50歳以上のおっさんが高校野球を語る Part.4
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>>795
見形な。
1977年夏の東海大相模戦は、自らも満塁ホームランを打って10-0で相模を粉砕。
投打に渡っての大活躍は、まさにワンマンショーだったな。 香川が2年の時じゃない・・・牛島ー香川の浪商のほうが有利と思っていたが河地が意地
をみせた。 >>792
プッシュバントは春夏連覇の箕島やったかな。
江川攻略を目指した柳川商業はバスターやったと思うが。 >>799
S53年春に対戦してるよ。
牛島・香川が2年の時 >>785
中条投手ばかりクローズアップされるが同じチームにはたしか「張り子の四番」と言われのちに西武ライオンズのベンチを長年温めることになる安部理もいたのでは 江川のときの柳川商はバントみたいな構えをしてからのヒッティングだったね
あれで4、5本ぐらい安打打てたんじゃないかな
三振も20くらい取られてたけど >>802 当時、バスターという言葉は使われず、プッシュ打法と呼んでいたので混同が
あったのでしょう。
今日のレジェンドの中西清起は、良く知られているように球道君と呼ばれていた。
一年前の香川がドカベンと呼ばれていたのと同様、水島新司の漫画の主人公の名前であり、
水島の影響力の大きさが窺える。中西は1年次からエース森の傍らある程度投げていて、
1年秋には半々、選抜は森が投げていたような記憶があるが、夏の予選では主戦は中西で
あった。(森はドラフト2位で阪急に入ったが鳴かず飛ばずで引退)。3年になって
本命の選抜は下馬評通り優勝。3年夏は2回戦で前年の覇者、箕島に敗れ春夏連覇は
ならなかった。(夏は既に横浜の方が評価が高かった)。
中西はリッカーから阪神に入団し、85年の阪神優勝の際には胴上げ投手になる等、
抑えで活躍した。実は当時甲子園優勝投手はプロで(投手としては)活躍出来ない
というジンクスがあり、実に65年選抜優勝の平松以来のプロで活躍した投手だった。
(打者転向組だと小川、西田、(活躍の定義によるが)島本等が居た)。夏の優勝
投手のジンクスは更に続いて桑田まで待たないといけなかった(尾崎以来)。 中西が選抜で優勝したときの相手は、帝京の伊東だったよな? >>807
はい。思いの外、競りました。伊東を含め準優勝投手にはジンクスがなかったようです。と言っても
平松以降プロで投手として活躍したのは木樽(銚子商)、新美(PL)、牛島(浪商)くらいでしょうけど。 深谷商の竹内と銚子商の根本の投げあいは見応えがあった
根本は子憎たらしい粘りのピッチングをしてた印象 >>809
60回選手権前に出された甲子園回顧のアサヒグラフでは根本はスタミナ不足と書かれていた。
準々決勝では惜しい処で郡山に逆転負けを喰らった。翌年の選抜では準決勝で日大三に完敗。
夏は習志野にまさかの敗戦。日本石油を経てドラフト1位で大洋に入って、先発の一翼を担った
時期もあったけど、とても成功したとは言えなかったのは残念だった。 >>810
あんときの郡山はエース川畑が良かった
初戦で前年準優勝のPLに勝って勢いに乗ったね
PLには行沢とかいてけっこう強かったけどな >>765
「自演」っぽいんじゃなくて自演そのものだから。
本人も、ハッキリばれちゃって開き直っちゃってるから。
50歳代でこのザマ。
ラガー並みのクズ。 >>811
川畑は良かったのですが、前述の川畑の女房役の福田功を描いた「壁と呼ばれた男」によると
既に川畑の肩は壊れていて、夏の甲子園では荒れ球が功を奏したとのこと。中大に2人で
進学したが、福田は田村の女房役でそこそこ活躍して、中日に下位指名を受けたが、
川畑はほぼ登板機会がなかった筈。 四国の高校はジャンケンに勝ったら先攻を取る高校が多く
高知商も先攻イメージがあり、後攻タイプのPLとの対戦はジャンケンせずとも「先攻高知商、後攻PL」
歴代視聴率最高の1978夏決勝戦では後攻のPLが逆転サヨナラ勝ちした
この大会の高知商は全て先攻
しかし桑田清原1年夏の準々決勝「PL10-9高知商」のデータを見たら、高知商は後攻だった
https://vk.sportsbull.jp/koshien/game/1983/400/7559/
その後の高知商のデータを調べたら、多くが後攻で
いつ頃から後攻の方針に変えたか分からないが
春優勝の高知商と前年夏優勝の箕島が対戦した1980夏二回戦
箕島は後攻タイプだが、箕島が先攻で高知商が後攻
この試合は高知商がジャンケンで勝ち後攻を取ったのであろう
https://vk.sportsbull.jp/koshien/game/1980/400/7404/
元高知商監督で明徳が初めて出場した時の松田監督が、高知商辞めた頃がこの時期と前後してるはずで
監督が代わり戦法も変わったのかな? 「自演」くん、来てくれないかなー
全然盛り上がらない(苦笑) 柳川が江川と対戦したのはメガネの松尾という投手がいた時で、末次や立花はもう少し後の世代だろ。 >>818 作新ー柳川商は73年。久保、立花、末次等は76年。
77年の59回選手権の朝日の下馬評も面白い。結局、座談会で合意が取れず8強を点数化
している。智弁が17点で筆頭、続いて11点で今治西と広商、10点の東洋大姫路、桜美林、
千葉商9点、早実8点、星稜6点。姫路は松本の制球力の無さが懸念されていた。また
この8チームが全て同じブロックに入っており、東邦、大鉄のブロックは1校もない。
(東邦より大鉄の評価が低い。春に優勝候補だった熊本工業は言及されてすらいない。
今みたいに旋風期待の項がないとは言え、酷過ぎる。 大鉄といえばサヨナラ満塁ホームランの川端を思い出す人が多いと思うけど
俺は投手の前田だな
河内の兄ちゃんって感じのインタビューの受け答えがおもしろかった
「ここまで来たら優勝や!」と高らかに宣言したのにはワロタ 池田の蔦監督も勝利監督インタビューで
「次の和歌山のピッチャーはギッチョやろ」と答えてたのが可笑しかった 東洋大姫路の投手・松本が千葉商に勝ったときのインタビューで
アナ「次の試合はどういうピッチングを見せてくれますか?」
松本「完封でもしましょうか?」と答えたのが可笑しかった >>804
安部はデッドボールを喰らった?せいかどうか忘れたが、3回戦の浜松商戦で
右耳周辺を包帯で巻いた痛々しい姿で試合に出てたのを覚えてる。
けれど、この浜松商戦でライトに大きなホームランを打った。
あれには恐れ入った。
>>814
96年の夏に全国制覇した松山商も6試合全部先攻で優勝。
松商といえば県予選は後攻が多かったのに、試合前のトスにことごとく負け続けた
としか思えなかった。
でも全国制覇したのだから、結果オーライ。
>>822
試合に敗れた千葉商のエース野崎、極めて珍しい左右投げ左右打ちだったのを覚えてる。
でも、試合では左右どっちで投げてたのか全然思い出せない。
卒業後、ヤクルトスワローズに指名、入団したが、活躍出来なかったね。 千葉商は0−4で東洋大姫路に敗れたが、松本に手も足も出ず点差以上に力の差を感じて
ショックだったな。それまで2年連続優勝を含め4年連続ベスト8だったがこの敗戦以後
我孫子・市立銚子と初戦敗退、習志野が1勝したが銚子西・東海大浦安が初戦敗退、野球王国
が終わってしまった。
千葉商・野崎は投手では右、打者では左だったような記憶がある。 >>826 やられたというより自滅。
http://www37.tok2.com/home/torpedo/tousyutati.htm
「初戦の相手・済々黌に、いきなり押し出しで3点を献上したのである。
その過程を再現すると、1番→ピッチャーゴロを中条がエラー、2番→バントを
中条が野選、3番→送りバント、4番→四球、5番→四球(1点)、
6番→二塁ゴロエラー(1点)、7番→ショートゴロ、8番→四球(1点)、
9番→四球(1点)・・というものだった。中条はここで一旦降板し、
後でもう一度マウンドに上がったが、その時にも5人に4安打、1四球と1死もとれなかった。」 >>827
言われてみたら、なんかそんな感じだったねー。
そうだそうだ・・・。 >>819
千葉商が過大評価されていたのは、前年までの千葉県勢の活躍により千葉はレベル高いという思い込みがあったからだな
銚子商習志野以外は初戦敗退レベルだった >>827
やられた感か強いのは、相手のエースに仕上げの満塁ホームランを打たれたからかな >>830
そうなのでしょうね。4安打完封で手も足も出ずひどい負け方でした。
翌年の我孫子も朝日は優勝候補の一角扱いで、相手が豊見城とは言え延長初戦負けで、
その後千葉勢の過大評価はなくなったような気がします。またその後は月山を擁した
81年の選抜で印旛がサヨナラ逆転負けを喰らって準優勝したのが記憶に残る程度で、
印旛を含めて準優勝が4回あるのみで、ベスト8にも中々出てこず、平凡な県になって
しまった。 このスレにいたら、なぜか今フッと、
ドカベン、牛島の浪商に「椎名」というかわいい顔した小柄な?(左打ち?)という選手がいたような・・・・そんな選手の名前と顔が浮かんだが・・・・。
確かいたよね??おそらく思い出したのは当時以来だと思うけど(笑) 一番見たのは昭和50年〜平成元年
しかし、この時期の優勝投手ってプロに入ってもバッターに転向した選手が多いんだよな
習志野の小川、PLの西田、横浜の愛甲、報徳の金村、池田の畠山、帝京の吉岡
その点、ピッチャーで貫き通してプロでも活躍した水野、桑田は立派だよ >>834
その時期なら、選抜も入れれば高知商の中西もそうでしょ
阪神のクローザーとして活躍した >>820
前田は河内のおっちゃん風だったね。ピッチングは不安定で、ダメかと思ったら良いピッチング
だったり読めなかった。甲子園では1試合置きにダメー良いの繰り返しになった。特に最初の
土岐商戦では4回でノックアウトされサードの浜口のロングリリーフを仰いだ。2回戦では
16三振完封。3回戦の津久見戦ではノックアウト、といった感じだった。バッティングは
良かった。
でも大鉄で印象に残っているのは、前田の女房役でかつ核弾頭として2本塁打をかっ飛
ばした鍛冶本。打率も良かったと思う。あの時代小さいパワーのある捕手が多かった
けど(中村(上尾)、続木(新居浜商)、嶋田(箕島)等)、そんな一人で77年では
Np.1だった。 津久見の星野って、トッポジージョみたいな顔してたな 津久見の星野って、トッポジージョみたいな顔してたな >>819
77年の朝日の座談会で能代の名前が出てなかったかな。高松が二年のとき。足はまだ高く上げてなかったと思う。
智弁学園の点数が高くて驚いたが。東洋がダントツの候補だと思っていただけに。
両者は予選前に練習試合したが、ダブルヘッダーで東洋の1勝1分だった。山口はなんと2試合とも投げたらしい。 >>840
今は変わってるかもしれんけど、
高松の時の能代のユニ、巨人風だったよな。 >>840
三谷と山口の投げ合いも見ものだったが、案外接戦にはならなかった。 報徳学園の金村の投球終わった後、相手高校の投手が来るまで待っててボールを手渡しシーンが忘れられません
相手の高校はどこだか覚えてる方教えてください >>840
出ていました。座談会で記者が各々評価をする学校を挙げて、それからまとまらないので
(1位3点、2位2点、3位1点と)点を付けて評価して8強を選んでいます。その採点で落ちた
のが豊見城と能代です。この年の能代は初戦で高崎商に大敗しており、高松のピッチング
が注目を集めたのは翌年です。 >>840
東洋大姫路と智弁の練習試合のことも座談会で出ていました。しかしその記者はともかく、
他の記者からは松本=制球難の印象が強かったようです。点を付けた後、智弁が高すぎ、
姫路が低過ぎという意見はありました。(松本については48回選抜の印象が悪かった
のでしょう。選手権ではましだったものの制球は決して良くなかった。結局プロで
成功しなかったのも制球難のためでしょう。あながち姫路批判も的外れではなかったと
思います。確か姫路は、ものすごい数の練習試合をこなしたのですよね。それで殆ど
負けていなかったので選手は優勝して当然と思っていたでしょうけど、安井主将が
本塁打で燃え尽きたと語っているようにスパルタだと後が続きません。)
あの年はいきなり初日の第3試合で山口(智弁)−小松(星稜)の投げ合いがあって、
3回戦で今治西と智弁の激突がありました。結果的には三谷の完璧なピッチング(1安打
完封。1回は3三振)に智弁は手も足も出ず、初回の裏にいきなり今治西が2点を取って
早々に勝負あったという感じでしたね。 >>842
あの時は三谷が風の影響を考えてカーブを投げていると解説者が言っていました。 >>833
トップバッターだった記憶がある
選抜では山本香川牛島のクリーンアップであったが、夏は香川山本牛島に代わり
この4番になった山本選手も香川牛島に負けないぐらい打ってた記憶がある
確かドラフト外で近鉄か南海に入団したような?
春も夏も優勝候補の筆頭は誰もが浪商筆頭であった
しかし上位打線と下位打線に格差があり、守備に少し不安があると課題が述べられてた記憶
浪商は選手交代全くしなかったはずで、もちろん牛島が全イニング投げた
控えに後に阪神で打者としてそこそこ活躍した2年生山脇投手がいたけど
この前年1978逆転のPLも選手交代した記憶がなく
今と違い昔は選手交代は少なかった記憶が強い
守備陣も投手の背番号1から、ライトの背番号9まで揃える事が多く
たまに二桁背番号が守備に出てると目立った
1979春のPLはエースが故障であまり投げらなく、11番西川がほぼ投げ
試合開始早々から控え投手の背番号1と背番号9が投球練習開始
守ってる守備陣も二桁背番号が多く、当時としては違和感があり記憶に残ってる >>847
11番は中西だろう、アンダーハンドの。
1番は竹中。宇都宮商戦でリリーフ登板したな。 >>840
この年、東洋大姫路は戦前から西の横綱と言われ、順調に予選を突破したが、
東の横綱上尾は、予選で熊谷商にコールド負けしたって他スレで見たな。
コールド負けとは普通じゃないと思ったが、高校野球の怖さかな。
>>841
能代はその後、92年頃にも甲子園に出たが、当時のオリックスのユニを真似てたね。 浪商の牛島は当時の高校生では珍しくフォーク投げてた記憶がある。 >>850
フォーク投げてたよ
同級生のPL小早川が「当時の牛島君は球は速いしフォークもあったので、ホント打ちにくかった」と
NHKのプロ野球解説中に言っていた >>847
多分、優勝候補筆頭は優勝した箕島。前年のメンバーがごっそり残っていたので評価が
高かった。但し、前年秋の近畿大会準決勝で浪商にコールド負けを喰らっていたので、
人によっては浪商をトップに挙げた。多分
https://blog.goo.ne.jp/tsuchy67/e/49335bccaa73bfb4e7c777b5d15cc87c
が正しい。
確かにあの頃は、特に投手は一人で投げぬくので選抜決勝は2人のピッチャーは
見る影もなく無残な投球で、ノーガードの打ち合いになった。それまで不振だった
4番の北野が三塁憤死で選抜初のサイクルヒットになった。
またPLは2回戦で小早川のどでかいホームランが飛び出し、また8回と11回にはそれぞれ
4点差に対して同点(既に点が入って満塁ではなかったかもしれない)、サヨナラと阿部の
2打席連続本塁打で前年夏の奇跡の延長を演じていたが、準決勝では九分九厘掌中におさめた
勝利がするりと抜ける箕島への大逆転負けで神通力が消えた瞬間でもあった。 荒木にボール返すのを強く返した、と当時新聞に書いてあった気がした。 >>854
そうだったのかなぁ?
手渡したのやはり荒木投手でした!
「勝負せいや」と言ったそうですw >>845
松本の制球難といえば、76年選抜の県岐商戦、76年夏予選の市神港戦、76年秋県大会の滝川戦と枚挙にいとまがなかったからな。
担当記者に迷いがあっても仕方がないかも。 >>852
PLは78夏に優勝しているが78春79春の箕島との直接対決では連敗、箕島は79春夏
連覇、まだこのころは箕島が格上という感じだったね。 >>857
もしも30年以上写真の両者のその後を全く知らなくても
左は誰だかすぐ分かるが、右は誰それ?になってしまうな
ブサは年をとるごとに愛嬌みたいなのになるが、イケは全盛期の100%からどれだけ欠けたかの対比を比べてしまう
この試合当時フジテレビの笑ってる場合ですよ!放送中で
司会は毎日B&Bで、曜日ごとに担当が代わりこの日は紳助竜介の曜日だった
同点となった時に紳助が番組中に大喜びし試合内容を伝えた
そして観客は「え〜〜〜!」の絶叫
この頃はフジや日テレなどの生放送でも、普通に甲子園の話題を出してた
お昼のワイドショー司会してた水前寺清子が熊本工業を応援し泣いたり(これテレ朝だったかな?)
この頃の甲子園は全国民の話題だったな、最初の挨拶で甲子園の話題から始まったり >>859
70年代に箕島は選抜3回、選手権1回の4回も優勝しているからね。複数回優勝は
箕島だけ。PLは優勝1回、準優勝2回だから、決勝進出の回数では箕島の次だけど、
史上3校目の春夏連覇を含めて70年代は箕島の時代と言っても良い。 高松商業の河地投手もフォーク持っていた。浪商戦で香川選手からフォークで三振取った って雑誌にあったのを覚えている。 >>859
連覇の箕島の時代が智弁和歌山の時代へと変化した時、スタイルは変わっても野球王国和歌山の負けない野球が脳裏にやきついている。
神港学園?が唐川の成田をシャットアウトした時、中村高校の山沖が0-3で箕島に負けた試合を思い出した。 >>814
明徳の松田監督、ベンチで試合中にオロナミンCみたいなの飲んでなかったっけ? >>859
箕島初優勝の決勝の相手が北陽だった、当時子供で試合は知らぬが
シーソーゲームで箕島が勝利
7879の大阪は浪商PLという巨大戦力を擁するが箕島に3連敗した
79準決勝箕島vsPL
9回まで3-1でPLリード、しかし9回裏箕島が同点とし
10回裏箕島サヨナラのチャンス、この時PLは3本ホームラン打った驚異の8番バッター阿部が登板
さっきも書いたがエースの竹中が故障で、11番中西(ずっと西川と勘違いしてた、訂正してくれた人ありがとう)
がほとんど投げ、試合開始早々から1番の竹中と9番の林が投球練習する
そんな頼りない急増エース中西であった
結局9番の林は甲子園では全く試合に出れなかったはず
その控え二人を差し置き、ラッキーボーイであった阿部が外野から交代して登板
いきなり暴投してサヨナラ負け
79準決勝箕島vs浪商
試合はシーソーゲームの8-7であったが、なんか箕島が試合を支配し負ける気がしなかった
83準々決勝PLvs箕島
東西横綱が初戦激突し、80イニングぐらい無失点記録してた上尾の日野を初回から攻略
東の横綱を圧倒した西の横綱箕島は、二回戦で初出場明徳と歴史に残る激戦を制する
そして迎えたPLvs箕島、甲子園では三度目の対戦
試合は1-0でPLリード、しかしこれまでの大阪勢と箕島の対戦を記憶している自分にとって
これは逆転されるパターンで、そして9回箕島は一死二三塁
これはお決まりの試合展開だなって思いながら見てたが
箕島スクイズ失敗、そして三振、なんか江夏の21球みたいな終わり方で
箕島の神通力が消えたように思えた 松田さん、今年なんかの暑さだったら、蔦さん最後の年は岡田さんの後見役と同じだったように、後見役出場だったかも。 >>845
>>858
松本の顕著な制球難は76年度まで。
77年度に入ってからの安定感は見違えるよう。
地方大会を見ても、なおかつ相変わらず昔のイメージを引きずっているようじゃ、朝日新聞の記者の予想は進歩がなさ過ぎw >>860
えー生番組で高校野球の話が出るとは!自由な時代だったんですね
当時高校生だった私は夏は高校野球見ていつか水原勇気になるんだ!と女子野球同好会で練習 対戦相手がいないのでソフトボール部になっちゃいましたがw
荒木大輔さんは人気ありましたねーセブンティーンの特集もよくやってました。キャーキャー言われるアイドルはあまり…
蔦監督が好きでした 浪商−箕島の、終盤に箕島の北野が、香川に
「牛島に勝負せいってゆうてこいや」
それでマウンドに集まった浪商の選手と伝令に、
「すっこんどれや!」
と突き返す牛島投手、いかにも当時らしくていい。 >>871
牛島は「なんと孫六」の主人公のモデル
https://blogs.yahoo.co.jp/moguharuyuri16/29415668.html
という説があるが、江夏の最近の自伝を見ると、孫六の(メインの)モデルは江夏だな。 昭和53年の神奈川県予選準々決勝、横浜高校対柏陽高校の試合をラジオで聞いていた。親戚が柏陽に行っていたので柏陽を応援していたんだけど、横浜高校の一年生投手にノーヒットノーランでやられて敗戦。ものすごく残念だった。
外野に飛んだ打球はわずかに一本。それがライトゴロ。
あれがヒットになっていればって思ってた。
スゲーピッチャーがいるものだなと驚いた投手が、一年生の愛甲投手。 >>873
そうなの?高校名が浪城高校、蛇腹の制服、学校のガラの悪さ…などから浪商がぴったりやと思ってたわ。
ちなみに江夏の大阪学院は阪急沿線で淡路の北陽と茨木の浪商にはさまれて虐められる側やったよ。 >>875
学校は浪商でしょう。でも主人公はもう一世代前の方がしっくりきます。例えば浪商
だったら張本が居た頃の無茶苦茶な時代とか。江夏の自伝を見ると、中学の時野球部
に入らず助っ人として参加して、気に入らないのにぶつけた、と孫六そのままの話が出て
いたと思います。それに野球の名門、浪商だったらいくら不良校でも最初の頃のエピソード
はしっくりきませんが、野球部なんてあってなかったような大阪学院で江夏がお山の大将
として君臨した姿が二重写しです。江夏の自伝は二つありますが、多分「燃えよ左腕 江夏豊という人生」
の方です。本屋で目を通してみて下さい。 牛島、椎名にしばかれたって噂立っててワロタ覚え
ヒゲ生えてたしねw
牛島は予選でも一人だけタクで来て終わったらまたタクで帰って行ってた(松下球場) 孫六ボールは一峰大二の黒い秘密兵器を思い出させたな 東京の早業一の中條は早稲田実業の荒木?
愛媛県坂田高校津野監督は徳島県池田高校蔦監督?
神奈川県の浜虎学園は横浜高校?
大阪の新光学園はやっぱりPLだよね?
府立生谷の鴛海投手は西東京東大和の鴛海投手かな? >>872
×秋山→○秋本
達川曰く「広商時代は、大事な局面のサインは全て迫田監督から出ていた。畠山部長とタッグを組んで、特にスクイズはことごとく見破った。」 >>880
「外野から転向してキャッチャー素人の私が、甲子園優勝候校・広商のキャッチャーが務まったのも迫田監督のおかげ。正直、大学に行ってからがしんどかった。「名捕手」と言われて.....」と達川が言っていたなぁ(笑) >>881
YouTubeに東洋大時代の達川の映像出てますね >>865
印象に残るシーンでしたよね。
俺は水さえも飲ませてもらえなくてやってたんだけど、監督が、オロナミンC飲んでるなら、選手も飲んでるんじゃないかな?
そんな風に思って羨ましく思いましたよ。 昭和30年台くらいでも、試合中は水分補給はできた。
練習中はダメ。今考えれば単なるイジワル、なんの根拠もなしだな。 昔、二松学舎が選抜準優勝した後に練習試合したことあるけど向こうのOBが主審やってて捕手にもっと外に曲げろとかここ投げたらストライク取ってやるからとか言ってた。
打席でこんなんやってるからPLにボコボコにされんだよと思った。 名電ー報徳というと
準決勝の工藤と金村の投手戦を思い出すなあ。 名電ー報徳というと
準決勝の工藤と金村の投手戦を思い出すなあ。 名電ー報徳というと
準決勝の工藤と金村の投手戦を思い出すなあ。 名電ー報徳というと
準決勝の工藤と金村の投手戦を思い出すなあ。 愛知対兵庫と言うと、
中京商と明石中の伝説の延長試合を思い出すなあ。 >>878
黒い秘蜜兵器、内容まで覚えてないが懐かしい。 甲子園の土、巨人の星、父の魂、プレーボール。
水島新司のドカベン以前の高校野球漫画。 >>866
箕島PLの第三ラウンドは82年春ね。
前日の明徳との大激戦で200球以上投げた上野山を尾藤監督は連投させた。
前年秋の近畿でPLに勝った吉井もいたのに。
いまだったらネット族が黙ってないだろう。
試合は九回一死二三塁で打者南村。榎田がバント処理を誤ってピンチを広げたときは箕島逆転のムードになったんだが。
南村がタイミングが合ってないと感じた尾藤さんはツーストライクからスクイズのサイン。これが失敗、続く打者も投ゴロでゲームセット。
箕島時代のかげりを感じたのは同意。
83年夏はふつうならミラクル発揮しなくてもよい吉田相手に大苦戦。硯が打ったからよかったものの、前の打席でホームランの硯にスクイズとは、尾藤采配も策におぼれた感じがした。
そして84年夏の取手の大逆転負けで完全に終焉してしまった。 >>893
リトルの団ちゃんでリトルリーグのことを知りました。
うちの方では軟式しか無かったのだけど、これを読んでからリトルのチームに入りたいと思ったが、どこにチームがあるかも、その調べ方も分からなくて断念。 ガキの頃に調布リトルが世界一になった!と盛んに言っていたが、エースは荒木太輔なん? >>893
いまKBS京都の平日朝7:30から「新巨人の星」やってるんで毎日録画して見てる!
ビッグ・ビル・サンダーーーーー!
スクリュー・スピン・スライディングーーーーー!
今はこんな場面だ。
子供の頃コミックで読んだ「太陽に打て」という高校野球漫画はおもしろかった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています