駅名しりとり 170
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■ルール■
1 日本国内に限る。
2 書き方は、「駅名(よみがな・事業者名・路線名)」が基本です。
3 改称・廃止・予定駅等も可能ですが、その旨を書き込んでください。
4 濁音、半濁音、拗音は、清音へ置き換え可能です。
5 「ん」で終ったら、その前の文字で続けてください。
6 長音で終わった場合は最後の文字の母音又は最後から2番目の文字から続行。
7 ら、る、れ で終わる場合は駅の数が限られているので、最後から2つ目の音を使うか
「あ」からでも継続可能としましょう。
8.同じ駅名は板ルールにより20レスを過ぎてからの使用とし、それ以内で再使用した場合は無効。
[前スレ]
駅名しりとり 169
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/575/1585481917/
[前スレ最終]
1000:石狩沼田(いしかりぬまた:JR留萌本線)
からどうぞ 大泉晃って人は素の人柄は善いらしいがやっぱり凡庸だよね。あくまで回ってきた企画・シナ
リくすだけの人。滝田は成人映画時代の方がたぶん良かった。金子修介も所詮は同じかな?
一倉治雄なども今はどうしているのやら、、『国会へ行こう』の脚本=高野和明は後に
小説家になった「高野和明」と同一人物らしいな。一倉は東映京都制作の『悲しきヒットマン』
っと頑張ってた。当時の東映のロートル中堅ではあのキレはもう出なかっただろう。一倉自身は
東映ヤクザ映画には興味がなかった(アメリカ・フランス辺りのフィルムノワールが好き
だった)人らしいけど、それが良かった。原隆仁なども『べっぴんの町』辺りはちょっと
良かったらしいけど、観てないし、、上がってる映画はみな80〜90年代の作品かな?あか
ただ当時は日本映画の興行絶望期でたまに作品的成功作があっても実際の劇場はほぼガラガラ
だったからなあ、、『会社物語』だって封切時に観た人は殆どいないよ。確か地上波放映はされ
てるからその際に観た
人はいたかな?
当時の日本映画
など地上波放映の際にせいぜい「2時間ドラマ」と同列の感覚で観られるものに過ぎなか
った。制作現場的にもカネもないスカスカの中で撮らないといけなかったし、、たまに「大作」が
あっても大抵は出資スポンサーの前売買取付の「ゆるい」映画だったし、、現場はカネないし、
たまにカネ掛けても「ゆるい」ものしかアガってこないし、たまに佳作があっても劇場は
ガラガラだし、一般人には「日本映画なんて」とバカにされ、80〜90年代の日本映はロクな
もんじゃなかった。その頃の監督の大半が現在は「あの人はいま」状態、今だって「邦高洋低」なんて
上辺だけで日本映画の現場の貧乏・作品のスカスカは何も変わってないね。和泉聖治と滝田洋二郎は、
現代の日本映画界における「若い頃のココロザシ
を捨ててしまった二大巨頭」だな。実際に‘巨頭’になってしまってるし、当人らも自覚して
るんだろうからタチが悪い。末期の野村芳太郎もそうだったし個人的には、塚本晋也なんか
は逆に、「ココロザシにこだわらず、もっとオープンになって、ホラー劇画の映画化とかも
手掛けてみれば良いのに」と思う。「デスノート」など、塚本が監督していたら傑作になったに
違いないとかなってないとか…。 逆に、「ココロザシにこだわらず、もっとオープンになって、ホラー劇画の映画化とかも
手掛けてみれば良いのに」と思う。「デスノート」など、塚本が監督していたら傑作になったに
違いないとかなってないとか…。
大谷って人は素の人柄は善いらしいがやっぱり凡庸だよね。あくまで回ってきた企画・シナ
リくすだけの人。滝田は成人映画時代の方がたぶん良かった。金子修介も所詮は同じかな?
一倉治雄なども今はどうしているのやら、、『国会へ行こう』の脚本=高野和明は後に
小説家になった「高野和明」と同一人物らしいな。一倉は東映京都制作の『悲しきヒットマン』
っと頑張ってた。当時の東映のロートル中堅ではあのキレはもう出なかっただろう。一倉自身は
東映ヤクザ映画には興味がなかった(アメリカ・フランス辺りのフィルムノワールが好き
だった)人らしいけど、それが良かった。原隆仁なども『べっぴんの町』辺りはちょっと
良かったらしいけど、観てないし、、上がってる映画はみな80〜90年代の作品かな?あか
ただ当時は日本映画の興行絶望期でたまに作品的成功作があっても実際の劇場はほぼガラガラ
だったからなあ、、『会社物語』だって封切時に観た人は殆どいないよ。確か地上波放映はされ
てるからその際に観た
人はいたかな?
当時の日本映画
など地上波放映の際にせいぜい「2時間ドラマ」と同列の感覚で観られるものに過ぎなか
った。制作現場的にもカネもないスカスカの中で撮らないといけなかったし、、たまに「大作」が
あっても大抵は出資スポンサーの前売買取付の「ゆるい」映画だったし、、現場はカネないし、
たまにカネ掛けても「ゆるい」ものしかアガってこないし、たまに佳作があっても劇場は
ガラガラだし、一般人には「日本映画なんて」とバカにされ、80〜90年代の日本映はロクな
もんじゃなかった。その頃の監督の大半が現在は「あの人はいま」状態、今だって「邦高洋低」なんて
上辺だけで日本映画の現場の貧乏・作品のスカスカは何も変わってないね。和泉聖治と滝田洋二郎は、
現代の日本映画界における「若い頃のココロザシ
を捨ててしまった二大巨頭」だな。実際に‘巨頭’になってしまってるし、当人らも自覚して
るんだろうからタチが悪い。末期の野村芳太郎もそうだったし個人的には、塚本晋也なんかは 現代の日本映画界における「若い頃のココロザシ
を捨ててしまった二大巨頭」だな。実際に‘巨頭’になってしまってるし、当人らも自覚して
るんだろうからタチが悪い。末期の野村芳太郎もそうだったし個人的には、塚本晋也なんか
逆に、「ココロザシにこだわらず、もっとオープンになって、ホラー劇画の映画化とかも
手掛けてみれば良いのに」と思う。「デスノート」など、塚本が監督していたら傑作になったに
違いないとかなってないとか…。
大谷って人は素の人柄は善いらしいがやっぱり凡庸だよね。あくまで回ってきた企画・シナ
リくすだけの人。滝田は成人映画時代の方がたぶん良かった。金子修介も所詮は同じかな?
一倉治雄なども今はどうしているのやら、、『国会へ行こう』の脚本=高野和明は後に
小説家になった「高野和明」と同一人物らしいな。一倉は東映京都制作の『悲しきヒットマン』
っと頑張ってた。当時の東映のロートル中堅ではあのキレはもう出なかっただろう。一倉自身は
東映ヤクザ映画には興味がなかった(アメリカ・フランス辺りのフィルムノワールが好き
だった)人らしいけど、それが良かった。原隆仁なども『べっぴんの町』辺りはちょっと
良かったらしいけど、観てないし、、上がってる映画はみな80〜90年代の作品かな?あか
ただ当時は日本映画の興行絶望期でたまに作品的成功作があっても実際の劇場はほぼガラガラ
だったからなあ、、『会社物語』だって封切時に観た人は殆どいないよ。確か地上波放映はされ
てるからその際に観た
人はいたかな?
当時の日本映画
など地上波放映の際にせいぜい「2時間ドラマ」と同列の感覚で観られるものに過ぎなか
った。制作現場的にもカネもないスカスカの中で撮らないといけなかったし、、たまに「大作」が
あっても大抵は出資スポンサーの前売買取付の「ゆるい」映画だったし、、現場はカネないし、
たまにカネ掛けても「ゆるい」ものしかアガってこないし、たまに佳作があっても劇場は
ガラガラだし、一般人には「日本映画なんて」とバカにされ、80〜90年代の日本映はロクな
もんじゃなかった。その頃の監督の大半が現在は「あの人はいま」状態、今だって「邦高洋低」なんて
上辺だけで日本映画の現場の貧乏・作品のスカスカは何も変わってないね。和泉聖治はいらない 白銀圭(かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜) 現代の日本映画界における「若い頃のココロザシ
を捨ててしまった二大巨頭」だな。実際に‘巨頭’になってしまってるし、当人らも自覚して
るんだろうからタチが悪い。末期の野村芳太郎もそうだったし個人的には、塚本晋也なんか
逆に、「ココロザシにこだわらず、もっとオープンになって、ホラー劇画の映画化とかも
手掛けてみれば良いのに」と思う。「デスノート」など、塚本が監督していたら傑作になったに
違いないとかなってないとか…。
大谷って人は素の人柄は善いらしいがやっぱり凡庸だよね。あくまで回ってきた企画・シナ
リくすだけの人。滝田は成人映画時代の方がたぶん良かった。金子修介も所詮は同じかな?
一倉治雄なども今はどうしているのやら、、『国会へ行こう』の脚本=高野和明は後に
小説家になった「高野和明」と同一人物らしいな。一倉は東映京都制作の『悲しきヒットマン』
っと頑張ってた。当時の東映のロートル中堅ではあのキレはもう出なかっただろう。一倉自身は
東映ヤクザ映画には興味がなかった(アメリカ・フランス辺りのフィルムノワールが好き
だった)人らしいけど、それが良かった。原隆仁なども『べっぴんの町』辺りはちょっと
良かったらしいけど、観てないし、、上がってる映画はみな80〜90年代の作品かな?あか
ただ当時は日本映画の興行絶望期でたまに作品的成功作があっても実際の劇場はほぼガラガラ
だったからなあ、、『会社物語』だって封切時に観た人は殆どいないよ。確か地上波放映はされ
てるからその際に観た
人はいたかな?
当時の日本映画
など地上波放映の際にせいぜい「2時間ドラマ」と同列の感覚で観られるものに過ぎなか
った。制作現場的にもカネもないスカスカの中で撮らないといけなかったし、、たまに「大作」が
あっても大抵は出資スポンサーの前売買取付の「ゆるい」映画だったし、、現場はカネないし、
たまにカネ掛けても「ゆるい」ものしかアガってこないし、たまに佳作があっても劇場は
ガラガラだし、一般人には「日本映画なんて」とバカにされ、80〜90年代の日本映はロクな
もんじゃなかった。その頃の監督の大半が現在は「あの人はいま」状態、今だって「邦高洋低」なんて
上辺だけで日本映画の現場の貧乏・作品のスカスカは何も変わってないね。和泉聖治はいらない >>662
角館(かくのだて:JR東日本 秋田内陸縦貫鉄道 ) 百田解斗(ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期) 井口朱里(私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!) 西深井沙織(普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています