戦前、陸軍大学校には毎年50人前後の卒業生がおり、日中戦争の長期化が見込まれるようになった1938年以降の入校生は100名を超えることも普通になった。

それにもかかわらず、朝鮮人の陸軍大学校卒業生は、李垠(大正12年卒)、洪思翊(大正12年卒)、李鍵(昭和13年卒)、李?(昭和16年卒)の4人である。

陸軍大学校には皇族枠があり、陸軍将校となった皇族は実質的に無試験で陸大に入校できた。朝鮮王公族も皇族に準ずる扱いを受けた。李姓の3人の卒業生はいずれも王公族である。

従って、一般朝鮮人で陸大を卒業しているのは洪思翊のみである。

洪思翊は最終的に陸軍中将まで昇進したが、陸軍中枢にいたわけではない。

1946年9月26日、戦犯としてフィリピン・マニラで処刑された。