>>642 追加

> 料理人(祭司)が魚(生贄)をさばいて捧げる。
> 内野手(祭司)がボール(生贄)をさばいて捧げる。
> 裁判官(祭司)が事件(生贄)をさばいて捧げる。


こういう例は、わかりやすい例で、
その分、比較的低俗な例ですけど、
究極的には学問・芸術になってきますね。

まあ、スポーツのプレーも舞踏の一部として
「芸術」の範囲には入ってもいいですけど。
「芸術的プレー」とか言いますからね。
ただ、芸術の中では低い方ではありますけど。


結局、さばいて捧げる先はキリストなのだから、
キリストに対してどの位置からいかにさばくか、
が問題になる。

それを把握していくのが
「学習」であり「練習」なんですね。

だから、反キリスト的な学問や芸術は
あんなにも貧しいわけですよ。
やってる当事者は貧しいとは思ってないかも
しれないが、まあ、限界が来ますね。

そこをクリアにやっていけるのが
千年王国なんですね。
逆に言えば誤魔化しは通用しない。