【力道山】花形 敬【安藤組】
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そのまま生きてたらどういう人生になったんだろうな。
50代とかになってもステゴロの喧嘩とかはしたんだろうか。 >>356
大げさだよ(笑)愚連隊なんて
その前も後も日本中にいっぱい
居たんだから。 >>358
どのみち畳の上では死ねなかったろうね
刺殺される前も、日本刀で襲われて逆に刺殺したり、銃撃を受けて大怪我したり、
いつ死んでもおかしくない破天荒な人生を送ってた >>360
喧嘩の中身を知りたいね?利権がらみの抗争(縄張り争いや組織としてのメンツ)なら解るが彼の場合はどうなの?チンピラのイチャモンみたいで気に入る気にいらない、言い掛かりや理不尽でくだらんことでの
ケンカじゃ本筋から外れ、ただの
行き当たりばったりで筋違いの
ケンカばかり、嫌われ者のチンピラ。工藤会の方がマシだよ。 ケンカの原因が中学高校時代も安藤組に入ってからも同じなんだよ。
お前生意気だ、お前気に入らねー
ってだけみたい。 >>363
唯一若い学生時代から花形のこと良く知っていた住吉の故石井会長が
昔雑誌のインタビューか何かの
記事で言ってたんだよ。 あとは用心棒稼業として、だな
渋谷で花形に歯向かってくる不良はほぼいなかったようだがな >>366
だから彼は渋谷の外へは怖くて
ほとんど出なかったんだよ。 >>367
へえ、物知りだね
なんで怖がってたの? >>368
さぁ何でかね?
ホントは気が弱いって
何かに書いてあったんだよ() 神戸の古川さん、ヤクザとしては
優しくて気が弱いからあっち
向いたりこっち向いたりしてるうち可哀相にマシンガンで撃ち殺されたけどな。 20代とか30代前半ならイケイケでもいいけど、
その後が辛そう 要は少しおかしな扱いづらい
性質の人間だったってことだろ? 花形は神経質そうな女みたいな文字を書くとかどうとか >>375
らしいね、丁寧と言うより細かく
チマチマセコセコした人だったとか?机の上や部屋もすごくキレイに
片づけるタイプだな。 ションベンした後ずっとずっと
アソコをフリ続け、ウンコした後も
何度も何度も拭き続ける。 >>379
このスレでそんなこと知ってる奴
いるわけねーだろ。 愚連隊組織だし明確な役職や
序列なんてないんだよ。
みんな俺が俺がって感じだから
No2とか3とかって形としては
ないんじゃない? 一般的なヤクザ組織だと
ナンバー2なら若頭とか理事長だろ?他の本部長だの舎弟頭だの
そんなのもないし、大体盃も
してないとなると親子関係や縦の
関係もはっきりしてないし。 現代なら関東連合やチャイニーズドラゴンと一緒ですね。 安藤組には新宿から一緒の古株達がいて、彼らが一番偉い
渋谷に移ってから加わったメンバーの中では、石井さん花形さんがトップ級だった 偶然歩いたら敬さんのご親族が経営している集合住宅に遭遇しまたよ。
それと行きつけの自転車屋の親父から安藤昇さんが建てたお墓教えて
もらってお参りに行ってきました。 集合住宅のある場所のすぐ近くに実家があったでしょ
あのお墓、花形さんの命日になると、誰かが花を沿えてるんだよな 安藤が今でも生きてたらYouTubeで昔の事を色々と語ってたんだろうか 安藤組でYouTuberやりそうなのって阿部譲二くらいじゃね? 俺がまだ駆け出しの若い頃
復興したてのこれからって時の渋谷でちゃんぽん麺をご馳走になった事忘れないよ 花形氏は健在だとすると90歳超えてるからね
実際に会ったことある人いる? 昭和三十八年九月二十七日午後十一時すぎ、
アパートの手前約三百メートルの道路わきに運転して来た車を駐め、
ドアを開いて降り立った花形は、それに並ぶ形で駐車していたトラックの陰から
現れた二人に、両側からはさまれた。
「花形さんですか」
「そうだ」
その次の瞬間、二人は同時に右と左から、柳葉包丁を花形の脇腹に突き立ててえぐった。
花形はアパートの方へ二百メートルほど走って逃げたが、力尽きて昏倒し、その場で絶命した。
生涯で初めて敵に背中を向けたとき、彼の三十三年の人生は終わったのである。 真実はわかりませんが、真樹氏の著作の中に、「羽田貢」なる人物との決闘の話が出てくるのです。
文中の結果は真樹氏が羽田にパンチ一発で気絶させられるのですが、真樹氏も倒れる瞬間「金的蹴りを決めた感触があった」といっています。
真樹氏が気づいたとき、もうそこには羽田の姿はなく、その後は一度も会うことがなかった。というエピソードです。
この「羽田貢」なる人物が、その風貌、酒癖の悪さ、態度や性格といった記述から「花形敬」さんしかいないであろうと思われるのです。 初めて目の当たりにした花形のパンチの破壊力に改めて石井はドギモをぬかれた。
たまたま、その場に居合わせた国士舘専門部の学生が花形にすり寄ってくる。
「とんでもない野郎だ」
長々と伸びている三人を足蹴にしようとして、
逆に花形に制される。
「もう、いいですよ」
このケンカで花形は国士舘での番長の座を
不動のものとすると
石井と連れ立って銀座、新宿、渋谷など
都心の盛り場を徘徊するようになる。 安藤昇氏が何かの書籍インタビューで「花形は俺の話はよく聞いてくれたし立ててもくれたけど
ヤンチャで強いのはわかってたから怖かったよ」って本音を語ってた 阪神藤村富美男の永久欠番10を貰った花形満
ヤクルトでは背番号3
これ豆な >>418
ステゴロだけじゃ、ヤクザやってられないな。
学生時代のノリでは厳しかったか。 昔に新小岩の常勇組二代目の新田さんにきいたけど
マジで物凄い凄みのある人だったってさ
新田さんがカツアゲされてたってんだからね(笑) >>426
いやもう亡くなってるよ
私も聞いたの20年以上前だよ
当時既に破門されて姐さんと静かに暮らしてたよ >>427
花形氏の肉声を聞いたことある人って、ほとんど皆無だろうね
奥さんは両方健在のようだけど ジュクの帝王、加納貢氏は
晩年安藤さんのように恵まれて
いなかったぶんアウトロー的な
野垂れ死にで最後までそれらしさがあったな 実際に会ってみたかった
目の前にいたら怖いだろうな いまだに語り継がれるとは本物のアウトローだったんだな 日本を憂える右翼のみなさん
角谷林旺ググレ、騙されるなこいつが日本に外人入れとる。コンプライアンスありません犯罪します!!インチキでたらめごまかし不正嫌がらせします!
意見あればいうたれ犯罪やめろとしつけしたれ 1930年生まれで183センチの長身
傷だらけの顔と拳
インパクトあっただろうね 所沢タイソンみたいに、幻想ばっか膨らんでる感じだろ 白いスーツのイメージ強いけど
あの時代に
あの白さを維持できたとは思えん
黄色かったはず いんや黄いばんでたはずだ!
クリーニング屋も整っていないうち
洗剤も発達していなかった
酒好きで酔っ払った時には必ずやらかしてたはずなんだよ! 10着が黄いばむのに5日あれば十分
クリーニングから戻るまでは黄い黄い! 当時の敬さんはロレックスしていて、恰好も小綺麗でお洒落だったよ >>450
今のオレらの白シャツと一緒、一回着たら洗濯出すねん
常時20着以上あったわw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています