旧制時代その五
城北海南とも廃止はOBが反対し、県と山内家は両校合併案を出す。
結局城北中の校庭に山内家の寄付で新校舎を造り、海南学校が城北中を吸収合併することになる。
昭和7年鉄筋コンクリート三階建ての新校舎(現O津正門部分)に両校が入ることになったが、城北側の反発で退学者続出、大騒動になる。城北生は総合選抜で入ったため、廃止に激怒したようだ。