何かえらく若く見られて面映ゆい。文体とか書いている内容から爺いという事くらい
分かりそうなものだが。

中山の思い出と言えば在米中の89年のボストンで活躍を期待しながら全く報道されず、
どの結果にガッカリして若干点が辛くなっているかもしれない。ソウル以降、優勝は
一回で、それもバルセロナの2年以上前に後半ヘロヘロだった東京のみでメダルを期待
するのが酷だったろう。逆に大事な3代表の中山がメダルを取ればメダル独占という
事になりかねず、それは無理だろうというのが大方の予想だった。

因みに事前予想の書いてあった月陸は流石に捨てたが92年10月号の日本チームの大串啓二
監督のコメントが当時の中山の評価を物語っているので載せておこう。
「いやあ、中山はよくがんばりましたよ。何度か練習を見せてもらいましたが、これは
厳しいな、と思っていたんです。それをあそこまでやりましたからね。本当によく入賞
してくれました。」
まあ、これを読んでも大方の玄人筋が中山のメダルは期待せず、3位を争う形で競技場に
戻り、やっぱり4位になってしまったが、期待以上だったから誰も責めなかった事が読み取れる
だろう。

でも懐かしいね。実は92年の6月にバロセロナを訪れ完成間近の競技場を見、モンジェイック
の丘も歩き回った。フニクラには乗らなかったけど意味もなく対岸からゴンドラに乗ったり、
スペイン村でパエリアを食べたり。その後、2回バロセロナを訪れたけど92年の訪問が
一番印象に残っている。(更に言えば89年当時はアトランタに住んで居たので、あの五輪も
懐かしかった)。