光州事件とは

韓国軍の指導部が戒厳令を布告したことを受け、1980年5月、民主主義を擁護する抗議運動が韓国全土で広がり始めた。

同国南西部の光州は、デモの中心となった。

治安部隊が暴力でデモに対応を始める中、抗議者の数は数万人に増加した。抗議には多くの一般市民も加わった。

抗議の流れを止めるため、空挺(くうてい)部隊数千人が動員された。5月21日には、全羅南道の道庁に集まった抗議者に軍が発砲した。

投入された軍が、無差別の暴力、拷問、性的暴行、処刑を働いたと疑われている。

5月27日、韓国と北朝鮮の国境間にある非武装地帯を共同統治していた米国の認可を受け、非武装地帯から兵士約2万人が光州奪還のため再配備された。

公式統計は約200人が殺害されたとしているが、生き残った目撃者は公式の数字に異議を唱え、実際に殺された人数はずっと多かっただろうと主張している。

https://www.bbc.com/japanese/46133884
BBC
https://i.imgur.com/KfhkNxe.jpg
1980年、光州で拘束され兵士に囲まれる抗議者