようじゃ、朝日新聞の記者の予想は進歩がなさ過ぎw >>860
えー生番組で高校野球の話が出るとは!自由な時代だったんですね
当時高校生だった私は夏は高校野球見ていつか水原勇気になるんだ!と女子野球同好会で練習 対戦相手がいないのでソフトボール部になっちゃいましたがw
荒木大輔さんは人気ありましたねーセブンティーンの特集もよくやってました。キャーキャー言われるアイドルはあまり…
蔦監督が好きでした 浪商−箕島の、終盤に箕島の北野が、香川に
「牛島に勝負せいってゆうてこいや」
それでマウンドに集まった浪商の選手と伝令に、
「すっこんどれや!」
と突き返す牛島投手、いかにも当時らしくていい。 >>871
牛島は「なんと孫六」の主人公のモデル
https://blogs.yahoo.co.jp/moguharuyuri16/29415668.html
という説があるが、江夏の最近の自伝を見ると、孫六の(メインの)モデルは江夏だな。 昭和53年の神奈川県予選準々決勝、横浜高校対柏陽高校の試合をラジオで聞いていた。親戚が柏陽に行っていたので柏陽を応援していたんだけど、横浜高校の一年生投手にノーヒットノーランでやられて敗戦。ものすごく残念だった。
外野に飛んだ打球はわずかに一本。それがライトゴロ。
あれがヒットになっていればって思ってた。
スゲーピッチャーがいるものだなと驚いた投手が、一年生の愛甲投手。 >>873
そうなの?高校名が浪城高校、蛇腹の制服、学校のガラの悪さ…などから浪商がぴったりやと思ってたわ。
ちなみに江夏の大阪学院は阪急沿線で淡路の北陽と茨木の浪商にはさまれて虐められる側やったよ。 >>875
学校は浪商でしょう。でも主人公はもう一世代前の方がしっくりきます。例えば浪商
だったら張本が居た頃の無茶苦茶な時代とか。江夏の自伝を見ると、中学の時野球部
に入らず助っ人として参加して、気に入らないのにぶつけた、と孫六そのままの話が出て
いたと思います。それに野球の名門、浪商だったらいくら不良校でも最初の頃のエピソード
はしっくりきませんが、野球部なんてあってなかったような大阪学院で江夏がお山の大将
として君臨した姿が二重写しです。江夏の自伝は二つありますが、多分「燃えよ左腕 江夏豊という人生」
の方です。本屋で目を通してみて下さい。 牛島、椎名にしばかれたって噂立っててワロタ覚え
ヒゲ生えてたしねw
牛島は予選でも一人だけタクで来て終わったらまたタクで帰って行ってた(松下球場) 孫六ボールは一峰大二の黒い秘密兵器を思い出させたな 東京の早業一の中條は早稲田実業の荒木?
愛媛県坂田高校津野監督は徳島県池田高校蔦監督?
神奈川県の浜虎学園は横浜高校?
大阪の新光学園はやっぱりPLだよね?
府立生谷の鴛海投手は西東京東大和の鴛海投手かな? >>872
×秋山→○秋本
達川曰く「広商時代は、大事な局面のサインは全て迫田監督から出ていた。畠山部長とタッグを組んで、特にスクイズはことごとく見破った。」 >>880
「外野から転向してキャッチャー素人の私が、甲子園優勝候校・広商のキャッチャーが務まったのも迫田監督のおかげ。正直、大学に行ってからがしんどかった。「名捕手」と言われて.....」と達川が言っていたなぁ(笑) >>881
YouTubeに東洋大時代の達川の映像出てますね >>865
印象に残るシーンでしたよね。
俺は水さえも飲ませてもらえなくてやってたんだけど、監督が、オロナミンC飲んでるなら、選手も飲んでるんじゃないかな?
そんな風に思って羨ましく思いましたよ。 昭和30年台くらいでも、試合中は水分補給はできた。
練習中はダメ。今考えれば単なるイジワル、なんの根拠もなしだな。 昔、二松学舎が選抜準優勝した後に練習試合したことあるけど向こうのOBが主審やってて捕手にもっと外に曲げろとかここ投げたらストライク取ってやるからとか言ってた。
打席でこんなんやってるからPLにボコボコにされんだよと思った。 名電ー報徳というと
準決勝の工藤と金村の投手戦を思い出すなあ。 名電ー報徳というと
準決勝の工藤と金村の投手戦を思い出すなあ。 名電ー報徳というと
準決勝の工藤と金村の投手戦を思い出すなあ。 名電ー報徳というと
準決勝の工藤と金村の投手戦を思い出すなあ。 愛知対兵庫と言うと、
中京商と明石中の伝説の延長試合を思い出すなあ。 >>878
黒い秘蜜兵器、内容まで覚えてないが懐かしい。 甲子園の土、巨人の星、父の魂、プレーボール。
水島新司のドカベン以前の高校野球漫画。 >>866
箕島PLの第三ラウンドは82年春ね。
前日の明徳との大激戦で200球以上投げた上野山を尾藤監督は連投させた。
前年秋の近畿でPLに勝った吉井もいたのに。
いまだったらネット族が黙ってないだろう。
試合は九回一死二三塁で打者南村。榎田がバント処理を誤ってピンチを広げたときは箕島逆転のムードになったんだが。
南村がタイミングが合ってないと感じた尾藤さんはツーストライクからスクイズのサイン。これが失敗、続く打者も投ゴロでゲームセット。
箕島時代のかげりを感じたのは同意。
83年夏はふつうならミラクル発揮しなくてもよい吉田相手に大苦戦。硯が打ったからよかったものの、前の打席でホームランの硯にスクイズとは、尾藤采配も策におぼれた感じがした。
そして84年夏の取手の大逆転負けで完全に終焉してしまった。 >>893
リトルの団ちゃんでリトルリーグのことを知りました。
うちの方では軟式しか無かったのだけど、これを読んでからリトルのチームに入りたいと思ったが、どこにチームがあるかも、その調べ方も分からなくて断念。 ガキの頃に調布リトルが世界一になった!と盛んに言っていたが、エースは荒木太輔なん? >>893
いまKBS京都の平日朝7:30から「新巨人の星」やってるんで毎日録画して見てる!
ビッグ・ビル・サンダーーーーー!
スクリュー・スピン・スライディングーーーーー!
今はこんな場面だ。
子供の頃コミックで読んだ「太陽に打て」という高校野球漫画はおもしろかった。 http://bunshun.jp/articles/-/8621
日本記録保持者より速い甲子園球児…。陸上競技関係者をバカにしてないか?
これ見て思い出したんが毎年行われる体育祭のリレー、クラブマッチで自分らの在学中は3年連続野球部が勝った。
むしろ、ライバルはサッカー部やったような記憶があるんやが。
ちなみに母校の野球部、陸上部、サッカー部はそれぞれ全国大会の常連やった。
(全国制覇しているのは野球部だけ)
この記事の記者はその辺りをどう思いよるんやろか、、、。 >>900
野球部の5秒8とかは手動というだけでなく加速走だから質が悪い。一流の陸上選手だったら
後半の100mは4秒一寸で走るからね。100m12秒くらいのへっぽこの陸上部に勝っても
何の自慢にならん。 >>901
そう言うと陸上部の全国大会の仕組みとか知らんかった。
たしか、3年連続で1位野球部、2位サッカー部、3位陸上部やったような…。
うちの陸上部はへっぽこやったんか。 やっぱ、高知商業は明神、森田がいた時のように泥だらけのユニだったら勝てたのになあ。 >>900
別にバカにはしてないだろ。
公式記録でもないのに文春のいちいち揚げ足取る感じが気持ち悪い。
文藝春秋はナンバーの毎年似たような甲子園特集をなんとかしろよ >>897
日本国内での多分決勝戦だと思うけどテレビで見た。
調布リーグの試合だった。
チャンネルは忘れた。
荒木大介の所属したチームだけど、荒木がいたかはわからんが。 >>895
80年夏の横浜との対戦や池田のやまびこ打線の影響を受けて
尾藤監督は野球観が変わり、采配も違ってきたんだろうね。
選手の方も82〜84年のチームは、走塁の際に全力疾走しない選手も見かけるようになり
かつてのひたむきさが消えたような気がする。 >>884
根性論で精神を究極まで追い込んで、
その度合いがエグければエグいほど
自己満足できるけど試合では体力温存しときたいみたいな、ボクサーの減量前と後みたいな。 自分も、試合の二倍三倍やったから、試合は楽に思えるはず、なんて練習をしたものだ。今はやらないのか? 調布リーグが出てたリトルリーグ漫画もあったな
サヨク○○派と試合してボール挟まった鉄パイプで殴ってタッチアウト 明日浦学と大阪桐蔭が対戦するが、昔同じ埼玉代表の上尾がやはり準々決勝で原辰徳率いる優勝候補No.1の東海大相模に勝ったことがあった。
でそのまま勝ち進むと思われたが、準決勝の新居浜商に惜敗し優勝はできなかった。こういうところが埼玉代表なんだよな。 黒の秘密兵器とはまた懐かしいねぇ内容は主人公が忍者の子孫とかライバルの打者の秘打
回転打法(打席での縦・回転)が三振にとられないのが不思議やったの覚えてる。 >>903
明神懐かしいw
どんな選手だったかあまり覚えてないが名前は強烈に記憶残ってる いつの頃から根性野球は悪者みたいに言われ始めたけど、結局は根性が物を言う。
馬鹿げた練習と根性野球は別物なんやろう。
打倒江川を果たした銚子商業と広島商業はスタイルは違っても根底は迫力の根性野球やったな。 >>884
練習中の水飲み禁止は、戦前の軍事教練や戦中の実戦由来。実際、行軍中に水を飲むと
腹を壊してとんでもないことになる。今でもインドに行ったら水飲み禁止は常識。
昭和30年代くらいだと上水が必ずしも綺麗でないし、指導者は軍隊上がりが多いから
練習中の水飲み禁止に繋がった。試合中は指導者のエゴもあるかもわからんけど、全国大会
とかだったら衛生面では保証できた。
まあ、水飲み禁止を真に受けた「男どアホウ甲子園」の記述はどうかと思うけどね。
(あの漫画は矛盾だらけだけど、「ドカベン」より遥かに面白い)。 近江がベスト8で、滋賀県が普通に強豪県になったのは同慶の至り。
夏は78年迄未勝利県で、最も遅くまで甲子園で勝てない県として有名だった。
そもそも京滋大会が組まれていてほぼ選手権には出られないのが常だった。
特に78年は、共に群馬の前橋と桐生に春に史上初の完全試合を喰らって、
夏は0-18で完敗して、最弱県の悪名が広まった。翌79年に比叡山が漸く
夏に勝利するとベスト8, 翌年には瀬田工業がベスト4とコンプレックスを
解消する大活躍で、今日の活躍に繋がるようになった。 県岐阜商が秀岳館風のユニフォームに変わるみたいだが、伝統を軽んじて欲しくない。 >>918
県岐阜商はOBの小川閥が糞
一時的には建て直した有能な監督を追い出して超無能なるジュニアを監督にして見事に没落
ユニフォーム変えることは、鍛治舎の改革への覚悟を感じるから肯定的2見たい >>918
マジですか〜?!
古豪は伝統のユニは変えてほしくないなー!県岐阜商のユニ嫌いじゃないけどねー。
ましてや秀岳館風すなわちパナソニック風になったら最悪だ、勘弁してくれ!
ちなみに三重は伝統のユニに戻したもんな。 >>918
ええ…ユニのデザインが松下電器→オール枚方→秀岳館→県立岐阜商業、、、の流れが嫌やなあ。
松下での悪名高いリストラは耳にした事はあるが…暴挙ゆうてもいいぐらいやと思うなあ。 >>794
この時の朝日(ひょっとしたら毎日)は確か仲根と辻内(明星)のピッチングの写真を2人大写しにしていた
と記憶がある。この年の選抜は4強が東日本勢によって独占され、決勝は東京対決だった
珍しい年。夏として東京が1枠だった最後の年でもある。
選抜の時は制球の良い山本を擁する倉敷工業の評価が高かったけど、東北に粉砕され、辻内も無四球男
として注目を集めたけど、期待外れだった。(と言っても改めて記録を見ると良く投げているのだが)。
辻内は同志社->大丸で活躍したけど、同志社では一年上の田尾の方が二刀流でずっと派手に
活躍していた。田尾は大学2年の時の日米野球では投手として選ばれていた筈。 >>913
あの頃、白土三平が全盛だったので二大人気テーマの忍者と野球を組み合わせるのは自然
だったのでだろう。終わり方が如何にもご都合主義のような気がした。多くの魔球が登場
したけど、同じ著者の「どろんこエース」の焼き直しの印象もあった。
まあ、だけど一峰大二と言えばウルトラマンなんだけど。 俺、外人部隊の秀岳館の時は鍛治舎を応援してなかった(むしろ負けを祈ってた)けど、
公立の母校を率いるということで、今度は応援するつもりでいたが、
あのユニにするのならまた応援する気なくなっちまったよ(苦笑)。最悪や!というよりショック! >>924
そりゃ有名な指導者がよその学校で勝ちまくっていたらおもんないわな。
智辯和歌山で勝ちまくっている長崎海星OBのの高嶋監督の事を長崎海星の関係者はどう思っているんやろね。 >>924
どうだろうね。
秀学館の時は他の地区(特に大阪)の選手を集めていたが、
県岐阜商ではそれは出来ないからな。
これで秀学館の時のような成績が残せれば本物だが。
大阪桐蔭の西谷に公立高校の監督をやらせてみたいわ。
西谷なら公立でも色々な手を使って選手集めそうだが。 >>922
東京が1枠だったのは翌73年まで。
桜丘はあまりにも内野守備が悪すぎて仲根が気の毒だった。
辻内は予選7試合でわずか1四球。甲子園でも3試合で1つか2つしか与えていないはず。
あのときの明星には小柄な松本がいたな、長崎海星戦で代打に出てヒットを打っている。 >>927
訂正どうも。55回記念大会だから増枠があったかと思ったら日大一だけの都から代表一校
でしたね。55回の日大一も選抜ベスト8で好投手小山がいたので、そこそこの評価(4強の
次のクラス)だったと記憶するけど、初戦で(同じ選別ベスト8の)今治西に大敗している。
松本は確か147cmだったね。 完全試合って夏は未だに達成されてないのかな?
佐賀商の新谷がやってたら至上初で唯一だったのか? >>929
そうだね。新谷が一番惜しかった。延長で達成したのは王貞治(早実)のみ。
工藤(名電)は先頭打者に四球のみと思ったら投失があった。その後はゲッツーで28人で
終了。因みに工藤は名古屋市立久方中学で市の大会で優勝している。同学年の丹羽とか
がいた中京中学は少なくとも中部軟式野球大会で77,78の連覇を果たしている。
(一年下の78年に中京が選手権ベスト4になった時、全国優勝したと言っていたような気が
するが、確認できなかった。)中京中は多分その年に廃校。 鎮西の松崎は、全国中学軟式大会で、ほとんどヒット打たれずに優勝じゃなかったか。高校でどんなになるかと思ったが 小柄と言えば明星の松本以外に、時代はそれぞれ違うかったが静岡高校と広島商業にも小さな選手が居たな。
ふたりとも小さな身体も思い切り縮めて打席に立ってたのがちょっと悲しかったわ。ファーボール狙いをベンチから言われてたんやろ。
しかも静岡の人は高松商業大北から三振を喫した場面が動画に残されてて気の毒に思うわ。 >>931
アンダースローの優勝した軟式のピッチャーかな? 名古屋電機の工藤君はカーブの投げすぎで手首が曲がってしまい
試合後に元に矯正するっていう実況未だに覚えてる 最近、漢字のユニフォームが多いですね。羽黒なんかは甲子園が決まった途端、
漢字のユニフォームに変更。1986の選抜に出た関東学園大付を思い出しました。
ユニフォームが校名の宣伝媒体になっておりなんか嫌な感じ(漢字だけに)。昔
は取手二が優勝するまで漢字のユニフォームのチームは優勝できないとのジンクス
があったもんですが(取手二の前の漢字ユニでの優勝チームは作新?)。
そんな中、生徒数が300人程度と少なく経営的にヤバそうなのに、経営なんか
知ったことか俺たちは着たいユニフォームで戦うとばかりに(個人的な妄想です)
昔の日ハム風のユニフォームで戦っている下関国際に漢を感じます。 工藤は連投が効かない感じだった。愛知予選でも連投となった準決勝、決勝で点を
取られていたし、甲子園でも準決勝の投球は精彩がなかった。準々決勝までの投球
だったら報徳は打てなかっただろう。報徳ー早実の逆転に関しては、荒木の投球の
リズムがセットポジションで乱れた印象。ワインドアップと言うよりも足を蹴り上げて
モーションに入るようなリズムの取り方だったけど、ランナーが出てそんな大きな
モーションが取れなくなり、結果として連打を喰らって同点。最終的に逆転負けになった。 >>39
古川は有藤の抗議の原因作ったセカンドランナーな。
あと近鉄の高柳も春日部工業だった。
ザキヤマの頃には弱体化してたとはいえ、甲子園準優勝の春日部共栄ではコールド負けは仕方ない。アメトーークネタには笑った。 >>922
えっ?
あの年の辻内が期待外れって、どんな凄い投手を期待していたの?
優勝した津久見の強打線を8回まで0点に抑え、初戦は完封、2回戦は外野の拙い守備で1失点しただけなのに
小柄な技巧派投手だから球速はしょぼかったし
田尾みたいなプロでバリバリやる選手ではなかったのは確かだけどね
準々決勝で津久見水江が一世一代の好投していなければ、明星が優勝したと思うよ >>938
池畑三四郎みたいに七色の変化球を操る天才投手。 >>935
2ちゃんねるのアイドル『はちあたま』は公立なのに昭和62年夏鳥取県大会優勝すると【YAZU】から漢字縦書きの今みたいなのに変わったもんな。 今夏、横浜に勝って8強入りした金足農は、オールドファンからしたら、
1984年夏に初出場でいきなり4強入りした時の鮮烈な印象が強い。
準決勝でKKのPL学園に2対3の惜敗。
桑田に逆転の特大2ランをレフトスタンドに浴びたシーンは忘れられない。
1985年夏がミラクル甲西なら、1984年夏はミラクル金農だなw 明星に辻本より年上のレギュラーがいたよな?
19歳だったかな?
大阪大会の決勝戦で言うてた
決勝の相手は河南高校やったかいな? 明星は、恒例・朝日新聞ゴリ押しの「関西推し」で優勝候補に祭り上げられただけw
実際は辻内頼みで、打線は超淡泊。1、2回戦は、津久見以外評価の低い九州勢相手の所謂「くじ運」。 >>945
レギュラーの内、160cm台が5人。
4番が1年生のキャッチャー。 1972年夏・全国選手権地方大会・大阪大会決勝
明星 10−0 興南
今から46年前w
>>944
仮にその人が当時14歳だったとしたら、現在、還暦w 1972年夏・全国選手権地方大会・大阪大会決勝
明星 10−0 河南
今から46年前w
>>944
仮にその人が当時14歳だったとしたら、現在、還暦w >>912
習志野が優勝したけどね。
済美に勝って、完全に潮目変わって、むしろ神奈川より、勢いあるんじゃない?
花咲で完全に開花したと思うし、
いや、自分でもうまく言ったかなw。
それにしても新居浜商のファールフライのタッチアップ油断こそやらかしだったなあ。たけばは高校生のくせにヒゲ生やすし、松商だったら絶対ありえんわとかさんざん叩かれたよw。 72年の選抜の準優勝校の日大三高は前年の選抜優勝のチームより戦力が充実していた
様な気がする(前年も主力で後に早稲田から阪急に行ってレギュラーのショートで優勝に
も何度も貢献した吉沢をはじめ、待鳥等色々いた)けど、選手権予選は都立戸山なんか
に負けているんだね。その頃の戸山は未だ東大に50人くらいは入る進学校だろう?
一体、何があった?それとも戸山って別にあるのか。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。