安藤 作品全体の評価とは関係なくシーンが独立して評価されるのなら、動画サイトの編集を見るのと何が違うのか……とか色々考えて
しまうんです。

しかし、独自に新しい表現を開拓出来るのかというと、既にある個性的な「型」以上の説得力のあるものは自分には描けません。シナ
リオの流れを損なわず、作品の質に貢献しているアクションというものが第一ではないのかとも思うし。結局、無難な所に落ち着いて
しまう。

――確かにアクションが得意とされているアニメーターの方が参加されていると、初めからその方特有の作画を期待して観てしまうところ
はありますね。

安藤 そういう方々は、実は日常芝居も上手な人が多いんです。むしろ、そちらの方で新しい表現を模索されている場合もあるんですが、
あまり注目されていないように思います。

――日常芝居はちゃんと出来ていても注目されないですが、実は大変難しいということですね。地味な芝居だけを編集したものは動画サイト
でも見かけませんね。

安藤 片渕(須直)さんは、自分と対談した時に『この世界の片隅に』(2016年 、片渕須直監督)に対する「日常芝居ばかりでアニメーターは
解放されないのでは」という意見について、日常芝居でも生理的に気持ちのいい運動を描ける、それが成功すれば解放感を得られると
いう主旨の発言をされていました。それをどう描くのかという点でもまだまだ開拓の余地はあると思っています。もちろん、アクション
についても、もっと作品の方向性と合致した様々な可能性が模索されるべきでしょう。

稲村 日常芝居にしろ、アクションにしろ、開拓の可能性はあるとは思うんですが、同時に表現として袋小路にはまっているんじゃない
かという閉塞感も常に感じていますね。誰かそれを打ち破ってくれないかと期待していますが、自分にそれが出来るかというとこれは
未知数です。

安藤 家事や食事があれば日常芝居と考えるのも安直ですしね。表現の可能性という意味では未だ様々な余地があるのではないかと思うんです。