1970年代 ボクシング総合スレ 48R
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どうぞ宜しくお願い致します。ちょっとの雑談はOKだと思います リング上であった王座交代なら記憶に残るのだけど
決定戦だと忘れてしまう 80年代だが、世界戦で12R制を導入間もなく死亡事故が発生した時は草も生えなかったな ここ数年の日本人世界王者なんて、名前を言えないのも何人かいるなぁ
世界チャンピオンなのに職質された人がいたけど、俺もそんな印象だ 昨日レスがあった日本人ボクサーで対戦相手が一流であったボクサー
偏見で採点してみた
対戦ボクサー5人上げて比較 ロイヤル・・アルゲリョ9点 ゴメス9点 ペドロサ9点 リアスコ3点 廉2点 合計32点
石松・・デュラン10点 へスス7点 センサク7点 ブキャナン4点 ロドルフォ4点 合計32点
柴田・・サルディバル7点 エスカレラ7点 マルセル8点 ビラフロア4点 アルレドンド4点 合計30点 ポイントは対戦者の当時の強さ+現在の評価 勝ち負けは別 >>104
小堀さんと佐藤洋太さんですね。
特に佐藤さんはタイトル獲った翌朝で、持っていたチャンピオンベルト見せても「ハイハイ」って流されたんだよね。
悲しすぐる。 >>105
すっごく面白いし、的確だけど、センサクの7点はどうかな?
フェルナンデスなら石松でも勝てたし、石松の現役(センサク挑戦時はタレント始めてた)時なら勝てたと思う。
ハーンズにも良い所無しだった。モンローブルックスに勝ったのは評価できるけどね。 >>105
ビラフロアの4点も低いなあ ドンドと同点はないわ
19歳王者で網膜剥離さえなければセラノを回避すればもっと防衛してたと思うわ センサクとやった時の石松はタレントとしてそれなりの収入もあったから
碌に練習もしないままでの挑戦だったからな。 >>98
双方はタイトルマッチとして合意したのに、WBCの承認が最後まで降りず
ノンタイトルマッチになった、という意味なんじゃないかな? 仮にタイトルマッチとして挙行されても、上原が勝ったと思う? もともと上原が単なる日本ランカーで挑戦資格などなかった。
だから上原があの試合がタイトルマッチだったらな〜、と何度も
妄想した。ボクマガにも普通に書いてあったじゃん >>114
ふーん。俺が見た協栄OB対談では、ハッキリと「あれ本当はタイトルマッチだったのにWBCが認めなかった言うてたで。
>112 さんがいう感じならリミット内だから、剥奪はあったはずじゃんって話よ。 >>105
ブキャナンの4点はねえべ。
デュランは明らかなローブローで勝って、再戦逃げたほど強かったよ。
石松の価値はブキャナン勝利がデカイ。 選手としては最晩年、石松とやった同年に引退してるからなあ 石松と対戦するまでのブキャナンの戦績がすごい。
戦前予想は石松不利だったと記憶している。 ロドルフォもブキャナンも石松に負けてよほど心折れたのかなw
現在の評価としては戦後の実績としてセンサクは防衛を重ね
なにかと伝説化し、ヘススもデュランと統一戦やってるからね
まあ妥当でいいかなと ヘススは引退して麻薬漬け、少年殺人を犯し、末期エイズで恩赦をうけ自宅に戻ったらデュランがいたんだね
あんなツラでよく寅さんみたいなことできたもんだ >>116
ブキャナンの方が再戦を拒んだというのが事実だよ
ブキャナンは頭脳派 結果はローブローで負けたが
若いデュランに底知れぬ強さを感じたと思う
超強気の石松がデュランには絶対勝てないと漏らしたように >>121
デュラン対レナード2は当時まだ試験放送中のNHK^BSで中継された。
その時のゲスト解説が石松さんだった。
その時に石松さんはデュランの事を
「負けたけど、こんな選手と試合ができたということは私の誇りであり自慢です」
というようなことを言ってた。 昔のチャンピオンはホラ吹きばかりだからな
アリの影響大 輪島功一 ! アディク5 ボッシ5 チベリア2 ドノバン2 反町3 ベルチニ4 オリベイラ6 アルバラード7 柳 7 デュラン5 ガソ4 。 >>122
ボクマガの原さんが司会だったな
いつの回か忘れたけど、原さんが選手の体重をキロで紹介した時にガッツさんが一言
「ずいぶん半端な数字なんですねえ」 それ特設ライブ会場まで見に行ったよ。
会場はデュランファンの方がレナードファンより多かった。
解説者が観客にどっちのファンか手を挙げて調べたんだよ。 マイアミの映画館で『Hands of Stone』を観たおれは
そのままパナマに渡り
レイ・アーセルの息子の紹介でエンチョリーヨにあるボクシングジム
を訪れた。
そこに居たのは、ロベルト・ハグラーと名乗る15歳の少年だった。
もちろんリングネームだが、ウェルターの体躯は筋骨隆々としていた。
聞くと、パナマシティでテレンス・クロフォードとスパーをしたら
クロフォードはリングの端に吹っ飛んで失神したそうだ。
おれはTシャツ一枚になり彼のミット打ちに付き合った。
「ジャブが甘いな」とおれが言うと彼はハッとした顔になり
「あなたは何者ですか?」と訊いた。
おれが「堀口元気のモデルだ」と答えると
ロベルトは感激のあまりリングに突っ伏して泣きじゃくった。 >>122
レナードvsデュラン2じゃなく
レナードvsハーンズ2だな だな、BS始まった時だったなレナードvsハーンズ2 見舞いに訪れたデュランにヘススが「君も引退しろ」と告げたらデュランは「俺はまだやる」と答えたそうな
レイランプキン戦でも試合後は「次はモルグだ」と言い放ったデュランだがその後病院へ見舞いに行っている ライト級時代のデュランはビデオ見る限り、試合後の喜びよう
から見て意外にも楽勝みたいな感じの試合はあまりなかった。
ラムキンとかトンプソンとかやっと終わったか〜
ぐらいの感じに見える。 >>128
いや、間違いなくレナードvsデュラン戦2だよ。 生中継なら第2戦ではなくて第3戦では?
過去の名勝負の放送なら第2戦かもしれないが >>135
NHKBSだろ 間違いなくハーンズ2だよ
全然時代が違うぞw デュラン2は1980年
ハーンズ2は1989年 間違いにもほどがあるw 1989年12月7日にNHKBSで
レナード対デュラン3が生中継されてるよ。 >>135
デュラン3と間違えたのか〜
馬鹿すぎるけど納得w この話は終わりでいいな
本人もこれだけ相手にされれば満足だろうw >>138
1989年のレナード対ハーンズはNHKBSではなくまだ無料放送中だったwowowだろ。 >>143
NHKBSっだつーの バカかオメーはw >>144
どう見ても馬鹿なのはいい歳こいてまともな口もきけないお前の方だろ。 >>145
オメーが間違ってるから馬鹿といったわけだがw
レナハン2をWOWOWでやったとか言い張る馬鹿に呆れるよ
いい歳こいてテメーの間違いを正さない オメーみたいのを老害という >>146
さすが60過ぎで新聞拡張員しかできないバカなお前らしい言葉遣いだなww >>146
つか、お前は当時BSなど持ってなかったろw WOWOWの無料放送ではユーバンンクやベン、カマチョやウィテカーを放送してたな、ボクマガの写真でしか見たことなかったから映像観て度肝抜かれた >>148
よく聞いてくれたw 俺はレナハン2見たさにチューナーと
アンテナを買ったんだよ だからその辺は絶対間違いはないのだよ
歳をとると思い違いは多くなるよ でも間違いは素直に認めないと
嫌われちゃうよw >>149
当時のカマチョのニックネームがマッチョだったけど、
ボクシングを見てお前のどこがマッチョなんだよと思ってたら
解説のジョー・小泉も同じことを言ってたw >>150
乞食拡張員のお前に当時で10万以上もしたチューナーやアンテナが
買えるわけないだろってのww
見たとしたらおそらく家電量販店のテレビで見たんだろが、乞食www たしかNHKのBSではマイケル・カルバハルのライトフライ級タイトル戦
も放送してたね (IBF時代)
「米国人で久々のライトフライ級王者か。もし、この時代に具志堅がいたら…」
あれこれ想像したが、金平の下でやっていれば対戦の実現はなかったろうね >>152
チューナーは2万しなかったよ アンテナは工事費入れて13万もしたよ 富士通のロゴ入りでなw 勿論ローンだったよ でも実家ではいまだに現役で頑張ってるぞw
あと他人を乞食とか言うもんじゃないよ >>154
>あと他人を乞食とか言うもんじゃないよ
人の事をバカ呼ばわりしてた乞食拡張員が言える事じゃないだろww WOWOWエキサイトマッチの初回放送は1990年末のナンvsカリーのインド対決とアズマー・ネルソンの防衛戦だったな
いきなりマニアックなカードで本気度が伝わったからよく覚えている 小泉「カマチョはね、新宿2丁目で人気あるんですよ。何しろ名前がね、カマッ・・・」
高柳「わかりました。あとは結構です」 明日は七夕だが35年前に7月7日に7RでKOします スリーセブンですわす と言って
敢然と世界に挑み見事スリーセブンを達成したヒーローがいたな 勝ち負けが逆だったのが惜しかったが。 NHKのBSはガッツと首藤さんとかいうライターがボクシングの司会をやっていたな
あの人は確か長田渚の旦那さんで、ボクシングライセンスを持っているんだよな >>161
首藤は原の後だったかな
当時のNHKBSの放送はESPNからの試合が多かった記憶
90年代にはかなりマニアックな試合も流していた >>160
浪速のロッキーカッコよかったなぁ。
妹のセブンティーンって雑誌にまで特集記事あった。
もうあんなボクサーは出ないだろうな。
大和田戦も7RKO負け。因縁めいたものを感じるね。 >>162
NHK BSでカルバハル、ジュニアジョーンズやジョニータピアを見て、見てはいかんものを見た気がした。 浜田「殴られれば、誰だって痛いんですよ」「ガード、ガード!」
どの試合でも必ず一回は言う、解説の時。 >>153
あの当時はIBF系の相手とは公式試合ができなかったじゃん カーバハルは倒しっぷりは凄まじかったけど、フットワークと手数に欠けるんだよな
具志堅が勝てない相手でもないぞ >>164
よくわかる 同じ軽量級でも日本人ボクサーとはスタイルが全然違ったからね
日本人のそれは野球で言えばバットを短く持ってコツコツ当てていく感じだが
奴らはブンブン振り回してくる 相手も思いっきり豪球を投げ込んでくる感じで
度肝を抜かれたな。 日本人ボクサーは皆、窮屈そうに見えた >>165
最近はなくなったが、以前は全力という漢字を読めなかった
らしく、ぜんちから、とか言ってたな。 大場綜、大場政夫の実弟と養子縁組
アマチュア戦績8勝11敗、2014年東京都ライト級2位
2016年36歳でタイでプロデビュー
現在P.A.Tタイ国インターナショナル王者
SOH OHBA 高柳「ウェイン・マッカラーが額を切りましたよ、ジョーさん」
小泉「額、マッカラーですね」 職場に三十半ばくらいの後輩がいるんだけど大場政夫
知らねーの 呆れてものが言えねーよw
大場政夫知らねー奴が大場を名乗る資格はねー 小泉「(スペイン語で説明後)だから私達は信じてます。ホルヘがタイトルをとるへ!」
リナレス「シッカリー,レンシュウシテエー…」 >>175
知らないのが普通だ
40代後半〜50代なら知らないと不味いが 大橋満雄ね! 勢いに乗ってる時に ノーランカーの中村栄(平石)にko負け。 顎が弱すぎた。 シボレーコルベット、くぐったら当時輸入価750万円
高卒初任給4万円くらい
大場は23歳で杉戸町に両親に戸建て建て買ってあげて
トランザム乗って厳しいトレーニングに励んでた
俺その頃ノンポリ学生だったから麻雀ばかりやってた 大橋満男対ボンバー内田戦は会場で観た、激戦だったよ 浜田「一歩踏み込めば、そのぶん打たれる危険ましますけど、パンチの当たる確率ふえますから」 浜田「ホディ打つことは、えー、必ずしも消極、えー、しょうきょく的な作戦とは言えんのじゃないですか?」 ドネアはまずいですよー
もともと地力がある上にですよ
前評判の高い井上に勝ちさえすれば
PFP10に返り咲く可能性あるんですからね
バンタムの歴代3位うかがってますから
つぎからのファイトマネーがつりあがりますよ
おそらく井上1本に絞って来ますね
あとはやめたっていいんですから
※歴代3はジョフレ、ザラテ、オリバレス
次に、カニザレス、チャンドラー、ピントール、ドネア >>172
そうだロメロ忘れてた!
あとね、カーバハルがベガスの街に立ってても誰も気づかないでショック受けた話見て、
100万ドルファイトしても、アメリカじゃLフライはこんなものかと寂しくなったよ。 >>185
何をわけわからん事をいってるんすか?
ジョフレ
原田
オリバレス
でしょ? >>177
52だけどギリギリ間に合わなかったです >>175は俺が書いたんだけど
肝心なことが抜けてた 三十代半ばの後輩の名前が大場と言うんだよ
そんで当然知ってるだろ?って聞いたら真顔で誰ですか?だと >>193
フェル・クレメンテが歌川善介をKOして東洋フェザー級王座を
奪った試合はテレビで観たっけなあ
たしか昼の放送だった NET(現テレビ朝日)夕方のビックスポーツ枠ですね。
メデル対ロイヤル小林、ベツリオ対小熊のノンタイトル戦もこの番組で放送 >>193
イタリアでやった試合だよな
このカードでも興行が成り立つのがうらやましいわ
日本じゃ絶対に無理だろう >>196
アラブ・スガ対呉英鎬戦は1975年2月23日の同枠で放送
大体出ていた選手は沼田久美、黒沢元三、ロイヤル小林あたりが
記憶に残っている。
ロイヤル対フレディメイスンとか 高山がアラブ・スガを破った日本タイトル戦も覚えている。
高山がデュランに圧殺される直前かな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています