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根本博陸軍中将の「義に報いるに義を以てす」 古沢襄
根本中将は敗戦後の1949年、台湾へ渡って、金門島における戦いを指揮している。
国共内戦で劣勢に立たされた蒋介石総統のために渡台して、日本軍捕虜を無傷で送還
してくれた恩義に報いる行動に出ている。「義に報いるに義を以てす」ということで
あろう。
1967年、私は台湾を訪問して日月潭で静養中の蒋介石総統に訪台記者団の一員と
して面会している。一人一人に握手してくれた蒋介石総統の柔らかい手が印象に残る。
だが、私の心は複雑であった。この柔らかい手が二百万の日本軍捕虜を無傷で送還
してくれたが、その手で台湾大虐殺といわれる二・二八事件(1947年2月28日)
を起こしていた。二・二八事件で約二万八千人もの台湾人が殺害・処刑されている。
この時に根本中将が実戦指揮した金門島に一泊二日で行った。
台北市郊外の松山空軍基地からダグラス双発輸送機に乗って、中国空軍のレーダーに
捕捉されないように、海上300メートルという超低空飛行で金門島の軍用飛行場に
着陸。案内役は日本の陸軍士官学校(三十九期生)をでた荘南園大佐だった。
荘大佐に根本中将のことを聞いたが知らないという。しかし中国側の資料では、
実際に作戦指導に当たったのは、根本中将だと断定している。また蒋介石総統が
根本中将を頼りにしたことについて、米側は必ずしも好意的でなかったと暴露している。
<<事実は第7代台湾総督、明石元二郎の長男・元長氏や台湾の共産化に危機感を
抱いた「東亜修好会」メンバーの手引きによって根本中将は台湾密航に成功していた。
台湾では「林保源」を名乗り、中国共産党の人民解放軍との最終決戦となった金門戦争
(古寧頭戦役)に参戦。作戦立案が奏功し、二昼夜にわたる戦闘の末、人民解放軍は
全滅した。