【萩尾望都】大泉スレPart72【竹宮惠子】
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萩尾望都・竹宮惠子・増山法恵
この三人を中心とした大泉時代のあれこれについて語りましょう
■参考文献
一度きりの大泉の話(萩尾望都)2021年4月発行
少年の名はジルベール(竹宮惠子)2016年1月発行
■資料まとめサイト
https://mototemplate.memo.wiki/
■参考ブログ
【村田順子ブログ魚拓】2021年04月26日
https://web.archive.org/web/20210426122201/https://blog.goo.ne.jp/rococom/e/4c12d956c4c795af772196a69e49a61b
【竹宮恵子マネージャーブログ(魚拓)】2021年05月25日
https://archive.is/VTNN0
■関連スレ>>2
■次スレ>>950踏んだ人(もしくはその前後でも)立ててください
■過去スレ
https://mototemplate.memo.wiki/d/%a1%da%b2%e1%b5%ee%a5%b9%a5%ec%a1%db
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■前スレ
【萩尾望都】大泉スレPart71【竹宮惠子】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/1658117156 村田さんの消されたブログのここのところの文章も、増山さんは知っていて、あえて知らぬ存ぜぬを押し通しているとしか思えない
>ずっと後になって、竹宮先生からポツポツと大泉時代に起きたことを直接聞くことがありましたけど、ご自分が言ってしまった言葉に対して「私はこんな風なことをモー様に言ってしまったの」と言うだけでした。
>増山さんに関しては、ずっと「私はケーコタンとモー様の間に何があったか、よく知らないのよね!」と言っていました。そんなまさか!!と思っていたんですけど、どうやら本当のようなのです。ある意味天然です。
また増山さんが語ったとされるこの文章
>あるとき、竹宮さんから、「大泉サロンを解体したのは、あなたを萩尾さんに取られたくなかったから」と打ち明けられた、と
いったい増山さんはいつの時点で打ち明けられたのか
比較的最初の頃なのか
賞を取る前なのか後なのか
トラプロを止めてブレーンになった頃なのか
二人が別居した時なのか
今はもうその場しのぎの噓ばかりつく竹宮さんしか知り得ないことゆえ永遠の謎になってしまったな >>162
コボタンのことだね↓
https://imgur.com/a/fv58qxf
確かに新宿2−60ってなってる
だけど新宿伊勢丹の裏にあったというから住所は新宿3丁目が正しいと思う
昔はそこも2丁目だったのかな?
でも新宿伊勢丹から2丁目って歩いても5分程度だから近いっちゃ近いね
今もゲイバーがひしめき合ってて、夜なんか賑やかで楽しいよ 増山さんは、何があったか知らないというより、
もしかして下井草の夜のやりとりがどれほど深刻な萩尾さんへのダメージになったかを、単純に理解していなかった可能性もあったな
竹宮さんも、萩尾さんを遠ざけて増山さんを自分専属の知恵袋として独占して、萩尾さんに寄宿舎ものを書くのを断念させて、その内描くはずの風木のスタートを衝撃的なものに出来ればよかった
萩尾さんが目を患い、漫画家を断念するかとまで悩み、その後痛みを半世紀も引きずるほどの深刻な心の傷を負ったことは、竹宮さんにとっては多分幸運かつ予想外の副産物だった
敢えて幸運と推測するのはロンド・カプリチオーソから
竹宮さんは決して嫉妬を昇華や克服したのではなく、盲目で短命な天才ニコルよりアルベルの方が素晴らしいとマチアに言わせてた
そして、増山さんは勿論、ダメ押しの卑怯な手渡し手紙のことは、知らされていなかった
その後も別に萩尾さんに隔意を抱くでもなく屈託なくて、萩尾さんが倒れた時に駆けつけたりしてるな
引っ越しの日には、萩尾さんに竹宮さんにかまけて萩尾さんに寂しい思いをさせたと泣いて詫びてる ええっ !? 50年間も目の痛みが続いてたの? うそでぇぇっwww 心の痛みを引きずるほど
でも目も完全には元には戻らなかった
その後月産の枚数が大幅に落ちたとどなたかとの対談で言ってらしたと思うが >>205
萩尾さんが受けたダメージを、増山さんに最も知られたくなかったのは、
ダメージを与えた当人でしょうね、
知られないための最善策は、傷ついたのは自分であり、悪いのは相手と
話をすり替えること、だったのでは。
萩尾さんが受けた目と心の傷は、
目のほうはある程度回復したが(但し月産100枚→40枚に落ちたと水野対談で証言)
心の傷、PTSDは減衰しつつも半世紀にわたって続いたように思えます ドライアイは漫画家の職業病
萩尾さんは、とくに体質的に目がウイークポイントだった
当時の目医者が藪だっただけ >>210
竹宮さんのいじめが原因の心因性の眼病でしょうね >>211
呼び出されて、盗作じゃないの?って聞かれたり
別居しましょうと提案されただけで、いじめ( *´艸`)プッ
どんだけ生ぬるい世界で育ったんだかwww 精霊狩りの仲良し三人組、構想はあったのに、辛くて描けなくなっていたってあったな
三作目をやっと描いて、それきり
あれは残念なことだった
心を許せる親友と信じていた二人の突然の仕打ちは、それほどショックだった訳だ
せめて増山さんにだけでも、率直に誤解だからと話せれば、きっと少しは病状も改善しただろうに
だが、イギリスで悩み抜いた末に、漫画家を続けることにして帰国したら、
もはや増山さんにも冷えて白々としたとした心持ちでしか接することができなくなってしまっていたね 思い出を切り抜く時だったと思うが、人との距離の取り方が分からなくて失敗したという趣旨のエッセイがあったね
やはりこの苦すぎて辛すぎた経験から、幾分対人関係に臆病になってしまわれたのだろうな
その後、モスクワの事故で九死に一生を得て、何か悟って突き抜けてしまわれたようだったが >>214
総特集本の城さんのインタビューの中に、
萩尾さんが人の顔がちゃんと描けない時期があった、という話がありますね
一緒に暮らし始めた頃、対人恐怖の気持ちと関係があったと思うが、
人の顔(似顔絵)がちゃんと描けない。映画や写真、マンガならそっくりに描けるのにと。
大泉本の後にこの話を読むと切ないです 対人恐怖の原因となった?「小鳥の巣」を、読み返すのも辛い時期があったかもしれません
そういえば竹宮さんも「ロンド・カプリチオーソ」が辛くて読み返せない時期があったそうですが
村田さんによれば「強いから」乗り越えられたのでしょうか 皺くちゃ婆さん達が50年前の痴話喧嘩をめぐって必死で口論
くだらん >>217
自分も同じでしょーが
てか、そもそもネットで歳は関係ないだろ?
高齢者も低年齢もいくらでも偽れるんだから
パトは反論出来なくなるとすぐに小学生に戻って、問題を誤魔化すんだから
恥じゅかちい奴よのう おおっと!! 苦し紛れに主語を大きくしましたよwww >>221
増山さんと竹宮さんの派手なケンカは痴話喧嘩だったんか >>212
萩尾さんは増山さんに会いにOSマンションに行っていたのに、それすら竹宮さんには許せないことだった
そこで竹宮さんは一人で萩尾さんの元に訪れ、絶縁状を渡した
竹宮さんの赦せないところは、萩尾さんだけ切ったってことだよね
萩尾さん以外の、例えば増山さんだったり佐藤さんだったりささやさんだったり城さんetcはみんな、その後も自由にOKマンションを訪れることが出来た
(途中、城さんは自ら脱退したけど)
要するに仲間外れにしたんだよね竹宮さんは
どんだけ心が狭く卑怯で思いやりがなく冷たい野郎なんだろ
それでいながら、今ならドラマ化すれば文化功労者になれると踏んで、しおらしくジル本に「嫉妬してた」とまで告白したのに本をつっかえされてザマミロ ロンドカプリチオーソが辛くて読み返せないって、
それは若くて青くて、ひとり芝居の空回りで萩尾さんに嫉妬してのたうち回っていような時代が、気恥ずかしくてだろうな
でもそれは決して作品で嫉妬や焦りを昇華していたわけじゃなかったように思う
ニコルよりずっと苦しんだアルベルの方が優れているのだ、ニコルはこれから隔離されていた狭い世界から出て、無垢な状態から人の世界を知り嫉妬や嘘やそれまで知らなかった負の感情を知っていく、でもその後僅か二年で逝ったという定まった結末なのだから
自分は自分であり、優劣に拘らず自分だけの世界を作っていくって心境に行き着いたわけではなさそうだ
本当に昇華していたなら読み返せないなんてことはないだろうし、
その後の執拗な後追いとマーキングもないだろうから
盗作呼ばわりの元の風木を持って、プチフラワーに山本編集者にごり押しして移籍するとか、
光瀬さんと組んでオリジナルの原作を書き下ろしの進行形でもらうんだとか、
自分の方が寺山さんと親しいぞ、恋愛関係なんだぞ、とか誇示してるように見える
もしかして、紫綬褒章まで追いついたから、お次は大して実態のない大泉サロン革命伝説の定着大衆ドラマ化で
文化功労者を獲るぞ言う野望が仮にあったとしても、いかにもこの方ならと感じてしまう ロンカプのニコルにも罪があるという当時のクロッキー帳ポエムを、電子版で公開したのはどんな心境からなんだろう。 ロンドカプリチオーソだが、アルベルを凌ぐ才能をもち、絶対的な父親アスツールに認められて
父親がずっと温めていたロンドカプリチオーソを滑る資格を与えられたニコルが事故で失明
帝王と呼ばれるようになったが、伸びきって行き詰まったアルベルが、
無心に滑るニコルの表現を盗み、帝王の新境地と絶賛されたって筋も歪んでる 寺山さんと光瀬さんのことが、竹宮さんの方から彼女がご執心という噂が流れてきたら、
萩尾さんはかち合わないように、いくら残念でもそっと進路変更っていう例に上げられていたが、
これほどのビッグネームとの仕事ではなくても、他にもいくつも似たような事案があったらしいことが文章から窺えるね
後追いのための情報収集は怠りなかったということかな
共通の友人やアシさんからさりげなく聞き出すとかかな?噂も意図して伝わるようにしてたかな? >>230
自己レス
あ、読み返せないってのは、あまりにも自分の醜い願望を、
素のまま作品にダダ漏れしてしまったことに気がついてしまったからかな
お二人をよく知る人々にとって、ロンカプに描かれていることが、何を意味してるのか、なんの比喩なのかあからさますぎただろうから >>227
昇華はできず、ただ、苦しい感情をたたきつけただけではないでしょうか
読み返せなかったと言っても、2016年カレイドスコープでは
「重いものを表現することにすごく一生懸命」で
「今振り返ると妙に艶っぽい作品」「風木の練習によかった」と肯定していますから
当時の萩尾さんへの嫉妬や焦りも、艶っぽい思い出に昇華する強さがおありなのかもしれません >>225
> 萩尾さんは増山さんに会いにOSマンションに行っていた
ダウト!
竹宮さんと増山さんに呼び出されたんでしょ
脳内現実の話はしないでねw >>233
大学学長とか漫画学会会長などの肩書を得て、
萩尾さんに追いついた、並び立ったと思ったからこそ余裕が出て、
ジル本を書いて、過去の美化や自分上げをしたのか
竹宮さんは、自分でもナルシストって認めてたね
作家としてはもう差がつきすぎてるから、並び立ったってのは、単なる錯覚だと思うけど 会いに行ってたってのは、呼び出しの件ではないよ
増山さんと話し込んだり、編集部から貰った発行されたばかりの雑誌を見せてもらったりのために、しょっちゅう訪問してたって記述があったのだがな
それが、竹宮さんには耐え難いことだったらしいが >>236
仕事中に隣でペチャクチャおしゃべりされたら集中できないだろ
気が散るから来ないでくれというのは当たり前 >>232
兄アルベルは、事故後5年もの長期間、失明した弟ニコルに会わずに放置してる
何故5年かと言えば、医者が先天性の心臓疾患によりニコルの余命は5年と告げたから
でもその間、ニコルを閉じ込めた別荘には毎冬こっそり見には行ってるんだよね
そして木の陰からスケートしている姿を見て、彼の才能と成長ぶりに嫉妬しつつその表現を盗んで
自分の演技として滑って高い評価を得てる
更に、ニコルにはスケート以外に触れさせない
外の世界に触れさせない為、点字を習わせることや友人とつきあうことも禁止
ラストで大怪我を負い生きる気力を失ったアルベルに対し、二人から慕われるマチアという女性は
短命の天才より長生きする人間を選ぶ、自分で運命を選び流れを変えて来たあなたの方が素晴らしい
と言って彼と結婚することを選ぶ
アルベルは常に弟への愛と嫉妬とで葛藤しており、罪の意識があるからこそラストで生きる気力をなくす
という報いを受ける訳で、その展開で彼の罪深さを中和しようとはしてるけど
それぞれのモデルが誰かとか大泉本によってもろもろの背景がわかった上で読むと戦慄せざるを得ないわ ならば、集中できないので今は遠慮してねとか、喫茶店や萩尾さんの住まいでやってねと言えば済む話だねw
サロンを気取ってた大泉では、出入りする大勢の人がワイワイ夜中もやってて、萩尾さんはその喧騒の中で静かにマイペースで自分の仕事をして、就寝の時間が来たら抜けていたのにね
増山さんと付き合わないで、増山さんは私のものよ、という独占欲以外の何が? >>239
ふふ、そうだね(小悪魔の笑み)
レズの恋愛感情はよく分からんが >>238
ロンカプは、出奔後のニコルと友人になった音楽家らしき青年ルパートが、ニコルから聞かされた話を回想するって形で、ポエムもどきで始まりポエムもどきで終わるんだよね
ニコルは既に故人、宣告された余命よりいくらか長く生きたけど
なんか寒々しい
自分の醜さを吐露したアルベルを、マチアに思い切り持ち上げさせるのも、
ナルシスティックでなにか寒い
それでも、生々しい感情がそこに叩きつけられていたから、竹宮作品のなかでは例外的にキャラが紙芝居ではなくもう少し厚みがあり、いくらか生命を持っていて、それがこの作品を印象的な忘れ難いものにしてるのかも >>223
盗作だと捏造の言いがかりつけたり、ファンクラブ通して悪質なデマ流すのは痴話喧嘩とは言わない
創作行為にかかわる重大な問題を、意図的に矮小化しようとするのは、未だに指示が続いているのかな >>242
それこそデマでしょ
あんたもいい年こいて萩尾さん独り占めしたいなんて
気持ち悪いにも程があるよ、城章子さんw 思い出したけど、執事のお爺さんにも、理屈にならない理屈の感情論で、アルベルのやりようを憤る妻との言い合いの中でアルベルの弁護をさせてた
アルベルの罪深さは苦しんだから許されるべきだし、だから自分はアルベルの味方だと
そこに様々な機会を奪われきて、残り少ない命のニコルに対する視点はなかった
正直、とても気持ち悪い >>235
ジル本の企画・構想は、発行2年前の2014年。
この年4月に学長就任、11月に紫綬褒章受章ですから
作家として追いつけないが、教育者としてマンガ界に貢献できた
これで同格、並び立ったと自信を持たれたのではないでしょうか カレイドスコープの79pに、ロンド・カプリチオーソの
クロッキーノートの画像が載っています
「知らないで人を傷つける罪の大きさについて」
「きみはぼくに何をさせた?」
「ぼくのしたことは罪深い だかそうさせたきみはなんだ」
これらの言葉が本音とすれば、
ぱふの54p「竹チャンマンがいく」に村田さんが描いた
「竹宮さんは……よく泣く ううう わたし悪くないモン」や
74p中島梓さんの「竹宮恵子は女そのもの」発言に通底するものを感じます >>259
それがロンカプ電子版のおまけについてます。
載っているのは電子版だけという人がいたので、まとめサイトに収録されていなかったと
思うのですが、カレイドスコープにも載っていたならその記事はまとめサイトに載せられるかな。 完全に言いがかりですよね。
罪を犯す気にさせた相手が悪いという理屈。 >>248
>246さんとは別人だけど、ロンカプ電子版のおまけの画像で良ければ
https://imgur.com/a/xnGzllP >>243
盗作と言いがかりつけた件は竹宮妹も村田75年頃会長も認めてる
ファンクラブでデマが流されてたのって村田会長の時代?
トーマ連載中にデマが流れてたことは、複数の読者が記憶してる。誤魔化せないよ >>250
ありがとうございます
画像1枚目の左頁がカレイドスコープ掲載の1点とおなじです
もう1点掲載されたクロッキーには日付「73,8,5」が入っています >>252
ちょっと見づらかったですね
1頁ずつの方が良かったかもしれません
もう1点の方、確かに日付があります
念のため画像で
https://imgur.com/a/N9MDTZp いけないいけない
上の画像はロンカプという作品の初出の日付だったのですね >>255
多くの後進を育てたねえ・・・・
一人も知らん? 作画グループの人だね
新書館で描いてたと思うが、読んだことないな
精華大学の教授長いことやってて、今は名もない新設の大学で教官か
文化庁って訳のわからんことばかりやってて、クールジャパンは金の無駄遣いで、使途が不明瞭な金も多いと一昨年あたり見かけた新書でバラされてたと思う
竹宮さんは文化庁に影響力持ってるのかな?
結局この講演は、仲間内のほめっこというか自画自賛? 竹宮さん、ほとぼり冷めたと思って
ここらで大人しくしてるのは終了で、また本格的に自己宣伝始めるのかな? 文化功労者目指して、もうひと頑張りする気かな
アイズナー賞は無理でも >>255
belneさんは、元アシスタントで漫画家のみすた・ベルネさんでしょうか
その方なら1982年のぱふにも「生涯一ファンで満足」と書いているほどですから
筋金入りの竹宮ファンだと思います
竹宮さんのマンガ教育者としての功労を称えるにはうってつけの方でしょう >>262
そのベルネかぁ!
いや~、不思議な名前の聞いたことのない漫画家さんだなあ
きっと売れてないか廃業してるんだろうなと思っていたら…
しかも女性だと思ってた >>264
えっ、そんなあ、噓だあ
何でそう思ったの? みすた・ベルネさんは徳島時代から文通していて、桜台のアパートで初めて会ったと話していますね
ぱふの口調からは女性のように思えます >>255
【高校教諭対象】第25回文化庁メディア芸術祭功労賞受賞記念イベント開催のお知らせ
↑これでググると出てくるイベントの関連ワークショップなのでは?
belne教授のプロフィールもあります どっちも、漫画や漫画教育wについて偉そうに語れるほどの功績があるのかなあ? 蒼の男のベルネさんとは違うのね
漫画家なんだからどちらも代表作くらい書いておいて欲しい 竹宮さんが仲良く出来る漫画家って、やっぱり自分よりも才能の劣る人、なんだよなぁ Belen(天碕莞爾)氏プロフィール
みすた・べるね
メイン(個人) BELNE
別ペンネーム 天碕莞爾
生年月日 12月3日
性別 不明
血液型 A型
https://mangaseek.net/person/17886.html
1955年生まれ(東京都出身)
76年みすた・べるねのペンネームで秋田書店ビバ・プリンセスでデビュー。代表作は「異端文書」「蒼の男シリーズ」「はないろ語り拾遺帖」など。 原作者として、山本航暉「ゴッドハンド輝」の光線監修を手がける。共著「マンガで読み解くマンガ教育」(阿吽社)の執筆に参加。新潟コミティアコ ミックワークショップ講師。開志専門職大学アニメ・マンガ学部教授。 >>272
>>274
ありがとう
若い頃好きだったから残念だわ
蒼の男途中までで追いきれてなかったから老後の楽しみになんとか探し出して揃えようと思ってたけど諦め付いて良かった >>276
作画グループのSG企画が在庫まだ持ってるんじゃないかな?
本当に欲しいのなら、通販サイトがまだ生きてるかも 竹宮さんのツイッター見た
どうやら対談相手のbelneさんが文化庁功労賞を受賞したため、そのお祝いと記念にコミティア会場にて公開対談が決定したらしい
竹宮さんはオンラインで参加とのこと
問題のbelneさんだけど、確かに性別はどこにも書かれていないけど、漫画の絵柄的に女性っぽい気が >>278
ベルネさんは女性ですね細かい事は分かりませんが
デヴィッド・ボウイのファンでその界隈でも有名でしたね >>279
そう言えばチラッと見た漫画の主人公、デヴィッド・ボウイっぽい 文化庁メディア芸術祭功労賞は漫画家ではなく
編集者や評論家がもらうことが多い賞。山本順也さんも貰ってる 文化庁メディア芸術祭実行委員会のサイトを見ると4人選ばれるんだね
https://j-mediaarts.jp/award/special_achievement/
まあ世の中、賞に溢れてるね
漫画部門では「ゴールデンラズベリー」
去年は「3月のライオン」
なんかコレわかるわ〜 たしかにその選考、なんとなく分かるけど、意味がある賞とも思われん 「ベルサイユのばら40周年記念本・池田理代子の世界」に、木原さん側からの例の萩尾さんが引っ越しの際に言ったとされる「わたしが近くにいたらうれしい?」「うれしいうれしい」が載ってて、ほのぼのした〜
https://manba.co.jp/topics/29686/comments/201819 >>285と>>286
そうそう
でも名称だけは立派そうに聞こえるのがなんとも言えない Part67でロンカプが話題になってて、気色の悪い例のロンカプクロッキーのポエムが全文上がってたみたい
それにしても、竹宮さんってなんであんなに人体を描くのが下手なんだろう? ちょっと意地悪な見方になるが、教授になって学長になって、
さして売れない漫画家を教官にして、恩売って子分を作ってたのかな? わかる!
子分ですよね、周りに侍っているのは
自分よりも才能のある人はつぶす
才能のない自分を持ち上げてくれる人は大切にする
あと
「出る杭は打たれる」という諺があるけど、逆に「出過ぎた杭は打たれまい」
で、若い頃、竹宮さんにとって萩尾さんは出る杭だった
今は出過ぎた杭なので打てないどころか、利用したい人間になったってことだね 自己レス
× 才能のない自分を持ち上げてくれる人は大切にする
〇 才能のない、自分を持ち上げてくれる人は大切にする 作詞の才能もないくせに
「へたくそ」の一語に尽きる Part67の時も書いたけど
兄弟の父は、ニコルの表現力豊かな天賦の才を愛し「ロンド・カプリチオーソ」を表現する夢を託す
自分のスケートを踏襲し大会に出て勝つことは兄のアルベルにだけ課した
ニコルには競技としてのスケートをさせるつもりはなく、ひたすら芸術としてのスケートを目指させ
規定通りでない自由な表現をさせる
父親は、当時の花形である週刊誌で連載する王道作家を目指させようとした山本さんに似てるし
ニコルの立場は月刊誌で自分の世界を表現させる事を期待され自由に描かせて貰ってた萩尾さんに似てる
アルベルの嫉妬は、ニコルの才能だけではなく彼の方がより父親に愛されてると思い込んでる事も原因
これだけストレートに感情ぶつけた内容を読んだ山本さんは、どんな風に感じていたんだろうな >>296
アメリカンパイのグランパやメッシュのミロンみたいに苦労性で、頭掻きむしって苦悩してそうだな
だが、当人が強く思い込んでるものをどうすることも出来ず、期待してたのに迷走を続けてパッとしない作家になっていくのを見守るしか無かったのでは?
出来たことは雑誌の足を引っ張ることになっても、仕方なく引き取って風木の始末をつけさせることと、プロにあるまじき心得違いの締め切り遅れや手抜き原稿を強く叱責することぐらいかな 連載は少コミだったようだけど小学館では単行本にならず、なぜか朝日ソノラマだったんだよね >>297
山本氏は退職後、精華大学のマンガ学科教員に就任
これは在職中にできなかった指導、フォローを兼ねていたのかもしれませんね
1年後の教え方を考える合宿にも山本氏は参加していたと思われます 竹宮さんの漫画家になりたいというのの根本が、創作者になりたい、自分だけの物語を世に送り出したいではなく、器用さを生かして手っ取り早く有名になって人気者になって、富を得て豪邸建てたいでは、山本さんもさぞ扱いかねただろう
当人が何が描きたいかも分からないから、個性の打ち出しようもない
しかし安定した連載の機会と人気が得られて原案者と組むことも出来る王道は、当人が初めから見下してるときてる
にも関わらず、自分が萩尾さんと同格の扱いではないと不満を抱き嫉妬するって、これはもう好きにしろ、面倒見きれんとなりそうだ
嫉妬の末に何やらやらかしたことも、萩尾さんの著しい不調やらロンカプであからさまだし、同居をもっと強く止めるべきだったと後悔していらしたのではないかな >>312
山本さんと竹宮さんは精華大で顔を合わせて一緒なことを知り、腐れ縁に笑いあったという記事を読んだことがある。
どちらかが片方を呼んだとかの関係ではないみたいだ。
山本さんは風木がプチフラワーに来るのを渋っていたくらいだから(ジル本だっけ)、
竹宮さんの面倒を見る気はなかったと思う。 >>301
竹宮さんが腐れ縁って言葉使ったんだったよね
それって、恩義ある編集者にものすごく失礼な言い草 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています