【最後の】和久井一朗とその時代 4【極道】
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先月、ある一人の元ヤクザがこの世を去った。
森崎康幸氏である。
現役当時、地元を守る古き良きヤクザらしく生きた森崎氏の葬儀には、カタギ衆が多数訪れていた。
森崎氏はカタギに迷惑をかけないのは当然で、カタギを守るために体を張り、シノギは賭博のみという生粋の任侠人だった。
自身の組である森崎組を大きくしようとすることには興味などなく、若い衆も3人ほどしかいなかったのだ。
しかし現役当時は、誰もが認めるヤクザであった。
そして斯界の超大物と兄弟分でもあったのだ。
その兄弟分とは、十七代目緋川一家の和久井一朗総長である。
森崎氏の葬儀には、和久井総長も訪れていた。
少し微笑んだ顔の森崎氏の遺影は、和久井総長との再会を喜んでいるようでもあった。
和久井総長はその遺影を真っ直ぐに見つめている。
昔のことを思い出しているのであろうか。
2人の出会いは、今から30年以上前になるという。
【続きの購読は無料です】 >>160
薬局やから万年修羅場やねん、
顧客から混ぜ物酷いとクレーム多いんよ。 和久井さんポンやめられないみたいね。みっともない。 取材班は異動で菱番みたいよ。
和久井の記事は価値なしって上が判断したんだって。 十七代目緋川一家が堪え難い悲しみに襲われた。
一家では顧問を務め、薮田組を率いていた薮田政重親分が病いに倒れ、息を引き取ったのである。
葬儀には全国から多数の親分衆が訪れ、それぞれが最後の別れを告げていた。
和久井一朗総長が、真っ直ぐな眼差しで薮田親分の遺影を見つめていたのが何より印象的だった。
和久井総長と薮田親分は、それぞれが渡世入りする前からの付き合いだ。
愚連隊として活動していた両者は敵対関係あり、大きな抗争で鉢合わせたこともある。
薮田親分の背中に残っていた日本刀の切り傷は、和久井総長によるものだ。
和久井総長の腕には残る日本刀の切り傷は、薮田親分によるものだ。
激しい喧嘩をした両者は、後年に再会した際に意気投合し、薮田親分は和久井総長の舎弟になった。
そして薮田親分は薮田組を立ち上げ、渡世を邁進した。
薮田組は300名ほどの組織だが、精鋭ばかりが集まっている。
薮田組の尾山実知雄若頭によると「うちの親分は、若い衆を連れて飲みに行くなどということはなかった」とのことである。
他の組織の親分衆や堅気衆とばかり飲みに行っていたそうだ。
尾山若頭は「嫉妬というか、なんでうちの親分は子分を可愛がってくれないのか」と思っていたそうだ。
しかし、尾山若頭ら子分たちが一人前になって、義理場などに顔を出すようになると、たくさんの親分衆や堅気衆たちが「薮田親分の若い人ですか。薮田親分にはお世話になりました」と言い、かなり良くしてくれたそうだ。
薮田親分は子分たちが渡世で生きやすいよう、至る所に種をまいていたのだ。
尾山若頭は「これほど嬉しかったことはないですね。しつけには厳しい親分でしたが、こういう優しさを知ったとき、涙が出ました」と語っていた。
そんな薮田親分はもうこの世にはいないが、まいた種はあちらこちらで花を咲かせている。
【続きの購読は無料です】 そんな薮田の二代目認めず家屋敷から全部取り上げたみたいだな。
カタギの息子のマンションまで持ってったらしいな。 >>179
薮田残党は二代目和久井会に吸収された。尾山なんか武田にペコペコしてた。変り身早すぎ。 134: 名無番長 2016/01/07(木) 17:32:24.63
京阪電鉄グループのケツ持ちは和久井会なんですか?
136: 名無番長
2016/01/07(木) 17:40:23.55
大昔の会長さんが和久井と小学校のある時期、同級生やった、ちゅう話。それを和久井
が「ワシは京阪グループ仕切っとる!」「ワシの一声で電車もバスも止まる!」言うて若いモンからも失笑されてた。定例会でも「アンタ、そればっかりやな」「(株が)上がりそうやったら教えてなw」皆に笑われてたわ。
139: 名無番長 2016/01/07(木) 21:25:56.32
まあ、実際和久井は宮之阪のスナックで酔いつぶれ交野線とめたことはある。身元引受人が中野会の山下はんやった。
140: 名無番長 2016/01/07(木) 21:50:40.09
>>139
リアル感ある作り話やめろ
141: 名無番長 2016/01/07(木) 22:50:18.13
>>139
交野?笑
142: 名無番長 2016/01/08(金) 01:27:19.83
>>139
和久井いう奴は山下に頭上がらん感じやな…笑 和久井親分、みやもっちをお供に連れてあっちこっちの立ち食い蕎麦屋行くのはええけど、
食うた後に店の新しい割り箸2膳も3膳も持って帰るのは、もう止めた方がええですよ。
店の若い衆とかおばちゃんたちに影で『割り箸コジキ』って呼ばれてますで。
可哀想にみやもっち、菓子折持ってて謝って回ってますわ・・・ 和久井から丸山の当番に入ったヤツ、また飛んだらしいな!笑 和久井の初犯は下着ドロ。ブツは枚方署の道場、床一面に並べられてニュースで放映された 十七代目緋川一家顧問の薮田親分が亡くなられて数日経った。
薮田親分は、晩年は入退院を繰り返しており、緋川一家の定例会には尾山若頭が代理で出席することが多かった。
尾山若頭が初めて総本部での定例会へ行ったのは、一年前の秋だった。
その際、尾山若頭は堂々としていたという。
薮田親分の代理で来ているという気概もあったのだろう。
そんなとき、緋川一家若中で二代目永村組を率いる松川厚志組長が声をかけた。
「ここは身内しかおらん総本部や。気を張ることもないぞ」という言葉だった。
尾山若頭は張り詰めた空気の定例会を想像していたが、まったくそんなことはなかった。
直参たちが和気藹々としている集まりだったのだ。
しばらく、松川組長と尾山若頭は雑談をした。
最後に松川組長は「俺は初めて定例会に来たとき、親分に10本包んで持ってきたんや」という話をした。
つまり、和久井総長に1000万円を上納したそうなのである。
しかし、和久井総長は一度受け取り、すぐさま1000万円を上乗せし、計2000万円を松川組長に渡したのである。
和久井総長は「気持ちは受け取った。そしてこれは永村への見舞金だ。親である永村を大事にな」と松川組長に言った。
永村組の永村初代は体調を崩して引退し、二代目を松川組長に譲ったばかりだったのだ。
松川組長は、和久井総長の器の大きさに感動し、自分の行動が恥ずかしく思えたという。
そんな話をしていたとき、いよいよ大広間に和久井一朗総長が入ってきた。
直参たちは正座し、一斉に挨拶をした。
それは決められた儀式的な挨拶ではなく、尊敬の念から自発的に行った挨拶だと、尾山若頭はすぐに分かった。
そして何と、和久井総長は尾山若頭に向かって「薮田のところの子だな?薮田は元気か?」と声をかけた。
尾山若頭は緊張のあまり「はい!」としか返事ができなかった。
斯界の頂点にいる親分に声をかけられた喜びと共に、緋川一家の一員である誇りを全身で感じた瞬間だった。
【続きの購読は有料です】 色んな意味で「わかってない」のが多いわ、和久井とこは 十七代目緋川一家の頂点に君臨する和久井一朗親分は、誰にも分け隔てなく接する親分である。
それは四次団体、五次団体の末端組員に対しても同じなのだ。
和久井親分の側で仕える部屋住みは、各傘下の若手から選ばれた組員が入る。
その組員はエリート中のエリートかといえば、そうでもないのだ。
当番の直参が自由に選ぶ仕組みとなっており、出来が良い者を選ぶ直参もいれば、出来が悪い者を選ぶ直参もいる。
これについては非常に興味深く、取材をしたことがある。
岡井組の岡井雄大組長は、出来が良い組員を選んだが、これについては「和久井親分に迷惑をかけたくない」という想いからだ。
四代目藤真組の東山優一組長は、あえて出来が悪い組員を選んだが「和久井親分のもとであらゆることを学んでほしかった」という理由からだ。
和久井親分も各々の意図を理解している。
そもそも、和久井親分は身の回りのことは自分自身や姐さんがおこなうので、部屋住みは特に仕事がない。
和久井親分の背中や所作を見て、たくさんのことを学ぶのである。
食事は、和久井親分も含めて、皆が同じものを一緒に食べる。
姐さんがつくる食事で、まさに家族のような時間である。
そんな食事の時間に、アポなしで和久井邸に大物政治家が訪問したことがあったそうだ。
もちろん、和久井親分にとっては部屋住みたちとの時間が大事である。
門前払いしたが、政治家は邸宅の前に運転手付きの車を停め、食事が終わるのを待っていたそうだ。
どうしても和久井親分に頼みたいことがあったのだろう。
それに気づいた部屋住みは、政治家のもとへ行き「こんなところに車を停めたら、近隣の人に迷惑だ」と言い、追い返したそうだ。
元々は出来の悪い部屋住みだったそうだが、和久井親分の生き方に触れるにつれ、人間として成長したのだろう。
緋川一家では、和久井親分の部屋住みを終えた組員は、渡世で堂々と生き、瞬く間に出世するそうである。
【了】 お〜い!取材班!楽しみしてるねんど〜
和久井系右翼についてリクエストしとくな
ま〜取材班が元気やったらええけどな。。。 平成最後の博徒!和久井組長!
マブイスケ抱いとるやろなぁー 喜村組の安室令が直参昇格らしいな。
組織名は和久井の一字をもらって「令和会」だってよ。 和久井の御大には病気も何にもなーい!
皆で歌おうげげのげー 執行部10万、幹部5万、若中3万や
えらい良心的で明朗会計やろ >>225
安いなシノギは各自ちゃんと金になってるのか? 十七代目緋川一家の総本部は、常に開かれている。
近隣の住民が、いつでも相談に来やすいようにである。
もちろん、緋川一家はカタギから相談料など金銭を取るなどしない。
過去には「怪しい業者のセールスがしつこい」といったような相談もあったが、緋川一家がトラブル対応をしているうちに、そのような業者は街から消えた。
それでも、片っ端から電話をかけるオレオレ詐欺集団は緋川一家の近隣と知らず電話をすることもある。
そういった際は緋川一家の若い衆が受け子をおびき寄せ、その上部にいるヤクザの存在を吐かせるのだ。
そしてこれまで詐欺で得た金を、被害者に全額返させる。
その過程で、詐欺集団やヤクザはキツいお灸を据えられるのは言うまでもない。
また時折、緋川一家の近隣で仕事をしたいと挨拶に来る業者もいるという。
「産廃処理の仕事をしたいので、このお金をご挨拶がわりに」と数億円持って来た業者もいたそうだ。
「住民が反対運動をした際は、止めてくださいと、和久井親分にお伝えください」とも依頼して来たという。
総本部の窓口となっていた組員は、緋川一家総本部長で三代目八尋会会長の重松拓海総本部長に相談した。
重松総本部長は「親分に金なんか持って来て、そのうえカタギさんを抑えつけてくれって、そんな失礼な話あるか!」と烈火の如く怒ったという。
当然だが、和久井総長は金で動くような極道ではない。
ましてや、カタギを抑えつけるなど了承するわけがない。
その産廃処理業者の後ろにもヤクザがいることが分かり、重松総本部長は相手事務所まで足を運んで話をしに行った。
普通であれば、緋川一家の総本部長という最高幹部が動くような話ではない。
しかし重松総本部長は、和久井総長の名が低く見られていることが許せなかったのだ。
【続きの購読は無料です】 そんとき重松はたんまり儲けたでなw
もちろん親分には内緒。 >>231
ご無沙汰やな
また、頼むで
元気そうで安心した 相手のヤクザ組織の組長は「産廃処理業者が勝手にしたことで、緋川一家に楯突くつもりは一切ない」の一点張りである。
それで済めばよかったのだが、その組長は「ここまでお越しいただいた足代です」と言い、金を差し出た。
それに対して重松総本部長は怒りを抑え、冷静に「舐めたことをされたら、解散してもらわないといけなくなる」と返事をした。
もちろん、緋川一家全体が動くような案件ではない。
重松総本部長が率いる八尋会も名の通った超武闘派だが、八尋会すら動かそうという気はなかった。
総本部長を任されている責任として、重松総本部長は一人で相手と戦う気だったのだ。
重松総本部長は「ここで解散を決めるか、オレのタマを取るか、どっちにしてもらおうか」と啖呵を切った。
相手の組は40名ほどの所帯で、そのとき事務所には10名ほどいた。
相手組長は「こっちにも背負ってるものがあるんで」と言った。
重松総本部長は間髪入れずに「こっちは緋川の代紋を背負ってる。それに、和久井の名前を舐めたことが、どういうことか分かっているのか?」と返した。
【続きの購読は無料です】 重松総本部長の極道人生は18歳のころからスタートした。
八尋会を率いていた八尋肇会長に憧れ、門を叩いのだ。
根っからの喧嘩好きで、ヤクザになれば自由に喧嘩ができると思っていたのだが、現実はそうではなかった。
八尋会にも様々な規律があり、一般社会よりも断然に厳しいものだった。
それでも武闘派の血が騒ぎ、当時の重松少年は喧嘩に明け暮れていた。
そんなとき、八尋会長が抗争事件の首謀者として逮捕されるという事件が起きた。
この抗争のキッカケは重松少年であり、八尋会長は全く知らないというのが真相である。
しかし当局は、どんどん勢力を伸ばす八尋会に危機感を覚え、八尋会長を拘束したのだ。
八尋会長もジタバタすることなく、それを受け入れた。
結局、長い懲役が確定したのである。
重松少年は責任を感じて途方に暮れていたが、八尋会長は「オレのことは気にするな。ヤクザに懲役は付き物だ」と言った。
八尋会は最高幹部たちがまとめていくことになったが、八尋会長は収監前に、重松少年に対して「お前は、和久井親分のところで面倒を見てもらえ。話はしてある」と指示した。
あまりにも喧嘩ばかりするので、和久井親分に色々と叩き直してもらえという意味であろう。
重松少年は、もちろん和久井親分のことは知っていたが、静かでヤクザらしくない親分というイメージしかなかった。
もちろん、そのヤクザらしさとは重松少年の価値観に過ぎない。
そして和久井親分の近くで修行をするということは、ヤクザにとってとんでもなく名誉だということを、重松少年は知らなかったのである。
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金は億持っているが、なんかねーイマイチなんだよね!俺の人生!子供も二十歳に成るので人生もう一度考えよかな。 和久井親分の生き様を映画化するなら、親分役は渡辺謙さんくらいか。 >>248
チラ見したことあるけど、そんな風貌だったな。 25までキャバレーの呼び込みやってた和久井の兄ちゃんが
ここまでえらなるとはなあ 高山若頭が出所したら六代目より先に和久井の親方へ挨拶へ行くらしいね。
六代目より「そうしてくれ」と言われてるみたいだ。 和久井はん。 横浜のボンクラ山根を、何とかしたってぇな。 今回の急転直下の手打ちについて、和久井の親分が水面下で
動いたことを知る人は少ない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています