オーストラリア北東沿岸部のクイーンズランド州最大の港湾都市であるタウンズビルの郊外には、
アメリカ陸軍航空隊の主要な航空基地があり、
1942年7月後半の3夜に、日本海軍飛行艇の空襲をうけた。

7月25日から26日にかけての深夜に、
市街地に3機の日本軍の大型飛行艇による攻撃をうけたが、
3機の航空機から投下された6個の爆弾は海に落ち被害はなかった。
タウンズビルは7月28日の早朝に2度目の攻撃をうけ、
1機の飛行艇から8個の爆弾が投下されたが、
それらは街の郊外の潅木地帯に着弾した。
6機の P-39 エアラコブラはこの日本機を迎撃しようと離陸したが迎撃には失敗した。

タウンズビルへの3度目の空襲は7月29日の夜におきた。
1機の飛行艇が再び街を攻撃して来て、
6個の爆弾は海に落ちたが7個めは街の競馬場トラックコースに損傷を与えた。
この日本機は4機のエアラコブラに迎撃され損傷をうけたが無事帰還した。

4度目の空襲は7月31日、クイーンズランド州最北区で発生した。1機の飛行艇から1個の爆弾が投下され、モスマン(Mossman, Queensland)郊外の一軒家の民家近くで爆発して一人の子供が負傷した