朝鮮人の野望は、安倍天皇陛下の樹立を狙っています。「本当かよ」「ウソだろう」「とても信じられない」という意見が多数です。
でも、これは本当です。安倍さんは、安倍寛の孫ということになっていますが、安倍晋太郎さんは養子です。

 李王朝最後の王様である李 垠(り ぎん)は日本の皇族になった人です。それと梨本宮方子様と結婚したのです。
李 垠には子供が2人いました。長男を晋といい、次男は李 玖(り きゅう)です。長男は幼少の時期に死んだことになっています。
次男はアメリカ人と結婚しましたが、事業に失敗して最後は日本で死んでいます。

死んだと言われている長男の李 晋(りしん)が問題です。この李 晋(りしん)が隠されて、安倍寛の籍に入れられて、
安倍晋太郎になったのに違いありません。すると安倍晋太郎さんが「俺は朝鮮人だ」と言っていた発言にピッタリと一致します。

 安倍寛の結婚した本堂静子の祖父は、大島 義昌(おおしま よしまさ)です。大島義昌は、
伊藤博文元総理の殺人犯の安重根の死刑を執行した関東都督府の当時の都督です。
(大島義昌 関東総督―1905〜1906年、関東都督―1906〜1912年)安重根は
ロシア官憲に逮捕されて日本の関東都督府に引き渡され、1910年3月26日に処刑されました。

 大島義昌は、伊藤博文が朝鮮人の安重根に殺されて、李王家の行く末を心配していたのではないでしょうか? 

李 晋(りしん)を死んだとみせかけて、安倍寛の養子として、安倍晋太郎となったのです。
安倍晋太郎の子供が安倍晋三です。李 晋(りしん)から、安倍晋太郎、安倍晋三と「晋(しん)」の字がつながっているのです。

自民党清和会は、旧赤坂プリンスホテルの旧館(旧李王家邸)内に事務局を設置しました。
安倍晋太郎は「政界のプリンス」と呼ばれていました。政界のプリンスではなく、李王家のプリンスだったのです。