「知床日誌」 松浦武四郎

幕末の探検家・松浦武四郎の手記によると、アイヌ女性は年頃になるとクナシリに遣られ、
そこで和人達の慰み物になり、人妻は会所で番人達の妾にされたと書かれている。
夫は漁場で酷使され、妻は番屋で慰み女とされ、子供が出来た場合、和人達はそれを突き殺し、押し殺す。

日本へ反発できなくなった大きな理由に人口減少がありますが、その大きな原因は、
女達が日本人の慰み者にされたこと、性病を含む伝染病を移されたこと、
生活基盤を失わされたこと、などがあげられます。

松浦武四郎によると、夫婦は仲を引き裂かれ、男だけクナシリ送りとなり、
そこで昼夜の別なく奴隷労働に使役され、斜里、網走では、女は年頃(16・7)になるとクナシリ
(この当時、現地のアイヌは酷使によって全滅していた)に連行されて、諸国からきている和人に体を弄ばれる。
男も年頃になると連行され、働ける間は遠い土地で酷使され、
故郷に帰ることが許されるころには既に老人となっており子供を残すことができなくなった。

倭人によって妊娠させられた妻は、唐辛子汁を飲ませる等で堕胎させられることにより、
子供を残せない体にされた。さ和人に性病を移されることなども手伝い、クナシリ・メナシ地方のアイヌ人口は激減した。


松浦によると無理やり妾にされた挙げ句に性病をうつされ、顔が崩れて悪臭を放っているアイヌが山にたくさん居たとある。