https://ironna.jp/article/2418
トルーマンは8月15日、スターリンに対し、ソ連が日本軍の降伏を受理する地域を
規定した「一般命令第一号」を送付した。
この内容を不満としたスターリンは翌16日、直ちにトルーマンに次のような要求をする。
 (1)日本軍がソ連軍に明け渡す区域に千島列島全土を含めること。
これはヤルタ会談における3カ国の決定により、ソ連の所有に移管されるべきものである。

 (2)日本軍がソ連軍に明け渡す地域には北海道の北半分を含むこと。
北海道の南北を2分する境界線は、東岸の釧路から西岸の留萌までを通る線とする。
なおこの両市は北半分に入るものとする。

占守島の戦い
 カムチャツカ半島の南端から海峡を隔てて10`余、千島列島の最北端に、
占守島(しゅむしゅとう)という島がある。この島に、将兵の誰もが戦争は終わった
と信じていた8月18日午前0時過ぎ、カムチャツカ半島のロパトカ岬から
ソ連軍長射程砲の砲撃が開始された。
司令官の樋口季一郎中将は、自衛のための戦闘を命ずるべきか、戦闘行為を禁じていた
大本営の指示に従うべきか悩んだ末、反撃命令を発した。
1日で全島を占領し、千島列島を南下する計画だったが、日本軍の予想外の抵抗により
大きな被害を出し、変更を余儀なくされた。
 結局、ソ連軍は上陸地点にくぎ付けとなったまま、戦闘は8月21日に終結した。
もし樋口中将の英断による占守島での日本軍の頑強な抵抗がなければ、
その後のわが国はどうなっていただろうか。
 北海道はソ連軍に占領されていたに違いない。そして満州や南樺太で起きた略奪、
子女に対する暴行や強姦が繰り返され、多くの民間人の青年がシベリアに強制連行され
ていたことだろう。さらには北朝鮮や統合前の東ドイツのように共産主義独裁国家が
北海道に誕生し、津軽海峡を挟んで同じ民族同士で対立していたであろうことは想像に
難くない。
 ソ連の北海道占領計画は歴史の教科書に載っていないため、学校では教えられて
いない。そのため日本人の大半が知らない「歴史の真実」となっているのである。