オーストラリア本土は、第二次世界大戦中に日本軍機により少なくとも97回の攻撃をうけた。
最初でかつ最も大規模だったのは1942年2月19日朝の空襲で、
ダーウィンは242機の艦載機に攻撃され、少なくとも243人が死亡し、
甚大な被害が生じ、数百人の人々が住宅を失った。
ポート・ダーウィンはこのために海軍の主要基地としての機能を完全に喪失した。

これらの攻撃に対し、王立オーストラリア空軍(RAAF)、オーストラリア陸軍、
王立オーストラリア海軍、アメリカ陸軍航空軍、アメリカ海軍、英国王立空軍(RAF)、
オーストラリアに逃亡したオランダ王立東インド空軍が反撃を行ったほか、
ブリスベンをはじめとした都市部では防空シェルターの整備が行われた。