旧制時代その二
高知県は日本屈指の貧乏県で中学進学率が他県の半分だった。
明治末期の不況で生徒の減った県立二中は創立13年目で廃校、
一中に吸収。三中は二中、四中は三中に名称変更。
大正11年に高知市内に県立新設中学を再設置、新設は城北中、一中は城東中、二中は安芸中、三中は中村中、第二高女新設し、高知高女は第一高女に名称変更。城北中は旧二中跡(現O津)に移る。二中の失敗をさけるため、城東と城北は総合選抜。城北中は旧二中の同窓会を引き継ぐ。