バカがうるさいから自治君のレスを再引用。君縄のJPOP垂れ流しの挿入歌演出をミュージカル映画と同一視する馬鹿に対して


『はい全然違います
そもそも本来、画に「音」はない。初期のキネマトグラフには音がなかった
現在の映画も、画が音を発してるのではなく映像と音響別個に収録したものを同時に流して同期させてるだけ
俳優が喋ってた映像に全く別の音声を吹き替えると、俳優が喋ったこととは全く別の内容になる
だから映画における「人の声」というのは細心の注意をはらって劇空間に同期させてある

挿入歌というのはそれを破る手法。擬似的に再現している三次元空間の因果律を壊す手法
映画黎明期はカット割ることさえ違和感を覚える人間が居たという
本来なら「この声はどこの誰が出してるんだ?」と疑問に思うもの
勿論映像リテラシーが高くなった現代人はいちいちそんなところで引っかかったりしないが
それでもやはり通常の劇空間とは表現が異なるため「必然性」求められる(これは新海も言っている)

ミュージカルの場合は、登場人物が発してるという形式を取るので観客は劇空間の延長上の表現と捉える
(それでも通常の芝居空間とうってかわって急に歌って踊りだすのに違和感を覚える人間もいるが)
故に「必然性」の有無を問うことはない。「なんでこの人物は喋ってるんだ?」とは思わないから
頭悪いレスしてないで映像表現の歴史から勉強し直してこようねボウヤ』