古代からの日本三津の一つ「安濃津」の津だけを取って日本一短い市名になってしまった

1400年代に明応の大地震と津波で港町は壊滅
大量の土砂で港や街は機能を失い 内陸部に人々は移住
地震の規模や津波から東海、東南海のプレート型地震と思われている