『虜人日記』 小松真一

 日本軍時代の比島を見ると、「東亜共栄圏のため」「東洋は東洋人で」「八絋一宇」等という、
すばらしいスローガンを掲げていたが、人の国へ土足のまま威張りくさって入り込み、
自動車、畑、食料、家、家畜等まで、どんどん徴発して行き、土民は兵隊に会えば
お辞儀をする事を強要され、難しい日本語を無理に、おしつけてきた。

 米軍時代になった比島を見れば、立派なバスがたくさんアスファルトの国道を走り、土民は
新しい服を着、食物は豊かに店頭を飾り、米兵はニコニコ顔で町を散歩している。
家はどんどん新築されていく。米軍将兵はバラックに住み、食料は全部本土から取りよせ、
現地物資は少量の野菜を自作しているだけだ。

それにひきかえ、日本軍はちょっと立派な家があればすぐ軍で借り上げ、家主を追い出し、
日本では長屋住まいしかできないような将兵がそれに住み、大臣風を吹かせている。
そして二言目にはビンタを行い、まかり間違えば首まで取ってしまう。日本から物資が来んので、
土民の食料その他を優先的に取る権利が当然あるように一兵の末に至るまで思い込んでいた。

 これでは日本兵が好かれる理由は一つもないようだ。米人は比人を「猿」「洋服を着た口をきく
猿」「水牛」と公然といっているのに、彼等の生活に直接触れないし、安物でも色々物を与えるので、
比人はすっかり米人に惚れている形だ。