http://www.kajika.net/wp/archives/665
根本博陸軍中将の「義に報いるに義を以てす」 古沢襄
根本博(ねもと・ひろし)陸軍中将・・・戦後、いく度か話題になったが、
全貌が掴めずに毀誉褒貶の渦のまま忘れ去られてきた。
ウィキペディアの記述は詳細をきわめている。遺族や関係者の証言によって全貌が
初めて明らかにされている。敗戦後、モンゴルに侵攻したソ連軍は停戦に応じないで
攻撃を続け、在留邦人四万人が殺戮の危機に瀕した。駐蒙軍司令官だった根本中将は、
「理由の如何を問わず、陣地に侵入するソ連軍は断乎之を撃滅すべし。
これに対する責任は一切司令官が負う」と命令を下している。
すさまじい白兵戦が三日三晩も展開され、在留邦人四万人を乗せた列車と鉄路を
守り抜いた。日本軍の必死の反撃にソ連軍と中国共産党の八路軍は戦意を喪失し、
攻撃を断念している。天津に脱出した在留邦人たちは、蒋介石総統の国民政府軍の
支配下で全員が引揚船で帰国することができた。
満州では関東軍は総司令部の軍命令でほとんどの部隊がソ連軍の降伏し武装解除された。
武装解除された関東軍には在留邦人を守る力がない。国境地帯から徒歩で避難する
在留邦人たちが、匪賊化した満人たちに襲撃され多くの犠牲者を出す悲劇に見舞われて
いる。在満州の邦人を救い得なかった関東軍の降伏は、あまり論じられなかったが、
モンゴルの駐蒙軍の行動とはあまりにも違いがある。
根本中将は、蒋介石総統が敗戦時の日本軍捕虜に対し人道的に対応し、国に賠償金を
要求しなかった事に深く感謝していた。蒋介石総統は八月十五日の対日戦争勝利の
告示をラジオ放送で「怨みに報いるに怨みをもってせず」と布告した。
「老子」に「怨みに報いるに徳を以てす(以徳報怨)」の言葉がある。
蒋介石総統は中国の古い教えをひいて、中国本土に展開していた二百万の日本軍捕虜に
報復行動をすることを戒めた。
反対なのはスターリンのソ連軍である。在満州の関東軍五十七万五千人は武装解除後に
シベリアに連行され、シベリア鉄道の復旧工事などで強制労働を強いられた。
このために六万四千人の将兵が死亡している。