1970年代 ボクシング総合スレ 58R
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>>101
むしろ日本でやったら具志堅がノックアウト負けするよ。
フローレスとの二試合を見てみれば解ることだが、
日本でやったら判定では勝てないとフローレスは再戦では
最初からノックアウトを狙ってきてその通りに具志堅をノックアウトした。
カントも日本では判定で勝てないとノックアウト狙いで来るだろうし、
フローレスよりはカントの方が強いしパンチもあるのは明らかなのだから。 >>100
高田なんて幾人の選手にノックアウトされてんのよ
比較対照にもならん >>103
フライ級でノックアウトされてるのと
Jフライでノックアウトされてる打たれ弱さとは雲泥の差だろ。
Jフライでフローレスにノックアウトされてる具志堅が
フライ級で高田をノックアウトしたカントのパンチに耐えられるわけがない。
それにボクシングテクニックはカントが具志堅より数段上だし、
具志堅はカントをとらえることはできない。
一方的にカントにボコられて終わりだろ。 カントがKO狙いの試合をしたことはない。だが大事な試合では必ず
ジェイ・エドソンとホセ・エスカランテを連れてきて判定を拾っていく。
昔は日本開催でも平気でこういう事をされていた。今なら日本開催という
条件なら小熊はカントに3勝0敗、最低でも2勝1敗ないし1分けだろう。 ボクシングの質は大熊より具志堅の方が上、大熊に苦しんだカントならいけるかな?なんても思うが、体格的にナチュラルなJr.フライで、ほとんど減量に苦しまなかってらしいんで、一クラス違うのは想像以上に厚い壁かも。 >>106
小熊と具志堅と比べたらボクシングの巧みさは小熊の方が格段に上だよ。
そもそも具志堅と違って小熊が顔面に目に見える腫れなどの
ダメージを受けたことなどほぼ無い。
ただ、不用意な一発で倒されるという事はあった。
それもフライ級でもパンチ力あるゴンザレスとか
だからな。
触沢にも倒されたけど、あれは完全にラッキーパンチで
小熊が相手を舐めてた結果だし。 >>104
アホか
フローレスに下された時の具志堅を例に出したら、大概の選手が上に見えるわな >>104
アイスクリーム食べられないから負けたってのは半分ねただとしても
モチベーションはさがってたんじゃね?
フローレスなんて全盛期の具志堅なら絶対負ける相手じゃない。 この頃のボクシンググローブが一番いい
今のは四角いスポンジみたいで意味不明 >>110
サミング防止のために従来は独立してた親指部分を無くして一体化したから。 >>108
>>109
具志堅対フローレス2の時の両社の年齢。
↓
具志堅 26歳
フローレス 31歳 >>128
>>111
サミングの他に相手の腕を握って攻撃を妨害する
ホールドという反則の防止にもなったな。 (カントも日本では判定で勝てないとノックアウト狙いで来るだろうし、)
この時点でカントの試合見たことないのがバレバレ。 >>112
若くて全盛の選手、年くってキャリア重ねて全盛になる選手、色々いる。
フローレスと試合した時の具志堅はモチベーションもヘタって下り坂。 もう少し我慢してロイヤル小林も
リカルドカルドナとやればチャンスは
あったな。 ロイヤルにJフェザーは限界だったよ アルゲリョに負けた後はJライトで再起する予定だったと
本人も言ってたからな。 >>120
はあ?お前が自作自演ばかりするからって一緒にすな
アホな事ばかり書いてる>>112なんかと一緒にすんなよ ロイヤルはJライトのほうが自然だわ当時のチャンプはエスカレラかな?無理か WBC75年7月〜エスカレラ WBA〜76年10月までビラフロア→セラノ
無理か。 >>124-125
具志堅をサラテに挑戦させるようなものだぞ。
無理に決まってんだろw ロイヤルの最大の功績は日本のファンに
超一流王者達を見せてくれたことだな 本当に有り難かった 康東均に負けた時点でロイヤルは雑魚露呈したなw
友成光にも負けた。
スパイダー根本にもインチキ判定。
ロイヤルは雑魚。
リアスコが更に雑魚だっただけだよ。 >>114
ちょっとクリンチすると「ホールド、ホールド」という声が観客席から
飛んできてたな ロイヤル小林の豊島とか竹森戦は凄かった。タイプ的にオリバレス、チャコン
あと日本人にタイミングが合わなそうなダニー・ロペスとかに挑戦できれば
勝てるかどうかは知らんがいい試合になったのでは? たしかに。。つでにロペスもみせてほしかったなあ。。w ロペスはフェル・クレメンテにも実質TKO負けだし東洋人は
苦手なのかも知れない。ロイヤルなら1度ダウンを奪うも逆転KO
負けだろうか? 質問です。76年に具志堅と試合したゴメス キーって強かったんでしょうか?
ネットを見ると具志堅戦まで14(12KO)と相当な戦績です。ただBOXRECを見ると
分かっている試合だけでも同じ選手3人と2回やったり、やりにくさは感じるが
力そのものは大した事のないアナセト・バルガスに負けと引き分けです。
新設クラスの層の薄さにより、戦績がすごいので
世界上位(具志堅戦は3位でしたっけ)にランクされるが
実は全く大した事のない、、、Jバンタムの謎の世界1位
ルイス・イバネスみたいな存在だったのでしょうか?
金平陣営が金の卵を危険すぎる相手にぶつけるとも思えませんし、、。
試合前の雰囲気、情報ってどんな感じだったのでしょうか? 質問した者ですが、BOXRECでは分かっている試合が少ないので
あれですが9戦 5(1KO)3 1です。 >>134
以前も同じ質問してなかった?
バルガスやイバネス知ってるなら充分だよw エスパダスが印象に残っている。。
学校から入学を拒否されたほどの悪童だったらしいが、
来日時の所作を見ると紳士的だった。(相手が弱すぎたかもしれないが。。w)
エスパダス・カントからユカテコ、ラバナレスからラカンドン。。メキシコの少数民族の存在を教えてもらった。 エスパダスはメキシコでは”ハポネス”(日本人)
というニックネームで呼ばれてたらしい。
メキシコではあの顔は日本人っぽく見えるらしく、
本人もそう呼ばれるのを気に入ってると言ってた。 グスマン対エスパダス
具志堅戦より迫力ある試合になったかも ファン・グスマンは世界ランカークラスには全敗してるので
実力は相当疑問視される。 >>140
具志堅が、2階級制覇を狙ってエスパダスに挑戦してたら絶対盛り上がっただろうし、いい試合になったと思う。 Zボーイズが激突したのなら同じメキシカンのクエバスvsパロミノ戦はなかったのかな やったらパロミノが勝ったろうね
あの人は48歳ぐらいで復帰して世界ランカーと判定まで行ったし ストレーシーってナポレスの黄昏時を捉えたラッキーボーイで実は雑魚だったのだろうか? >>145
スレチだけど長谷川がウィラポンを破った時もそう思ってました、あんな長期王者になるとは ナポレスはそもそもチャンピオンになった時点で黄昏時だった 黄昏のチャチャイに勝ったアナガタは長期政権を築くとは思えなかった。。 ストレーシーは結構強豪に勝ってるから雑魚のはずがない。ヘッジモン・ルイスや
アーニー・ロペス、ロジャー・メネトレーとか当時の世界ランカー常連だろ。 当日計量時代の日本人オールタイム最強バンタムは村田英二郎じゃね? 今になって考えれば村田もIBFに行ってタイトル取れば
良かったのにな。 >>151
日本IBFからの誘いがあったけど、村田が拒否したんだよ ピントール、チャンドラーと善戦したからジュニアバンタムがあったら世界獲れたな >>151
あの当時のIBFへ行くのはJBCから干されるって事だからな。
組織自体も発足したばかりで中途半端で権威も無かった。
後のトレーナーやコーチとしてボクシング界に関わることを考慮したら
IBFへ行くよりもJBCに残ったままで引退したのは正解だよ。 今後はアメリカで試合をする場合はペチペチパンチにはポイントは
流れないのかね?メイウェザーはいい時期に現役だったな。今日みたいな
採点基準なら5回か6回負けてるだろう。 今と言わず当時でもマイダナ1は明らかに負けてたろ。
引退前の8年間はゴング後の疑惑のノックアウト勝ちを除けば
全て判定での勝利。
その判定勝利の中でもいくつかは疑惑の判定もあったし。 60年代70年代前半頃のフィリピンとタイを代表する強いプロボクサーといえば誰になりますか? フラッシュ・エロルデが一番有名だって、近所のフィリピン人奥さんが言ってた。
子供の頃の、国民的ヒーローだったんだと。 エロルデは日本でも人気があった。
沼田がエロルデに挑戦したときのエロルデは既に峠を過ぎてたのは
誰の目にも明らかだったのだが、
そのエロルデに対しておちょくる様なパフォーマンスをした沼田に
翌日の新聞や週刊誌などで批判が集中した。
チャンピオンになったのに嫌われたのは沼田が最初だろう。
だから初防衛戦で小林にノックアウトされたときは
日本のボクシングファンの殆どが「ザマァ見ろ」というような感じだった。 一瞬、ロマチェンコは史上最高の選手かも?と思ったがデュランよりも
下だな。デュランはミドルでも体格の大きいバークレーに通用したが、もし
ロマチェンコがウェルター級で通用するか?と言われれば絶対に無理だ。しかも
当時より圧倒的に層の薄いウェルターでもだ。パッキャオやメイウェザーは薬物
疑惑がつきまとうので判断に迷うところだ。 >>158
>>159
タイ人はどうですか?ムエタイ上がりの強いボクサーいましたか? アラウンド70’はタイもフィリピンもパッとしなかったな。
メキシコやプエルト・リコとか中南米・カリブが好選手を輩出してた時代。 >>161
タイの怪人センサク・ムアンスリン。
WBCのSライト級王座を1年の間に6回防衛して、WBCの年間最優秀選手に選ばれた。
そもそもアジア人が中量級でタイトルを取ること自体、この時代では驚異。 エロルデ、沼田、小坂
ライト級では体負けしていましたね
その点で石松はデュランにも身体は負けていなかった ロマチェンコは130級に戻ってもジョセフ・ディアスやオスカー・バルデスに
は勝てるだろうがベルチェルトには勝てないんじゃないか? >153
村田英次郎は、バンタム級では大柄で、リーチも長く、日本人離れした体格、スピードもあって
防御も固く、必倒の右カウンターだけでなく、ボディ打ちも巧かった。何よりも見た目に似合わず
物凄くタフでしたね。
ピントールは、岩が迫ってくるような感じの選手で、堅固なブロッキングから多彩な左と重量パンチを
叩き込むタイプで、現代のボクサーが最も苦手なタイプ。あのゴメスを追い詰めたほど、
本当に実力派の強い選手でしたね。
チャンドラーは、今見てもスタイリッシュで、黒人特有の驚異的な身体能力を存分に見せてくれましたね。
多彩なパンチ・豊富なコンビネーション・高度なディフェンス技術と複雑なフェイント、クリンチやホールド
のダーティーテクニックもパナマ人以上でした。ストリートファイト出身だから、度胸もあったし。
とにかく穴がなく、すべてが要素が抜きんでた珍しい選手でしたね。
おそらく今の時代にタイムスリップして来たら、勝てる選手はいないんではないかと。
村田選手は、この二人の選手と同時代だったので、王者にはなれなかったけど、軽量級史上の
伝説的な選手を見ることができたのには本当に感謝ですね。
ちなみにピントールは、村田選手との再戦とゴメスの対戦がほぼ同時期にオファーされたとき
迷わずゴメスとの試合を選択したと、インタビューで述べてました。減量苦だけでなく、村田との
試合は、ゴメスよりも準備期間が必要だったとか。サラテと同レベルの難敵扱いでしたね。 普通に考えてゴメスより村田が強いとは思わんな。当然日本人記者に対する
お世辞だろう 村田は挑戦した相手が一流王者だったから勝てなかったのはしょうがない
では普通の王者なら勝てたのかと問えばそうとも言えない 王者になるのに必要な何かが
不足してたように思う わかりやすく例えるならピーク対決で六車や薬師寺 辰吉には勝てなかったと思う
どこかに線の細さとひ弱さを感じる 自分もそう思う。
落ち目の高田相手だっけ?
引き分けてなかった? 村田は関とのスパーでは全く子供扱いされたと、二郎が、語ってた。ただ、スパーと実戦は違うからとフォロー入れねたけどね。二郎対英次郎も見たかったな。 ピントール本人が一番強かったのは村田だと言ってるけどな。 >>175
それ典型的なボクサーあるある 名ボクサーほど自分が負かした相手を強いという
村田はドローだけど防衛成功だからな。もし村田が勝ってたら絶対村田が強かったとは言わない ハーンズも一番強かった相手はロルダンてコメントしてたし >>176
それならピントールは自分が勝った相手全員を「一番強かった」と
言わなければならないだろ。 >174
また聞きに聞いた話として「関はパンチいっぱつももらわなかったそうですよ。」だったかな。
ワールドボクシング誌での赤井との対談時の記事。渡辺のライバル意識というか、結構失礼な
ことを言っていましたね。
この話の後日談を、関が自身のフェイスブック上に書いてますが、村田との次のスパーで
タイミングをずらしたり、スピードに変化をつけた攻撃で、こっぴどい目に有ったと述べてます。
駆け引きやこういうテクニックで、スピードのある相手や教科書的なボクサーを攻略する方法が
あるんだなと、非常に勉強になったと。
奇しくも関は、ジャッカル丸山のような超変則的なボクサーに、ボクサー人生を短縮させられた
野は、何かの因縁ですね。 ピントールはスピードとテクニック・パンチのある大柄な選手が苦手だったのかも。
番ねに対戦したサーマートはともかく、同じくピントールが最強の難敵と語っていたサラテは、
村田の上位互換のような選手だし。
最もタフと評した村田は、更にやりにくい選手だったかも。
対照的に真っ向から打ち合うタイプには名勝負を演じたり、めっぽう強かったですね。キッド・メサ
やサンチェス戦以降のゴメスとの試合とか。テクニックやスピードがあっても、かなりのタフさが無いと
中盤から終盤にかけて、必ず捕らえて倒していたのも印象的。李承勲やハリケーン・照とか。
ピントールの試合は、ハズレが無いというか熱戦も多かった。 ピントールはコオロギとかいうあだ名で実際似ているが
嫌じゃないのかな? ピントールは如何にもメキシカンというボクサーで
好きだったな 足はあまり使わずどんな相手でも真っ向勝負
村田やテルのいいところも十分出してくれた
まさに風車のようなボクサーだった ホルヘ ルハン はテクニシャンでしたね。
磯上戦でも其の実力を十二分に発揮してた。 WBA世界バンタム級タイトルは
あのハードパンチャー、 アルフォンソ サモラから奪取した物ですから。 サモㇻはペドロサを倒してる。。
でもサラテ、サモㇻのスーパー王者がいたが、プエルトリコのゴメスはそれ以上に強いといわれていた。。 ゴメスが評価されだしたのはサラテ戦以後でしょう。それまでは強いと言っても
まだビックネームとの対戦がなかったし、サラテ戦もサラテ有利みたいな予想が
多かった。 つか、ゴメスがサラテを倒したことでJ・フェザーのステータスが上がった。
それまではマイナー階級としか思われていなかった。 サラテは一時日本ではピンポイントボクサーとして紹介されてたけど
動画見るとそれほど正確なパンチは打ってないな ただパンチが強いので
相手がダメージを受けた時の詰めは鋭い 今日10/22は大場がベルクレックを倒して世界王者になった日ですな
大場は前日に21歳になったばかり アマ経験なしであっという間に世界王者。
真の天才ボクサーというのは大場のようなボクサーことだろう 70年代前半の世界戦は日大講堂が多かったね。何故かな? >>195
具志堅のV5が蔵前国技館だったような
他は友利のサパタ・Uもそうだったかも BoxRec見てきた
日本武道館、V1
蔵前国技館、V6、V8、V10
V5でなくV6でしたな 蔵前は桝席で見たのか ボクシングを観戦するにはあまり向いてないけどね 後に箱根で有名になったけど、山梨学院を知ったのは具志堅のおかげだった。。w >>200
俺もそうだw ほとんどの人が山梨学院大というと箱根駅伝を連想すると思うけど
俺は具志堅がグスマンを倒した試合会場を真っ先に思い出す。ボクオタの面目躍如w ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています