小学生の頃に書いてあったヴィレンツは清らかだったろうに

竹宮恵子の独占欲が他害にまで向かなければ、増山のりえは萩尾望都と断絶することなく竹宮プロデュースをし、萩尾望都の実力と人気が堅固になる80年頃に清らか版ヴィレンツを萩尾に託し、最初から原作者として名を出す道もありえた

実際の竹宮版ヴィレンツは後半ネタが尽きてボブ無双