新制その2
戦後公立高校は全員入学が昭和38年まで続く。
入学試験も昭和32年までなかった。
市内学区三校は抽選振り分けが続き、最初の頃は三校とも旧制の名門ということで優秀なのも入っていた。
しかし新設の東高(現西高)が加わり新設に飛ばされることや大量入学によって環境が悪化し、優秀層が私立に行くようになる。
土佐校は戦争で校舎が焼け、財政難のため、男女共学、生徒数の増加をはかった。
私立も戦後は無試験入学だったらしい。