トーマス・マン「トニオ・グレーゲル」
を典型として、しばしば教養小説では
俗物の父親と理想家の息子の対立が
描かれる。
この構図が「空の境界」では
荒耶宗蓮(非日常)と黒桐幹也(日常)
の対立となる。(中略)
少年(幹也のこと)の前に「神」(第三の人格「両儀式」)は一瞬だけ現れ(終章)消えてしまう。