【イワナ】渓流釣り総合スレ16魚籠目【ヤマメ】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
本流から源流まで。
餌、テンカラ、フライにルアー
イワナにヤマメ、アマゴ、ニジマスなどのマス類も。
各都道府県専スレでは書けない雑談や初心者相談などもOKです。
他人に対する誹謗中傷や釣り場の詮索等はお控えください
スレ立てする際レスの一行目に「!extend:checked:vvvvvv:1000:512」を追加して下さい。
前スレ
【イワナ】渓流釣り総合スレ15魚籠目【ヤマメ】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/fish/1534476230/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured 因みに美人女将は、
ウエスタンハットを被りサングラスをかけた俺が
旅館の玄関から入ってくるのを見て、初めはハリウッドスターが来たのかと思ったらしい。
「口髭なんか蓄えちゃって〜どこの男前かと思ったら○○さんじゃないの〜」
黒い縁取の入ったブラウンのカラーコンタクトをした目をキラキラさせて美人女将は言った。
俺と美人女将は初めて会った10数年前から、とにかく波長が合った。
10数年振りに美人女将との再会を果たし
それまで空いた長い年月を埋めてしまうかのように
2人は寝る間も惜しんで互いの体を求め合った。
極上bodyの美人女将との燃えたぎる一夜を過ごし、帰路につく俺の足取りは非常に軽かった。 >>656
自己愛性パーソナリティ障害だな
ちなみに反応がないのは卓越した文章に読者の方が心酔してるかららしい
ついでに反応はしないけど熱心に読んでくれてる隠れファンが沢山いる設定だとよ
ホントある意味無敵だよな レス番飛んでるとこみるとSSガイジNGできてるみたいだわ
スッキリした 大物を釣った事がない人や、まともな魚を釣った事がない人とゆーのは、どーも他人の釣果が余程気になるのだろう
「魚を見せろ」としつこく迫ってくる
しかし
人里離れた山深い溪に棲むヌシのような大物とゆー物は、言わば、「神」に最も近い「崇高なる存在」であり、
誰もが簡単に拝める魚ではないのである。
険しい溪を訪れ、竿を出した者の中でも「極限られた一部の者だけ」がその姿を拝めるのである。
そうした「崇高なる存在」とゆーものは自分の眼にだけ焼き付けたいものなのだ。
ここの連中の様な赤の他人に見せびらかすほど安い魚ではないのである。
とはいっても
自慢したがりな俺は、同行した釣り仲間や友人達、美人女将といった親愛なるガールフレンズ達、そして家族。それらの「親しい間柄の人達にだけ」はその崇高なる生命体を収めた写真も惜しみなく見せるのではあるがw 俺にとって
平成元年から平成30年にかけての30年間は、
自分自身にとって最も重要な時期であった。
特に平成18年頃から平成30年までの12年間は俺にとって画期的であり、渓流釣り師として最高の12年間であったといえるだろう。
ここに今まで記してきた内容は年号がちょうど平成に変り、その当時から現在までの事柄を簡略に振り返ったもので、自分がいかにして渓流釣りに傾倒していったかを簡素に書きつづったものである。
俺がここの記したものは
決してフィクションではなく、全てが「事実」であり、「実体験」である。
しかしそれは単なる釣行記ではない。
俺個人が数々の経験を積み重ねて、ついに辿り着いた「聖域」への内的な記録であり、俺が持ち続けた渓流釣りに於けるロマンチシズムへの限りなき挑戦の歴史なのだ。 せっかくNGにしてるのに話題に上げる奴も同罪だな。。。 >>664
もうこの駄スレ終了だろ。
こっそり別スレに避難して、このスレ埋め立てて「次スレ立てない」って流れが良いとオモワレ。 >>666
駄スレも何もシーズンオフだからしょうが無い。自伝ファンタジー小説は保守代わりと思って放置で良いでしょ >>666-667
おまえらのチンケな釣り談義より百倍面白い JaneStyleなんだけど
6行以上の書き込み自動NGする方法ないの? 私は渓流の釣り針は25年前に閉店セールで購入した鬼印矢島7号と同じく8,5号
だけど前者は関東、後者は東北で使ってたけど、もうどこにも売ってないみたいですね
皆さんはどうなさってますか、お勧めの釣り針ありますか? 現在の渓流釣りは、
殆ど漁協の放流に頼っているのが普通であり、
いわば人間に管理、コントロールされて釣り場が成り立っているのが現在の渓流釣りの実態である。
人間が管理しているのだから、釣り場は管理する人の意思によってある程度変える事ができるのである
例えば、昨日まで魚のいなかった死の川が、放流によってたちまち魚影の濃い川に変身する事もあるし、
昨年よく釣れたからといっても放流が継続されていなければ翌年は全くダメな釣り場に変わってしまう。
こうした人為的な要因は、いままであった古き良き時代の渓流釣りを根本的に変えてしまったのだ。 源流イワナ釣りでは必要もないほど
繊細な釣りのテクニックが要求されるのもヤマメ釣りの特徴だろう。
シャープなアタリに瞬間的なアワセが必要だし、魚に警戒されないための仕掛けの流し方などイワナとは比較にならないほど神経を使わなければならない
釣り方が独特の繊細なものであり、かつ釣り場が人為的な要素によって成り立っている所にヤマメ釣りの特殊性がある。
どの川に大物がいるか
もしくは、どのポイントにいい魚が入ってるか
そうした情報をいかに正確に予想し、
機動力のある方法で攻略するかという事が「現在の」ヤマメ釣りのキーポイントになる。
昔のように車止めから何時間も歩き、1つの河川で丸1日釣るという長閑さは時代にそぐわなくなったのである。
正確な情報源を持ち、車を駆使して、幾つもの川のほんの部分部分を釣っては、次の川へ素早く移動する
「効率重視」の釣り。
山岳渓流のイワナ釣りで持ちうる古き良き時代のロマンチシズムは、ヤマメ釣りでは陰を潜め、合理主義と機動力の時代に変わったのである しかし、だからといって悲観すべきではない。
放流によって絶滅寸前だったヤマメの数は回復し、
成長の早い、型がいいヤマメが作られ、これらが意図的に放された結果、釣れるヤマメの型が飛躍的に良くなった。
昔は、尺ヤマメを釣ることは至難の技と言われたが
、現在では尺くらいのヤマメは珍しくはなくなったのである。
早い話が、尺ヤマメを沢山放流している釣り場へ行けば簡単に釣る事ができるようになってきたのだ。
その最もたる例が
関東を流れる1級河川の本流の中流域にあたるエリアであろう。
これらのエリアには
尺ヤマメどころか40センチを超えるサクラマス化した超大型のヤマメまでもが放流されている川もあるくらいで
いまやニジマス釣り場の様相を呈したきのが、本流釣りの実態なのである
昔の放流魚は鰭が丸く擦りきれていたり、ボロボロの個体が多く「雑巾マス」と揶揄されたものである。
しかし最近は養殖技術の発展で、鰭も比較的綺麗な状態のものが出荷される様になってきた。
しかし放流されて間もないそれらの魚は当然引きも弱い上に、直ぐに釣り切らてしまう。
釣り切られたら再び漁協が放流をして補う。その繰り返しで魚の量を保っているのが現実なのである。
利根川の様に海から刺してくる天然遡上のサクラマスも数は少ないながらも確認されてはいるが、ことヤマメに関しては型のいい放流魚に頼っているとゆーのが現実なのである。
運よく釣り人からリリースされた放流魚や水が出て下流に大きく流された放流魚。
そういった放流魚の1部が年を越して次のシーズンになれば、鰭も回復して野生魚と何ら変わらない見た目に変化する。
彼らは年を越えてよーやく野生を取り戻すのである。
それらの年を越した放流魚を釣って、喜んでいるのが「本流大物釣り師」と呼ばれる中年オヤジ達なのである。
彼ら中年オジンらのヒッチャキ具合いは半端ない。 現在「本流釣り」として渓流釣りの1つのジャンルとして定着し、
本流の大物を専門で狙う釣り師も増加したわけだが、
実態は、「客寄せ」のために、大きくなるまで養殖された魚を放し、生活感漂う管理された環境の中で釣りをしているだけに過ぎず、そこにあるのは自然の原体験の限りなく薄められた姿でしかないのだ。
釣り人はある日、突然、自分がニジマスの管理釣り場のような所に置かれている事に気付き、憤然とする。
どんなに大きな魚を釣ろうが、心の中に拡がる空しい気持ちは消し去りようがないのである
「これでいいんだ」という偽りの気持ちは長くは続かない。
「これぢゃないんだ。俺が求めている魚はこれとは違うんだ。妥協はしたくないんだ。」
心の中の正直な気持ちに気付いた俺は、
1時期ハマった本流域の中流河川から再びステージを山岳渓流域へと移し、原点回帰していったのは言うまでもない。
人里離れた山深い溪で
天然のモンスター達と対峙していた源流志向の本格渓流マンの俺にとって、生活感漂う中流域での「ニジマス釣り場と化した」関東の本流河川でのヤマメ釣りはあまりにも安っぽく映ってしまったのである。 現在の渓流釣りにおける大物釣りには2種のものが存在する。
1つは今もなお、
原始の姿を留める山深い溪での、
源流釣りに代表される山岳渓流域で天然の大物を狙う釣り
もう1つが、
街中を流れる本流河川の中流域で
養殖された大型の魚を放流してそれを釣らせる人為的に管理された釣り場での大物釣りである。
ロマンを追求する本物指向の渓流釣り師とゆーものは、やはり前者のタイプである。
しかし
後者のような自然の人為的コントロールの実験は着々と成果をあげつつある。
養殖された大きな魚を放し、管理された環境の中で釣らせる実験が...
人は文明を最高度に発展させることで、様々な事ができるようになった。
しかしそれによって最も大切なものをまた失いつつあるのである。
「本流大物釣り師」と呼ばれる人達は不思議なもので、
いかにも養殖魚といった型の放流されて間もない魚が釣れるとガッカリするくせに、同じ放流魚でも年を越して鰭ピンになった魚には喜んでストリンガーを繋いでキープをする
それこそが人為的コントロールの「実験の成果」がはっきり現れた瞬間なのである。 北海道や東北地方にいけば
今でも純天然のヤマメが釣れる川は割りとあるのだが、
全国的にみれば、純天然のヤマメが今も棲息する川はかなり限られてきた
今や多くの釣り場は、人間が魚の棲息数をコントロールできる人工的なものに変わってきた。いや「変わった」のである。
幻想を捨て、この現実を知れば、
どこに「優れた釣り場」があるかもわかってくるはずである。
養殖魚であれ大型が釣れればそれで満足できる人もいれば、
自然河川で生れた、天然育ちの「本物の大物」でないと満足できない人もいることだろう。
「優れた釣り場」とゆーものは
人それぞれの価値観や考えでそれぞれ異なってくるのだ。
魚釣りとゆーものは、
人それぞれタックルやアワセのタイミングも違えば、釣り方も様々あるものである
最初から「正解」など存在しない遊びなのである。
なぜなら釣りの本質は「自然との語らい」にあるからである。
自分が満足できる形で楽しむのもまた釣りの楽しみ方なのである。 一時期、本流ヤマメ釣りに躍起になっていた俺は、
鬼怒川や利根川といった関東エリアを流れる本流河川に幾度となく通いつめたものである。
初めて訪れた鬼怒川中流域では、山岳渓流ではめったに釣れない尺ヤマメ(30〜31センチ)が1日に3本も釣れてしまったのだ。
しかもそれが全て観音橋の下のポイントから連続して出てきたのである。
これらの尺ヤマメ達は鰭も綺麗でパッと見では居着きの野生魚にも見えなくもないが、全て養殖物の放流魚である事は明らかだった。
なぜなら尺ヤマメがこんなに簡単に連続して釣れるわけがないからである。
しかもここは激戦区の鬼怒川のはずであるw
当時は6.1mの中硬の渓流竿に0.4〜0.6号のミチイトを張った仕掛けだったので、
尺程度しかないヤマメでも時間をかけて必死にやり取りしていたのだが、
そのヤマメ達が放流魚、若しくは年を越した放流魚だという事実を知った俺は、
真剣にやるのもアホらしくなり、「鱒の介」とゆー当時最強の本流大物竿を手に入れ、1.5号〜2号のバカ太いミチイトを張り、鬼怒川の尺ヤマメ達を力任せに抜き上げていったのである。
更に利根川にも足を踏み入れた俺は「鱒の介」の強靱すぎるバットパワーと2号とゆー激太糸に物を言わせて数え切れない程の尺ヤマメを豪快に抜き上げ、手にしていった。
勿論それら尺ヤマメのほとんどが養殖場育ちの放流魚であったのだが。
利根川に通い初めた2シーズン目の春
利根大堰で53センチの丸々太った銀ピカのメスヤマメを仕留めたのだが、
「これもどーせ放流魚だろー」と針を外すなり、写真も撮らずに直ぐにリリースしたのだが、これが実は天然遡上のサクラマスであった事を知ったのは、その数年後であった。 関東エリアの本流ヤマメ河川への遠征も2シーズン目に入る頃には、
鬼怒川、利根川のほとんどの地域に足を踏み入れ、尺ヤマメもコンスタントに釣れる様になり、自分なりに「本流ヤマメ釣りは、こんなものなのか」という事が一通りわかってきた時期でもあった。
ヤマメ釣りの技術も更に進歩し、スレた尺ヤマメでもかなりの確立で釣れる腕前になっていた。
この頃の俺は、怖いもの知らずで、
1面では自信満々の傲慢な天狗であった。
釣りの技術に加え、岩登りのテクニックでは誰にも負けないと思っていたから、当時の俺の態度は、かなり生意気な男であったはずである。
若気の至りというか、今思い出しても恥ずかしいのだが...
鬼怒川遠征時に、
夜の暇潰しに立ち寄った宇都宮のキャバクラでは、酒の勢いもあり、2人のキャバ譲を宿泊先のホテルにお持ち帰りし、ギャル2人を相手にチェックアウト時間ギリギリまで腰を振り続けて何度も絶頂を繰り返した事もあった。
とにかく当時の俺は欲望の赴くままに行動してしまう事も多く「我慢する」という気持ちが欠けていたのである。 NGワード推奨
なのである。
あろう。
きたのだ。
する。
がある。
いた。
なっていた。
はずである。
である。
だろう。
ない。
のだ。 >>683
少し前のレスにIP変化するともあったので お久しぶりです。渓流マシーン1号です。
連投で渓流小説を書き込まれている人いますが自分とは別人です。
今シーズンは渓流専用に車を買って「釣り専用車買ったし、
渓流タックルはエサ、テンカラ、ルアー、フライと一通り揃ったし暫くはあんまりお金使わないようにしなきゃなー」と、思っていた矢先に釣りの師匠から「そろそろ海も教えるか、海はまた違う釣りたぞ!」と言われ海釣りも始めました。 それで海釣りも渓流三回に海一回くらいの割合で行きましたが海釣りもなかなか面白いですね。
渓流とは魚の大きさや引きの強さがケタ違いです。
渓流では太糸と言われる1号のラインが海では小物釣りの太さなのにカルチャーショックを受けました。
海では3号のハリスを一瞬で切るような魚もいるんですね。
ただ、基本的に海の魚は大雑把ですね。渓流魚のような繊細さは求められない。
渓流の技術があれば海の魚は大体釣れるような気がします。 >>689
>渓流の技術があれば海の魚は大体釣れるような気がします。
それは大きな誤解 >>684
こんな駄スレはとっとと埋め立てて次スレ立てないで来春まで放置。
または、あえて次スレ立てて現スレ削除、これの繰り返しするしかないわ。。 昭和63年前後だろうか?
俺が魚釣りに出会い、その魅力にとりつかれ、
小学校が終れば、毎日のように友人達と地元の川で魚釣りをして遊んでいた頃の話だ。
(俺がヤマメ釣りにハマる2年前である)
今も続いているのかは定かではないが、当時は「マス釣り大会」なる物が町内で度々開催されていた。
ニジマスを川に放流して釣らせるアレである
俺の記憶によれば
確か小学生は当時700円〜800円くらいで参加できたはずである。
しかし700円や800円とゆーお金は、当時ガキンチョだった俺には簡単に用意できるはずもなく、大会当日は土手の上から大会の様子を真剣に眺めていたものである。
そこで
当時の俺が目をつけたのが、大会が終わった翌日に、その場所を訪れ、釣れ残ったニジマスを釣る
所謂「残りマス」釣りであった。 「残りマス」...
誰が最初にそう呼んだのかは不明だが、
俺らの間では釣れ残った放流ニジマスをいつの間にか、そー呼んでいたのだ。
学校が終わると、ダッシュで家に帰り、ランドセルを放り投げ、釣具一式を持ちチャリンコを漕ぎ、友人達と目的の場所へと急ぐ。
もう頭の中は「残りマス」の事でいっぱいなのだ。
当時の地元の川は上流にダムがまだ建設前だった事もあり、
途中で取水される事なく上流から一気に水が流れ込んでくるため、水量は豊富で今とは比べものにならないくらい、あちこちにいいポイントが点在していたものである。
3.6mのグラスロッドにミチイト&ハリスは1号、針はもちろん鬼印
餌は、シュガーイクラとヤナギムシとゆー、ニジマス釣りの餌としては当時メジャーだった2種である
お金がなかった当時の俺が何故、小学生には高価とも言えるシュガーイクラやヤナセを手にできたのか?
それは同級生の釣り仲間の家が、なんと地元の釣具屋であり、必死に頼み込んで店内にある餌を何点か、くすねて来てもらったからである。
今思えば相当図々しいガキンチョではあったが
そんな友人達のご厚意と協力もあり、
念願だった残りマス(25〜30センチ前後)を何匹か釣る事が出来た俺達は、さっそく川原で釣れたニジマスを焼いて食べるのだが、仲間達と食べたあのニジマスの味が、また美味かったこと。
あの日、一緒に釣りをして、ニジマスを焼いて食べた仲間達はみんな元気にしてるのだろうか?
大人になり、すっかり疎遠になってしまった地元の友人達。
お盆に実家に帰省した際、
例の釣具屋の友人宅の前を車で通ったのだが、当時の釣具屋の面影はなく、新築一軒家の1階はクリーニング屋になっていた。
あの時のシュガーイクラとヤナギムシの損失が釣具屋の倒産を招いたのでは...と思うと胸が少し痛くなる俺であった 臨場感あふれる卓越した文章力と
実体験に基づくユーモア溢れる釣り紀行は、
釣りをした事がない人にも非常に解りやすく、渓流釣り経験者なら誰もが妙に納得してしまう「珠玉のエピソードの数々」は、多くの読者を心酔させ、ハルキストならぬ「鱒の介ニスト」を生みだした。
アンチさえもが感動のあまり黙り切ってしまう所にホンモノの凄さがあるといえるだろう。
才能のない稚拙な人ほど、圧倒的な才能を目の当たりにすると嫉妬し、それを認めたくないあまり、天の邪鬼的な態度を取る人も中にはいるかもしれない。
邪念は捨て、まずは他人の才能を素直に認めれるよーになる事が大人になるとゆー事なのかもしれないな。
嫉妬心はコンプレックスの表れでしかないのだ。 様子見てましたがダメですね 次から長文の人来たら書き込み禁止で解散までテンプレでお願いしたいです 大げさな そのうち飽きるか 書くこと無くなるよ
普通、無為な作業に嫌気がさすでしょう
書き込んだやつをみんなでコピペしてスレ終わらせて邪魔する手もあるぞ 批判の中ひたすら長文を書き込み続けた渓流マシーン1号2号を考えると
まあ誰も読まなくても一年くらいは続くだろ
パクりでもなんでも5ちゃんに書き続けていればいつか誰かが出版の声をかけてくれると信じているみたいだし 磯釣りスレより一時帰還。
春夏渓流釣り
秋冬磯釣り
これで攻守完璧やね
但し、磯は金掛かるわ。ゴルフとどっこいや。 昭和63年の夏
当時、魚釣りを始めたばかりの俺は、
伯父から譲り受けた2.7m程度の竹竿で近所の川でハヤを釣ってる程度に過ぎず、初心者に毛が生えた程度の腕前でしかなかったわけだが、
たまには違う川でハヤ以外の魚が釣りたいという思いが強くなり、
当時9歳だった小学生の俺は、夏休みを利用して人生初の渓流釣行に挑戦するのである。
渓流釣りといっても山深い渓谷ではなく、
家から車で30分くらいの距離にある山間部を流れる上流域で、
民家がポツポツ点在するような集落のすぐ脇を流れる所謂「里川」の最上流部が俺の渓流釣りデビュー戦のフィールドとなった。
とゆーのも、この川が流れる集落に、
幼稚園の時にお世話になったS先生の実家があり、
そのS先生とは家族ぐるみの付き合いがあったため、そのS先生の家をベースキャンプに1泊2日の釣行を企画したのだ。
今思えば、大した道具も知識もないのによくやったなと当時の自分を誉めてやりたいw S先生には幼稚園の中でも
偉く気に入られていた俺は他の園児よりも、かなり贔屓されていた様に思う。
ハーフゆえに
緑がかった琥珀色の瞳が特徴的な、
まるで天使のような美少年だった俺に、先生達はメロメロだったのだろう。
中でもS先生には特に可愛がられていたのだ。
幼いながらにも
「俺はモテるんだな」ってのが何となくわかってきた時期でもあった。
S先生の家の前には道路があり、そのすぐ脇を流れる川を護岸の上から覗くと
透明なガラスの如く澄んだ水の中を20センチ無いくらいの魚が2〜3匹、凄い勢いで走るのだ。
実に「俊敏」な泳ぎで岩影に消えていくそれらの魚を見て、
すっかりやる気満々の俺は、直ぐに竿を継ぎ、ミミズをつけた仕掛けを川に放り込むと、日が沈むのも忘れ、S先生が呼びにくるまで釣りに没頭するのであった。
ハヤとは違う警戒心の強いその魚との、これから始まる事になる長い戦いを、この時の俺はまだ知る由もないのであった。 S先生の家は農家で、
釣りをする傍ら、畑の芋掘りを手伝ったりしたのだが、
Kトラの荷台に乗って揺られながらの帰り道は楽しく、かなりハシャイデでいた事を覚えている。
S先生の家族は、お爺ちゃん、お婆ちゃん、S先生のお父さん、S先生、妹さん、みんな親切でいい人達だった。
都会で働いているとゆー弟さんの部屋には、
むかし家の前で捕獲したとゆー40センチ近い大きなイワナの魚拓が額に入って壁に飾られていて、
「ここにはこんなデカい奴がいるのか!」と、半ば大物の夢が現実性を帯びてきた事に興奮を覚えつつ、その日は早めに就寝した俺であった。
さて話を釣りに戻そう。
2.7mの短竿でも充分釣りになる程の狭い川幅で、
落差のある浅い瀬が中心の小川での釣りは、渓流デビュー戦の俺の前に大きな壁となって立ちはだかった。
7月下旬とゆー事で、気温がグングン上昇し、
太陽の光が容赦なく俺に照り付ける。首からぶら下げた水筒に手を伸ばす頻度が増えてくる。
真夏のドピーカンの中、額を流れる汗を手で拭いながら、
竿を出してはいたものの、既に水面には太陽の光が差込み、魚が釣れる気配はなく、前日の夕暮れ時に見た、あの魚達の姿はなく、嘘のように静かな時間だけが過ぎていった。 しばらく釣り上がっていくと、
上から大きな木に覆われた日影のポイントが現れた。
小さな落ち込みの後の白泡の中にミミズをつけた仕掛けを落とすと、直ぐに手元に「ググン」という衝撃が伝わった。
あわてて竿を立てると
今まで地元河川で相手にしてきたハヤ達とは明らかに違う力強い引きで竹竿が絞りこまれる
流れに目をやると
ミミズを食わえた魚が流れの中で激しく首を振りながら抵抗しているのがハッキリと見えた。
体の側面に黒いマダラ模様と薄いオレンジ色を浮かべた銀白色の魚は、流れにのって下流に逃れようと幅広い体を目一杯震わせながら、赤い縁取りの尾鰭をくねらせ必死に抵抗している
大きさは21センチ〜22センチといった所だろうか
当時まだ10センチ程度のハヤしか釣った事がなかった俺には、結構な大きさの魚である! 高鳴る心臓の鼓動と緊張感の中
魚を引き寄せようと、少し強く竿を立てて時だった、
次の瞬間、暴れる魚の口から針が外れ、奴は流れの中へと消えていってしまったのだ。
アワセが甘かったため、針がかりが浅かったのだ。
その間の出来事は時間にすれば10数秒もなかっただろう。
竿を絞り込み、強烈に暴れ回ったあげく逃げていった艶やかな魚
それが「渓流の女王」と俺のファーストコンタクトであった。
その後、同ポイントで暫く粘り、
18センチくらいの綺麗なマダラ模様の魚を釣り、後に、この魚がヤマメだとゆー事を知るわけだが、
これが自身が最初に釣ったヤマメとの出会いである。
パーマークと呼ばれる斑紋を纏った銀白色の魚体とピンと張った鰭、精悍な顔付きのその艶やかな魚は
少年の心を虜にしたのだ。
俺の記憶では
この時の釣行で釣ったのは確かこの1匹だけのはずである。
こーして
俺の渓流デビュー戦は、スレッカラシヤマメから厳しい洗礼を受け、第1ラウンドを終えたのだった。
その後
釣り竿も竹竿からグラスロッドへと変わり、
ハヤ、ウグイ、ニジマス、フナ、コイ等の様々な魚釣りを経て、徐々に魚釣りのコツをつかんできた俺は
再び、あの夏に逃げられたヤマメへの挑戦が始まるのである。
俺は熱病にかかったように
この川に通い続け、それから暫くして、
ついに22センチのヤマメを仕留めたのであった。
平成元年の春であった。
以来
俺はヤマメをメインターゲットとして渓流釣り師の道を歩んでいく事になるのである。 平成元年〜平成2年
山間部を流れる里川最上流域の小沢でのヤマメ釣りも2シーズン目を迎える頃になると、すばしっこく警戒心の強いヤマメも釣行毎に何匹か釣る事ができるよーになってきた。
22センチのヤマメも既に手にしていたが、いつも釣れる型は18センチ前後が中心で、川の規模的にも21センチを超えるヤマメはなかなか釣れなかった。
そんなある日
家から近い中流域の川で釣りをしていると、見に覚えのあるマダラ模様の魚が泳いでいるのを目撃したのだ。
ヤマメである。
山間部の上流域に棲息しているはずのヤマメが、家から程近い中流域にもいたのである。しかも渓流域で見るヤマメよりも2回りくらいデカいのである。
サイズにして22〜24センチくらいだろうか。
後で知った事だが
それらのヤマメは上流域から下りてきて居着いた魚達で、
水温が適度に高い中流域では、彼らが餌とする川虫類が豊富なため、水の冷たく餌の少ない山間部よりもヤマメが大きく育つのである。
当時ガキンチョだった俺には、そんな事は当然わかるはずもなかったが、
地元を流れる本流筋の中流域にもヤマメが棲息している事を知った俺は、大喜びで毎日のように川に通いヤマメ釣りに精を出すようになる。 澄みきった水の山間部に棲息してるヤマメ達はとにかく、
警戒心が半端なく強く、水面に少しでもこちらの影を映そうものなら、たちまち岩影に隠れてしまうため、初心者などが釣るのは容易ではないのだが、
街中を流れる中流域の川の水は少し濁り気味であったため、魚にこちらの姿を悟られる事なく竿を出せた事もよかったのだろう、小学生の自分でも難なく、念願だった8寸近い良型ヤマメを釣る事ができたのだ。
水が少し濁っていた方が、ヤマメ達も警戒心から解放されて積極的に針のついた餌にかじりついてくるとゆー事を子供ながらに理解したのだ。
そして
俺が渓流デビューをしたS先生の家の前を流れる山間部の里川最上流部の小沢は、実はヤマメが棲息するには不向きなエリアで、そこがイワナの川であった事を後に知るのである。
ヤマメを釣るには上流過ぎたのだ。
どーりで数も少なく、型が小さいはずである。
ヤマメ河川と言われる場所の大半は、水がクリアとゆーよりは、少し濁っているのが特徴である。
水が澄みきってる様なジンクリアな上流域の沢はイワナ河川なんだなとゆー事がわかってきたのだ。
ヤマメがいる川の特徴がだいたい分かってくると
それが即ち
いつも釣りをしている地元を流れる川の、中流域の少し上流部こそが「核心部」だと気付いたのだ。
渓流域より少し下の清流域と呼ばれるあたりである。
家からチャリンコで15〜20分くらいのエリアだ。
イメージ的に言えば郡上八幡のような中流域が近いかもしれない。勿論、長良川のようなあんな立派な大河川ではないw 当時は、街中を流れる地元河川の中流域で真剣にヤマメ釣りをしている人なんかは殆どいなかったから
魚もスレておらず、24センチ前後の良型のヤマメが小学生の俺にもかなりの確率で釣る事ができたのである。決して魚影の濃い川ではなかったのだが、釣りに行けば、ウグイに混じって22〜24センチのヤマメが1本釣れるといった感じであった。
そんな釣りを毎日出来る環境にいたわけだから、知らず知らずに釣りの腕前は上達していき
しまいには30センチ近い大きなヤマメまでをも仕留める事に成功してしまったのだ。
地元河川の恐るべきポテンシャルに驚愕したものである。
遠出などしなくても
家からチャリンコですぐ行ける地元河川で、天然の良型ヤマメが釣れるのだから当時の俺が狂喜乱舞したのは言うまでもない。
本当にいい時代だったのである。 あれから25年以上の時が過ぎ
数年前に実家に帰省した際に久しぶりに地元河川を訪れた。
河川敷拡張工事で、かなり川の中をいじくったのだろう...
昔とは、だいぶ変わった流れになってはいたが、
少ないながらも、今も当時と変わらない流れのポイントも残っていて、懐かしさのあまり竿を出してみると
なんと28センチのコンディション抜群な幅広ヤマメを筆頭に、25センチ、24センチといった良型ヤマメが釣れたのである。いずれも天然物だ。
今もなお、良型ヤマメの穴場は存在していたのだ。
少年時代に見て、釣って、触れた、あの地元河川の天然ヤマメ達の子孫は今も世代交代を繰り返し、脈々と血は受け継がれ、しっかりと種をつないで逞しく生きていたのである。
なんとも素晴らしい事ではないか。
流れにゆっくり戻っていくヤマメ達を見届け、しばし心地いい満足感に浸り、俺は川を後にした。
「この川で良型ヤマメが釣れる事は、口が裂けても絶対に喋ってはいけない」
「この場所は絶対に誰にも教えないで隠しておこう」
そう誓った俺であった。 蜘蛛の子散らしたようになったが、蜘蛛の子は何処に行ったんやろか? >>713
「ヤマメに喰われた」もしくは「アマゴの腹の中」に一票 現在の渓流釣りは、かつての渓流釣り師達がやっていた山岳渓流域での釣りとは全く別物になった。
街中を流れる本流河川の中流域で「養殖された大型の魚を放流して」それを釣らせるとゆ〜人為的に管理された釣り場での釣りが楽しまれている
本流では、もともと渓流釣り等は行われていなかった
整備された河川敷の中を流れる本流の中流域なんぞは、本来アユ釣り場であり、渓流魚は全く無視されてきた場所である。
まだ水の冷たい春先にごくたまにヤマメ/アマゴが釣れる事はあったが、それは専門の対象になるほどの数ではなく、アユ釣りやハヤ釣りの際に、たまたま釣れてしまう外道にすぎなかったのである。 ところが「本流釣り」なる物が流行り出すと、こうした本流中流域のアユ釣り場にまで漁協が積極的にヤマメ/アマゴの放流を開始したのである。
しかも養殖された成魚を大量に放流するから、解禁日は有料ニジマス釣り場並みに釣れるのである。
しかも、これらの放流魚はサイズが大きいのだ。
山岳渓流では滅多に見れなくなった、尺ヤマメまでもが平然と放流される。
これが人々の人気を呼んで、次から次へと釣り人が押し掛けるようになってきたのである。
人々はヒレの擦りきれたこれらの魚を、もしくは前年に放流されて年を越しヒレも綺麗に回復した半ば野生化した放流魚を釣って喜ぶのである。
本流を訪れる
たくさんの釣り人の要求
即ち「魚が釣れること」を満たすために、漁協は定期的に追加放流を繰り返す。
いっそのこと、「解禁からしばらくの間だけ型のいい成魚が景気よく釣れればいいだろう」とゆー事で、
すぐに釣れる成魚が盛んに放流されているのだ。
これが近年の渓流、特に本流河川での実態である。 果たして
こーした状態も渓流釣りといえるのだろうか?
犀川あたりでは
大型のニジマスやブラウントラウトといった外来魚までもが平然と大量に放流されている
犀川は今や「犀川殖産(漁協)」とゆー漁協名で呼ばれてる程である。
それらの「放流された大型の養殖魚」や「養殖外来魚」を本流釣り師の中年オジン達は目の色を変えてシャカリキになって狙うのだ。
もはや管理マス釣り場の様相を呈しているのが現在の本流釣り場なのである。
ここまで来ると
「渓流釣り」とは到底呼べるものではなく、
俺に言わせれば、こんなのは「マス釣り大会」の延長でしかなく「本流大物釣り」とゆーよりは、もはや「三流大物釣り」でしかないのだ。
生活感のある河川敷のすぐ前を流れるアユ釣り河川とも何ら変わらない中流域で、放流された養殖魚を相手に竿を出す釣り人達...
そこにあるのは、渓流釣り本来の目的である「自然との語らい」の姿は、もはや無くなってしまった。
人為的に管理・コントロールされた中での「エセ渓流釣り」
悲しいかな。それが時代の流れというものなのだろう。 こーした傾向は大都市に近い近郊の河川では特に顕著だ。
こーした流れはいずれ地方の河川にも拡がっていくだろう。
東北や北海道の河川では、今も長閑な古きよき時代の渓流釣りが楽しめる所がたくさん残っている。
しかし、それも時間の問題かもしれない。
人類は文明を発達させる事で便利性を手に入れてきた。
しかし、それと引き換えに、自然環境をことごく破壊してきた。
貴重なネイティブ達は絶滅寸前まで追いやられ、かつて存在した渓魚の聖域は次々と消えつつある。
その罪滅ぼしのつもりなのだろうか?
以前は考えられなかったエリアにまで養殖された渓魚が放流される様になり
渓流釣りが持つ「本来の魅力」は消え薄れつつある。
これから先、渓流釣りが
どのようなものになっていくのか?どこに向かっていくのだろーか?
心配である。
※ここで言う「本流」とは
都市部を流れる大河川の中流域や下流域の事であり、上流部や山間部を流れる渓流の本流河川の事ではないので勘違いしないよーに。 この長文読んでくれる人、どれくらいいるんだろうか?頑張って書いたのに、誰も読まなかったら悲しいよね。
俺は読む気にならんけど。 誰も読まなくともいいのだろう
コピペ長文書くこととスレに投稿することが目的なのだから 住んでるとこにもよるけど、オフにせずに海もどーよ?
趣味が年の半分ってのは短いで。アメフトじゃあるまいし。
一歩踏み出した俺に死角は無くなったで! >>724
海さー福島の隣で食べる気しないんだよ
トリチウム以外除去してますとか言ってたのが何も除去してませんでしたーテヘッだし the situation is under control >>725
あー、、、
セシウムさんですか、、、
半減期思ったら萎えますねぇ、、、
宇佐の申し出通りに海水ぶっ込んで強制冷却しとけよやね、、、
一気におすすめ出来なくなりました。 ♪餌でも♪ルアーでも♪思うままに♪
♪やりたいことを♪やりたいように♪
♪オレは釣るのさ♪ 別に海の魚だからって食べなきゃいいだけじゃないの?
海辺に立つだけとか海水に触れるとかで汚染されるんじゃないならの話だけど スズキのルアーとかならリリース有りやろうけど、海ならキャッチアンドイートをしたいもんやけどね。
(個人的な感想です) ある時期、大物釣りに魅了され全国各地の大ヤマメ釣り場へ幾度となく足を運んだものである。
利根川や鬼怒川では
名竿「鱒の介」でカツオの1本釣りよろしく、
尺ヤマメを豪快に抜き上げて、回りの釣り人を驚嘆させたものである。
それらの河川で釣れるヤマメ達は、
俺が普段山岳渓流で相手にしているヤマメ達より、遥かに大きく、パワフルで、見映えもよく、非常に魅力的な一面があった。
しかし
それらが成魚放流された魚である事は疑いようのない事実だった。
最初のうちは、面白く感じてたのだが、
その成魚放流された尺ヤマメ達を何本か釣っていくうちに、何か違和感を感じたのだ。
すぐにはその違和感が何なのかハッキリとはわからなったかったが
自分の中で何かが引っ掛かって仕方なかった。 その時、感じた違和感とは、
「大物を手にした悦び」と「心の底から喜べない」とゆーなんとも微妙な心境と
「果たして養殖物が大物と言えるのか?」それを受けいれる事への戸惑いと葛藤だったのだ。
苦労の末に仕留めた大物が、成魚放流された魚では
心が満たされないのである。
その後
暫く俺の心の中は、少し乱れた。
放流された成魚でも、
年を越した魚は傷んだヒレや魚体を回復させ、自然河川に順応して野生を取り戻していく。見た目的にも居着きの野生魚と遜色ないレベルにまで回復するのである。
果たしてそれらの年を越した大型の放流魚を釣っても手放しで喜べるのだろうか?
確かに大きさは魅力的だ。
放流魚でも大型の個体なら年を越し野生化して素晴らしいファイターになる魚もいる事だろう。
しかし、養殖池で人の手によって大きくなるまで育てられた魚だとゆー、「養殖池育ちの歴史」は幾ら彼らが自然に順応して野生を取り戻したとしても変える事はできないのである。
自然河川で孵化して、
稚魚の頃から野生動物等の天敵から必死に身を守り、
少ない餌を捕食して時間をかけて徐々に成長して大きくなった天然物と、人の手によって大きくなるまで短期間のうちに育て上げられた養殖物では、やはりその「生きてきた歴史の重み」があまりにも違いすぎるのである。 サイズも大事だが、
それ以上にその魚が「生きてきた環境と歴史」を重んじる俺にとって、養殖物はどんなに大きな魚であろうが、あまりにも安っぽく映るのだ。。
年を越し、鰭が回復し居着きの野生魚とパッと見は変わらなくても、ガキの頃から数え切れない程の天然ヤマメと触れあって育ってきた俺の目は誤魔化せない。
下流にダムのような渓魚の巨大化を促すリザーバー等をもたず、
本流等の下流から魚が遡上できない堰堤や魚止めの滝の更に上流部に位置する支流の山岳部の小渓流においては、尺を超える天然ヤマメは奇跡とも言えるサイズなのだ。
長年それらの天然ヤマメを追っていたが、
俺が自分で実際に確認できたのは28センチが今の所の最大サイズある。
これらの場所における天然ヤマメは余程いい環境の所でも最大で31〜32センチが限界だろうと読んでいる。
しかし
最近は漁協が意図的に大型のヤマメをやたら放流する嫌いがある。
道路沿いを流れる里川でも何の苦労もなしに9寸サイズの良型ヤマメが連発すると思ったら、なんのことはない漁協が放流した養殖物である。 昔は、尺ヤマメを釣れば赤飯物とまで言われたものだが、今では尺ヤマメは珍しくはなくなった。
解禁ラッシュの客寄せのために大量に放流される大型の養殖魚。
それらを求め、ニジマス釣り場の如く賑わう解禁日の本流中流域
年を越えて生き伸びた放流魚。
それらの魚を放流魚だと知らずに感動してしまう初心者や子供達。
超大物は渓流釣り師にとって憧れであり、
夢であり、目標でもあり、それを求める事にロマンを見出だす人もいることだろう。
そんな憧れていた超大物を誰もが簡単に手にできてしまう時代。
これでいいのだろうか?
人為的に管理・コントロールされた中流域で、
養殖魚をヒッチャキになって追いかける釣りが渓流釣りの1つのジャンルとして定着した「本流大物釣り」
養殖魚で果たして心が満たされるのだろうか?
そこにあるのは偽りと妥協の世界でしかないのだ。 現在の渓流釣りは漁協の放流がなければ成立しない河川が殆どだろう。
しかし、だからと目先の事だけを優先して直ぐに釣りきられる成魚ばかりを放流するのは、どうなのだろうか?
放流するにしても稚魚放流にもっと力を注ぐべきではないのか?
放流魚を釣るにしても
稚魚放流から自然河川で成長した魚と、成魚放流物では魚体の美しさと手にした時の感動は大部違ってくる。
しかし
漁協の放流に対する認識不足も恐ろしいのである
貴重な在来種がいる場所に、養殖魚を放流することによって在来種を沙汰、絶滅させる恐れがあるからだ。
事実。世界的な遺産とも言える絶滅危惧種の在来種の魚が、でたらめな放流によって滅茶苦茶にされようとしているのである。
過去には、貴重なキリクチの棲息する川迫川にニッコーイワナを放流してしまった事例もある
これはキリクチが、なぜに貴重な在来種なのかを考えずに、たんに同じ「イワナ」という発想で放流されてしまったのだ。
漁協だからと、全ての人が魚に精通しているわけではないのだ。
こーいった無知な連中によって構成される漁協の認識不足、管理の甘さが貴重な在来種を自ら絶滅へ追いやってるとしたら、これ程恐ろしいものはない。 紀伊半島の大台ヶ原宮川水系大杉谷を訪れた時の話だ。
同行者は大学時代の友人2人と友人が連れてきたテンカラガール、そして自分の計4人での2泊3日の釣行だった。
大杉谷は強烈に圧縮されたゴルジュ、高くそびえる滝等、それは素晴らしい渓谷美が展開し、まだ手つかずの原始の姿を残した貴重な溪の姿に我々は、ただただ圧倒されるばかりであった。
小雨の降る中、目的のポイントを目指し遡行していくと、先行者が上から降りてきたのだ。
先行者の釣り人2名の格好はいかにも素人くさく、谷を降りる足元はフラフラしていて危なっかしい
見ているこっちがハラハラしてストレスが溜りそうであった。 俺が「釣れましたか?」と尋ねると、
ビニールカッパに白いジャガーシグマのスニーカーを履いた男が、「ええ、まあけっこう釣れましたよ!」
と言ってビニール袋を差し出して我々に見せてきたのである。
袋の中には、20匹くらいのアブラハヤが入っていた。
見事なまでに全てアブラハヤなのだw
「あっ、アブラハヤは唐揚げにすると美味いですよね」と俺が言ったのに対し、
ジャガーシグマの男は、
「えっ!?これアマゴとちゃいますんか?」と真顔で聞き直してきたのである。
なんと彼らは、アブラハヤをアマゴと思って釣っていたらしいのだ。
あまりの無知ぶりに唖然としてしまったが
彼らの姿が見えなくなるのを確認すると
それまで笑いを堪えていた我々はゲラゲラと腹を抱えながらしばし笑い転げたのであった。
あのジャガーシグマの男のインパクトがあまりに強すぎたため、俺は、その時の我々の釣果をよく覚えていないのだ。
皆、7寸〜8寸程度のアマゴは釣っていたとは思うのだが...
おそらく大物は釣れなかったのだろう
その夜はテントを張り4人で怪談話で盛り上がり、
翌日は山を降りた所にある旅館で飲み明し、友人2名が眠りについたのを見計らい、意気投合したテンカラガールと隣の部屋で、避妊する事も忘れ、お互い体を求め合ったのであった。
襖越しで眠っている友人2人にバレるかとドキドキしながら行為は、緊張感と相まって、かなり興奮したのを覚えている 紀伊半島の大台ヶ原宮川水系大杉谷を訪れた時の話だ。
同行者は大学時代の友人2人と友人が連れてきたテンカラガール、そして自分の計4人での2泊3日の釣行だった。
大杉谷は強烈に圧縮されたゴルジュ、高くそびえる滝等、それは素晴らしい渓谷美が展開し、まだ手つかずの原始の姿を残した貴重な溪の姿に我々は、ただただ圧倒されるばかりであった。
小雨の降る中、目的のポイントを目指し遡行していくと、先行者が上から降りてきたのだ。
先行者の釣り人2名の格好はいかにも素人くさく、谷を降りる足元はフラフラしていて危なっかしい
見ているこっちがハラハラしてストレスが溜りそうであった。 俺が「釣れましたか?」と尋ねると、
ビニールカッパに白いジャガーシグマのスニーカーを履いた男が、「ええ、まあけっこう釣れましたよ!」
と言ってビニール袋を差し出して我々に見せてきたのである。
袋の中には、20匹くらいのアブラハヤが入っていた。
見事なまでに全てアブラハヤなのだw
「あっ、アブラハヤは唐揚げにすると美味いですよね」と俺が言ったのに対し、
ジャガーシグマの男は、
「えっ!?これアマゴとちゃいますんか?」と真顔で聞き直してきたのである。
なんと彼らは、アブラハヤをアマゴと思って釣っていたらしいのだ。
あまりの無知ぶりに唖然としてしまったが 彼らの姿が見えなくなるのを確認すると
それまで笑いを堪えていた我々はゲラゲラと腹を抱えながらしばし笑い転げたのであった。 あのジャガーシグマの男のインパクトがあまりに強すぎたため、俺は、その時の我々の釣果をよく覚えていないのだ。
皆、7寸〜8寸程度のアマゴは釣っていたとは思うのだが...
おそらく大物は釣れなかったのだろう
その夜はテントを張り4人で怪談話で盛り上がり、
翌日は山を降りた所にある旅館で飲み明し、友人2名が眠りについたのを見計らい、意気投合したテンカラガールと隣の部屋で、避妊する事も忘れ、お互い体を求め合ったのであった。
襖越しで眠っている友人2人にバレるかとドキドキしながら行為は、緊張感と相まって、かなり興奮したのを覚えている 海釣りもやってみたいけどどこ行くにも遠い
内陸県の辛いところですね・・・ オレも(満足に釣れる)海遠いけど、片道200km、高速代5千円ぐらいのとこを毎週行っても平気になった
でも、それより遠いとこにはまず行かない せっかくそれなりの場所に行くので堤防から小物釣ではバカバカしい
なので、磯なら渡船とエサで7千円、船なら乗合でも1万はかかる 竿とリールの1セットで7〜15万、これを釣りに合わせていくつも持つし
渓流竿数本で山しか行かない人には理解できない世界でしょう >>747
高知でアメゴの話をしてた者ですが、今年から磯をやり始めました。
竿、リールにはじまって、バッカンやフローティングベストやらと色々要るのに、これに渡船代4000円、アミのボイルに集魚材と毎回のランニングコストもゴルフに行く八掛けのイメージ。
絶対やりやとは言えないレベルですが、竿が鳴るやり取りは渓流にはない味わいと、海ならではの景観も中々のもんですよ。
https://i.imgur.com/GJr5G8T.jpg
朝日と磯釣り 福島県南会津檜枝岐川に釣行した時の話だ。
俺が檜枝岐川に初めて入ったのは、少し遅くて、社会人になってからである
檜枝岐川は魚影の濃いイワナ釣り場である事は大学時代から知っていた。しかし当時は、南アルプスを中心に行きたい溪が他にも沢山あり、情熱を傾ける川がいくつも控えていたからだ。
だから檜枝岐川は後まわしにされていたのである。
何より
俺の住む宮崎県からの東北地方への遠征には長期の休暇がないと難しいのだ。
暇をもて余していた大学時代とは違い、
社会人になると長期の休暇をとるのが殆ど不可能になってくる。
それでも俺は、少ない連休を有効に使って各地の溪を訪れていたのだ。 確か、平成26か平成27年の夏だったと記憶しているのだが、
よーやくまとまった休暇を取れた俺は、大学時代からの友人と待望の檜枝岐川を訪れたのだ。
展望台から眺める山あいの集落は、
全ての民家の屋根が赤く、山の合間を赤く染める風景に、一種異様な雰囲気を感じたものである。
檜枝岐川は開けた渓流域で、6mの竿も快適に振れるため、ストレスを感じる事なく気持ちよく釣りあがっていく事が可能だ。
そして何より釣れてくる魚達のコンディションも素晴らしいのである。
漁協の放流も多いようで、
道路沿いを流れる場所からも尺近いイワナや25センチを超える良型ヤマメが釣れてくる。上流部は天然魚も釣れてくるのだが、
次から次へと良型の魚が釣れてくるので、その都度、撮影しているとペースが上がらないのだ。
釣っては魚をリリースをし、また釣ってはリリースをしての繰り返しでアッと言う間に時間が過ぎていった。
2泊3日の釣行で
37センチのイワナを筆頭に尺イワナが2本、あとは良型のヤマメやイワナは数えきれない程釣れた
狙っていた大ヤマメは出なかったが、我々は釣果にかなり満足していたのを記憶している。
最終日の打ち上げで
寄った焼き肉屋では、美人姉妹の店員さんと意気投合し、その夜はカラオケで盛り上がり、俺が妹さんと、友人はお姉さんと、それぞれ宿泊先にお持ち帰りしてワンナイツラブを楽しんだのであった。
小柄な彼女達は「締り」が非常に良かった。 確か、平成26か平成27年の夏だったと記憶しているのだが、
よーやくまとまった休暇を取れた俺は、大学時代からの友人と待望の檜枝岐川を訪れたのだ。
展望台から眺める山あいの集落は、
全ての民家の屋根が赤く、山の合間を赤く染める風景に、一種異様な雰囲気を感じたものである。
檜枝岐川は開けた渓流域で、6mの竿も快適に振れるため、ストレスを感じる事なく気持ちよく釣りあがっていく事が可能だ。
そして何より釣れてくる魚達のコンディションも素晴らしいのである。
漁協の放流も多いようで、
道路沿いを流れる場所からも尺近いイワナや25センチを超える良型ヤマメが釣れてくる。上流部は天然魚も釣れてくるのだが、
次から次へと良型の魚が釣れてくるので、その都度、撮影しているとペースが上がらないのだ。 釣っては魚をリリースをし、また釣ってはリリースをしての繰り返しでアッと言う間に時間が過ぎていった。
2泊3日の釣行で
37センチのイワナを筆頭に尺イワナが2本、あとは良型のヤマメやイワナは数えきれない程釣れた
狙っていた大ヤマメは出なかったが、我々は釣果にかなり満足していたのを記憶している。
最終日の打ち上げで
寄った焼き肉屋では、美人姉妹の店員さんと意気投合し、その夜はカラオケで盛り上がり、俺が妹さんと、友人はお姉さんと、それぞれ宿泊先にお持ち帰りしてワンナイツラブを楽しんだのであった
小柄な彼女達は「締り」が非常に良かった。 禁漁期間で話題もないですよね
各メーカー渓流カタログも出揃って来年に向けて買いたい商品とかはありましたか?
ついでに今年導入して良かったと思う用品とかってありますかね?
来シーズンに向けて参考にしたいので・・・ >>753
ウェットウェーディング一式
今年の夏は暑かったので重宝したよ ワークマン的な作業者向けショップで買った河川工事者向けサンダルの使い勝手がよかった
つま先が安全靴ライクで丈夫、かかとまでホールドあり、胴体はベルト状ですっかすかで速乾、
川底で滑らないよう足底ちゃんとしてて、普段履きでもギリ許せる程度の見た目で夏場は重宝した 餌釣りの面白さは、アタリからアワセまでの一瞬の判断の間に「想像力」を働かせなければならない点にあると言える。
アタリを察知したら早くアワセたほうがいいのか?
それとも送り込んでひと呼吸おいた方がいいのか?
それらを瞬間的に判断しなければならないのである。
魚の食いは千差万別であり、
アタリの様子から釣り人は、ものすごい速さで水中の状況を推測し、それに対処しなければならない。
それは
例えば、ドライフライや毛鉤の様に魚が飛び付いてくるのが見えたら、あれこれ想像する前に、即アワセなければならないといった、決まったパターンしかないものとはわけが違う。
餌を沈め、もしくは漂わせながら、
水中を流して釣る餌釣りでは、
時季や活性具合いをみて、その都度、流す層を変更していく必要があるわけだが、アタリがあれば、ほんの短い時間の中で途方もなくたくさんの事を「考え」、目印に現れる動きを見て「判断」し確実なフッキングのタイミングを「選択」しなければならないのである。
餌釣りでは「豊かな想像力」と「瞬間的な判断力」それに見合った「反射神経」が要求されるのだ。
それが餌釣りの面白さでもあり、難しさでもあるのだ。
シンプルだが奥が深い
それが延べ竿によるミャク釣りなのである ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています