【新間寿】昭和の新日本プロレス11【大塚直樹】
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86年IWGPはUと抗争真っ只中なのに猪木vs坂口、坂口vs木村、他1試合…
全く入って来なかったね。だったら去年やっとけよ!みたいな。
同じく年末の藤波vs木村も共に前田にも藤原にも勝ってねーのに何やってんだよと… 越中「蝶野!体育館壊したの覚えているか?
試合が終わって、お前の控室行ってイス投げたらおまえ、体育館壊れちゃったよな。
坂口さんが後から電話してきて、『おまえ弁償しろ』って、おれ怒られたよ。
おまえにも責任あるんだからな!
あいつが避けなかったら壁は壊れなかったんすよ。」
蝶野「(越中は)大げさですよね。体育館壊れたって壊れるわけないじゃないですか。壁が壊れるならまだいいけど
(弁償について)そうですよ。みんな壊したら選手が払う。だから人気のあるレスラーは会社がもってくれますよ。
(画面の越中を指さすように)人気のないレスラーは自分で払う」
前田「(笑)」
※「クイズ脳ベルSHOW」より 戦力不足の新日に参戦してくれた越中だったけど応援する気になれなかったわ。
見た目が下品だったせいかも。 >>246
同時期にレガースつけてシュッとしたイメージのがいたから
ハカマ姿がなんか土臭い感じで
小学生だった自分も好きじゃなかった
まあその対比で高田との因縁が盛り上がったり
「ド演歌ファイター」なんてフレーズがハマったりしたんだから良かったんだけどさ 必殺技がケツだしな、そんなの小学生にしかウケないだろうよ(笑) 越中は、参戦した最初のシリーズはハカマじゃなくてショートタイツじゃなかったっけ?
で、せっかく来たけどテレビにも出ずちっとも目立ってなかったような。 >>249
全日時代の赤タイツだった。
85年9月の東体でのルー・テーズがレフェリーでの猪木vs藤波戦の前座で赤タイツで佐野と組んでた。 道着のズボンは本当に“ハカマ”っていうのか?
ブッチャーの場合はステテコ呼ばわりされてたが。 >>250
赤とか黄色のショートタイツだったはず
コスチュームやファイトスタイルよりも
全日若手〜新日初期時代の越中って
上半身が貧弱で首肩胸二の腕の筋肉が薄いんだよ
Jrにしては上背はあったからなおさらそれが目立った >>249
若手との試合でテレビに出たよ。
普通の若手の試合みたいでインパクトは無かった。 >>254
サムライで生中継だったんじゃないの
見てないけど >>251
ブッチャーは全日時代は白だった気がするけど、
新日でも白をはいてた?新日では黒と赤のイメージがある。 >>257
79年くらいから全日でも黒(グレー)を履くようになったよ。 >>257
赤バージョンの頃はパッとしなかった印象… でも赤も似合ってたよね
履き続ければしっくりきたのかも 俺は黒(濃灰?)はなんかくすんで陰気な風であまり好きじゃなかったな
やっぱり白、赤の方がブッチャーの流血しようが本来明るいキャラに合ってた気がする はっきり言って受け身中心の全日さんの練習してきた越中は
うちの試合について行けないと田中ケロが批判したよ
対UWFで受けの強さが生きるわけだ
高田の蹴りを受け切ってケツで反撃 ケロ見るといつも宮本茂思い出す
世界に誇るゲームの神様に申し訳ないが・・・ >>263
当時の新日ファンは全日本を見下してきたから、越中をダシに優越感に浸りたかったのだろうな。
ケロはそんな新日ファンの代表みたいなヤツだったよ。 越中ってインタビューで「北島三郎と春日八郎のどちらが好き?」と聞かれ
「バカやろー俺はビートルズのファンなんだよ」って怒ったらしいな
意外と洋風な趣味人 えっちゅうさん、フンドシでリングに立てばよかったのにね。。w 「うちの試合について行けない」
いま振り返ると噴飯ものだねー マッハ文朱が前田が藤波を流血させた蹴りに対して批判してなかった? >>268
ブッチャー、ローデスをバカにしていたケロを新日ファンの代表にしたくない。 移籍直後の越中は典型的な全日若手って感じ
受け身中心とスパー中心
全日と新日の練習の違いの話が興味深かったんだよね
これはSWS行った大矢も言ってた >>275
> 移籍直後の越中は典型的な全日若手って感じ
メキシコ帰りだからそれほど単純ではないと思う。 ケロは新日愛ゆえに過剰に越中に反応してたんだろう、そのクソ生意気さに
スゴくムカついたけどw でもケロの口上は超一流で試合を大いに盛り上げてくれた
蝶野と三沢の時の「k1プライドよ〜く見てろ プロレスは絶対に負けない」なんて
今聞いても鳥肌立ちまくるもん つまり>>234>>235みたいなものだ
リングアナとしては秀逸だったがファンとしてはクズ
ケロの巡業裏話みたいなのは文才もあって面白かったんだよね
しかしファンを集めるための商品であるレスラーを小馬鹿にするのはイカンだろ 俺は個人的にはリングアナが選手名や肩書、試合形式など以外の
大仰な煽り文句を言うのはなんか安い田舎芝居がかってて好きじゃなかったな アナウンス力は素晴らしかったね
ケロのなんたらって選手の日常を書いた本も面白かった ケロは大阪でハイヒールリンゴとかとラジオやってたな。
けっこう裏話してたわ。
大阪のラジオやテレビで舌禍するタレントやら当時多かった >>283
闘魂プロレス塾→おはようプロレスだな
ハイヒールのリンゴとか、亡き非常階段のミヤコとか出てて、時々馳浩も来てたな
この番組で初めてラッシャー木村のスカイダイバーを聞いたわそういや。菊水丸もケロも「これは木村さんのイメージに合わんでしょ」「会場では流れてないんじゃ?」となったのを覚えてる
>>284
早くなったのと適当になったな
こしなかーしろーおー、だったのが
こしなかーしろ、おー
くらいに名前の方を伸ばさなくなった >>281
わかる
なんかダサかった
でも会場大盛り上がりなんだよね
嫌いではないけどやんなくても良くね?とは思ってた >>268
この頃から新日は全日(ノア)やUWFに見下される側になったのにな。 でもさ倍賞鉄夫がずっとリングアナやってたらケロみたいな盛り上がりが出なかっただろ
ケロはふだんもレスラープッシュアップ500回とかのトレーニングをやってたから
意外と肉体派の努力家だよ >>281
ベースボールマガジン主催のドームのメインの橋本vs蝶野で
「蝶野、蝶野、菜の葉に止れ、蝶野正洋入場」はうざかった。
だったら橋本にも「豚もおだてりゃ木に登る、橋本真也入場」とやってほしかった。 「7時時は来た」じゃゴロが悪いからって1分の間をもたせて
「7時1分時は来た」ってやったときなんて天性の言葉使いのセンスに感心した
調子に乗り過ぎることもあるけど当時の新日本の立役者の一人だよ >>288
ドームでシンに流血させられたり、ベイダーにぶん殴られたり、黒蝶野にフェンスに叩きつけられたりと結構大変な思いしてたね… >>288
倍賞鉄夫の様な醸し出し華がなかったから、口上やり始めたんだろうな。がずっとリング
>>ケロはふだんもレスラープッシュアップ500回とかのトレーニングをやってたから
意外と肉体派の努力家だよ
リングアナが腕立て500回やったから、
選手コールに関係ないし、ただの趣味だろ。
リングアナまで練習アピールして
実に昭和新日らしいww >>291
だよね
リングアナも体作っとかないと大けがする危険あるからね >>292
倍賞鉄夫が華があったとは思えないな実際レスラーからの評判も悪かったし
それと当時の新日は裏方も体を鍛えることが業務命令だった
「営業に来た社員がヒョロヒョロだったらプロレス自体が舐められるだろ」って小鉄が言ってた
趣味じゃなく仕事の一環だったんだよ 当時週プロだったかゴングだったかでケロのプッシュアップバー持った上半身の裸が載ってたけど
胸板が厚くヤングライオンみたいな体つきだった
趣味のレベルじゃなかったよ 華のあるなしと、レスラーの評判云々の話って何が関係するんだ?
>>それと当時の新日は裏方も体を鍛えることが業務命令
スタッフはレスラーか?
片腹痛いわ >倍賞鉄夫が華があったとは思えないな実際レスラーからの評判も悪かったし
っていうか、
あなたは「華」の意味がわからない? >>295
ケロはかなりのナルシストだからあんな
他の団体を見下したような前口上の
セリフを考えるし、「新日本はリングアナ
の肉体も凄い!」と驚かれたい為に筋トレも
行う。
彼は嫌々ながら努力しているのではなく、一連の不遜な行動は楽しくてやっているんだよ。 1987のタッグリーグって坂口、木戸(前年度準優勝)、越中(前年大飛躍)がエントリーされてないんだよね。
ジュニアでは高田だけエントリーだから、相当プッシュされていたと思う。 田中 選手小馬鹿発言、多。
評判悪状態、以前。
茶化言葉、雑誌掲載等。 84年夏頃までのケロのコールは神がかってる
それだけにそれ以降は適当にやってる感が丸出しなのがよくわかるし
前口上やり始めてからは明らかに勘違いしてる 倍賞美津子さんの弟さんというだけで値打ちあったわな、当時は。
離婚してもそこまで仲悪くはないんだなってのもあった。
田中は自分が会場設営のバイトの時に上半身裸見たけど、いい身体してたな。
ミスター高橋はイメージより小さくて別人かと思った、 人の尻馬に乗って同じことを繰り返すのってみっともない… >>297
あのさ猪木や小鉄が倍賞のコールはダメだったと言ってんだよ
レスラーにダメ出しされるリングアナのどこに華があるんだよw >>304
>>>297
>あのさ猪木や小鉄が倍賞のコールはダメだったと言ってんだよ
情報ソースは何?
猪木や小鉄が言ったから華が無い?
さてはケロ本人の書き込みか? >>304
やっぱりいい歳して
「華」が何なのか
わからないようだなww 俺はキャバレー支配人みたいな風貌でかみかみで抑揚がなく、語尾が下がってテンション下がる
「45分1本勝負シングルマッチを行います」と新日と逆に言う全日の原軍司が好きだった。 >>299
坂口はスコットホールが余ってしまったので急遽参加してたね
木戸は日本人が充実してたので外されちゃったのかも…ジョージ高野も参加しなかったね http://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190628-00010001-flash-ent
前田日明
http://amd.c.yimg.jp/amd/20190628-00010001-flash-000-11-view.jpg
伝説のプロレスラー・長州力がついに現役から身を引いた−−。
引退興行がおこなわれた6月26日は、プロレス界にとって歴史的な1日だった。
ともに伝説を作ってきた前田日明(60)に、今だから語れる「長州秘話」を聞いた。
前田の「長州力顔面蹴撃事件」には、伏線があった。
1983年11月3日、蔵前国技館で前田日明対長州力のシングルマッチがおこなわれ、前田は長州のフィニッシュホールド「スコーピオンデスロック」によって、レフェリーストップ負けを喫していた。
「(長州は)ガチッと極めて、俺からギブアップを取りにきた。これはマッチメイク破りだから、カチンときた。俺はこの試合で腰を痛めたんだ」
リベンジの機会は、4年後にやってきた。
1987年11月19日、後楽園ホールでの維新軍対UWFの6人タッグ戦。
木戸修にスコーピオンデスロックを仕掛けていた長州の顔面を、前田は背後から右足で蹴り上げた。
長州の顔は腫れ上がり、リング上には選手が入り乱れ、騒然となった。
「顔への蹴りなんて、よくあるカットプレーのひとつ。俺は(長州の)肩に手をのせて『蹴りますよ』と合図をしてから蹴った。そしたら(長州の)首が動いて、額を狙った蹴りが、顔面に当たったんだ。じっとしてればよかったのに。
あのとき、俺が全力で顔を蹴っていたら、100%死んでるよ。実際には、30、40%の力だった。『ちゃんと合図したのに、バカだなこいつは』って思った。(怪我をしたのは)自業自得。俺のせいじゃない」
前田は、長州との対決を「アングル(リング外を含む抗争)」だと考えていた。
「あのころ、俺たち(UWF)にはマイナス要素がいっぱいあった。新日本の経営が赤字で、立て直すために『UWFはいらない』と言われ、解体・吸収されるんじゃないかという憶測記事も出た。
一方、全日本は、天龍(源一郎)と輪島(大士)の激しい試合(天龍革命)もあって、盛り上がっていた。天龍と輪島ができるのなら、前田と長州だったらもっと面白くなると思った。長州さんは頑丈な人だから、なんとかなるだろうと。 つづき
本気で2人がやり合えば、そこからアングルができると思った。そうでもしないと、業界全体がこっちを向いてくれないから」
UWFの若手レスラーや社員の生活を守るため、新日本に注目を集めるため、前田は過激なプロレスを仕掛けた。
だが、この「顔面蹴撃事件」を重く見たアントニオ猪木は「プロレス道にもとる」と、前田を解雇した。
「現場の人間をも騙すのが、最高のアングルなんだよ。本当に揉めてる、ヤバいっていう緊張感が周囲に伝わって、さらにファンにも伝わっていく。俺にとって最良の師は、猪木さん。
プロレスラーとして言っていいこと、悪いこと、やっていいこと、やらなきゃいけないことというのを、200%、最優秀の弟子として、守っただけ。それ以上でも、それ以下でもない。
猪木さんが、タイガー・ジェット・シンに、自分たちを伊勢丹の前で襲撃させたことがあった。あれは緊張感があったでしょう。俺はそれを目指した。
プロレスってね、自分のアングルに、いかに多くの人を巻き込むかの陣取り合戦なんだ。これをできる人がトップになれる。
俺が自慢できるのは、自分のアングルを人に考えてもらったことは、一度もないこと。自分で考え、自分で仕掛け、緊張感を作ってきた。そのひとつが、長州さんだった」
最後に、長州への贈る言葉を、色紙に書いてもらった。
「いま、一緒に戦ってきたレスラーが、どんどん亡くなってるからね。長州さん、『健康第一』で(笑)」
まえだあきら
1959年1月24日生まれ 大阪府出身 新日本プロレス、UWF、リングスで活躍。
現在は、THE OUTSIDERのプロデューサーを務める 田中アナ、いつからあんな前口上やりだすようになったんだろ。平成入ってから?
80年秋ごろか、アナデビューしたころなんか「どこのガキや。お坊ちゃん顔して・・」って
ガキの俺が思ってたがw、しばらくは普通にコールしてたしギブ待て時代なんか殆ど新日
見てなかったし。。 >>313
八十九年後半以降。
九十年二月 導夢大会、田中 前口上有。
長州組 対 天龍組、試合前、『燃 天龍、燃 長州』
又、九十年春頃以降、試合前選手紹介時、身長 体重、紹介。
後、試合終了後、勝者入場曲流、九十年春頃開始。 >>301
少し前だけど、ボクシングの富樫アナが酷いよな。
例えば内藤大助のコールなんかも、経歴紹介がやたらと長かった
敗戦は世界戦における二敗のみ〜
なんて、負けの内容まで言いやがったwww
最後のコールも名前だけじゃなくて、ニックネーム(サブタイトル)も含めて
国民の期待〜内藤〜大助〜とコールしてたね。
他のボクサーも、浪速の闘犬〜亀田〜興毅〜
ネイチャーボーイ〜小堀〜佑介〜
ベィービーフェイススナイパー〜荒川〜仁人〜
みたいな感じでwww >>310
マッチメイク破りとは?
予定にはなかったのか? >>312
映像見ると分かるが、肩に手をのせて『蹴りますよ』と合図をしてから蹴ったは無理がある。
また、長州は首を動かしていない。
技が完成する前にカットする必要なし。
あそこでカットかするなら、ステップオーバーしてからカットするべき。 >>317
昔っから、前田はこの言い訳をしているね。
映像見たら、嘘丸わかりなのに。 長州と前田がシュートマッチやったら
五輪代表だった長州がフィジカルなら強い
でも黒人のグリーンベレー数人を撃破した前田の
喧嘩度胸も捨てがたい
かなり面白そうだ >>319
> でも黒人のグリーンベレー数人を撃破した前田
これ本当か? 長州はシュート強くないだろ
長州 永田 vs 小川 村上で
長州は小川を固めはしたが
次に動けなかった
これが全てを物語っていると思う 米兵殴ったとか言ってるけど、整備兵かPXの店員でも
殴ったんじゃねぇの?ww >>315
プロレスでもボクシングでも試合前の選手紹介は
「××世界○級チャンピオン」っていう肩書のコールだけで
ちゃんと雰囲気出して盛り上げることできるくらいのアナが権威がある感じがして好きだなあ
ニックネームも選手紹介前の入場の時に簡潔いうくらい
「赤コーナーより“燃える闘魂”アントニオ猪木選手の入場です」とか
「赤コーナーよりWBA世界バンタム級チャンピオン“浪速の闘犬”亀田興毅入場」
みたいなやつがいいや
「時が来た」とかいかにも事前に考えてきました風の長々と大袈裟な前口上は苦手だな >>280
他団体の選手ならまだしも、自分ところに所属してる選手の商品価値を自ら落とすような発言はアホとしか思えんかったな >>321
> 長州は小川を固めはしたが
これができただけでも前田よりは強いだろ。
前田に顔面蹴られた時期なら若いからなおさら。 >>321
そのシーン自体がシュートかどうかはともかく
長州小川じゃ体格も違うし
そもそも長州は全日本王者で韓国五輪代表と言っても
小川は柔道無差別級の世界王者で五輪銀メダリスト
もしシュートやそれに近い状態だったとしたら
「シュート強くない」の根拠にするにはものさしの方がすごすぎだろw プロレスラーとして「モノ」になる条件に格闘技の下地があると有利だが、
前田の空手ってどこまで有効だったんだろうな。。w
アマレスでメダル取ったとか、幕内力士あたりが一番エリートだろうけど、
ガチ(セメント)も身に付き、上下関係の厳しい環境で一定の地位に就いた選手って
やっぱレスラーになってからもコーチ役等で存在感を示すことも多いな。 ふつうは幼少期から始めてる者が多い中
小川って高校から柔道始めたんだよな
それで4年後とかに全日本チャンピオンとかになった
これこそモンスターだな > プロレスでもボクシングでも試合前の選手紹介は
> 「××世界○級チャンピオン」っていう肩書のコールだけで
> ちゃんと雰囲気出して盛り上げることできるくらいのアナが権威がある感じがして好きだなあ
ボクシングはもう無理だよ
海外、特にラスベガスのビッグマッチが世界に中継され、日本でもファンなら
誰でも海外の試合をノーカットで見てるから、とうとう日本でも何年も前から
ラスベガス式の選手紹介・判定アナウンスをするようになってる
このラスベガス式の選手紹介が、挑戦者一人の紹介に1分近くもかけて滔々と
過去の経歴・獲得タイトル・エピソード・ニックネームなどを語るスタイルで
日本もそれにならってる
もうプロレスでテーマ曲なしの入場がありえないように、ボクシングも過去の
紹介スタイルに戻ることはできないだろうね、仕方ない 前田の空手は極真とか糸東流とかのデカい団体でなく
田中ってやつが創設した町道場なんだよな
空手の実力がどこまであったのかは謎だな 俺は新日ヲタだったけど、入場はケロのコールより入場曲がかかってオーッてなるほうが好き >>328
そもそも高校でも柔道はヤル気無かった。
しかし、受験の時の面接で面接官の先生に
「君、いい身体してるね。合格したら柔道部に入らないか?」と言われて
「はい」と言ってしまい、合格してしまったので
仕方無く柔道部に入ったwww 小川はざっと眺めただけで
・柔道を始めて3年で全日本学生選手権優勝
・柔道を始めて4年で世界柔道選手権無差別級で史上最年少金メダル
・さらに次の89年ベオグラード世界柔道選手権大会でも無差別級二連覇。
同大会では最重量の95kg超級でも金メダルで同一世界大会2階級制覇。
(これは世界歴代でも81年の山下、95年のドゥイエ、99年の篠原、01年の
ミハイリンしか達成していない大記録。)しかも全試合一本勝ち。この年、
全日本柔道選手権でも初優勝。以後全日本柔道選手権を5連覇。
・山下泰裕の記録を更新されたくない講道館派閥が占拠する会場でヒールに
され判定で連勝をとめられるも、翌年から再び連覇。連覇複数回は史上ただ一人。
・奥襟を取って崩し・作りのタイミング以前に技を仕掛け続ける、外国人に対応した
国際式柔道を日本で開発した先駆者。
(そのために旧来のスタイルにこだわる講道館関係者から憎まれていた面もある) ・二年に一度開催される世界選手権で金メダル4個は、山下、ドゥイエと並ぶ
世界歴代最多獲得記録。 (ちなみに3個獲得は古賀捻彦、井上康生、
ミハイリンの三人。ヘーシンク、ルスカは2個、吉田秀彦は1個。)
・無差別級世界三連覇は歴代ただ一人の記録。(そもそも70年代以降
無差別級で連覇できた人間は世界で小川しかいない。)
・全日本選手権7回優勝は山下の9回に次ぐ歴代二位。
(ちなみに三位は神永、篠原、井上、鈴木らの3回優勝。 中量級の吉田、古賀は
優勝ゼロ。猪熊功2回、坂口征二1回。木村政彦は全盛期に大会が存在しなかった)
…という、世界の柔道史でも傑出しすぎているとんでもない実績の持ち主だからなあ。
小川のことを「寝技が弱い」なんて言える奴がいたら、そいつは間違いなく世界最強も
いいところのレベル。
ハッスルを始めた頃、小川はPRIDE対策として連日明大で柔道の稽古をしていたが、
全日本を狙っていた大学の現役猛者たちが、小川に寝技でオモチャにされていた。 >>332
プロレスでは橋本を半殺しにし
プライドでは佐竹を圧殺
その後ハッスルでインリン様にフォール負けw
小川最強だよ かつて練習相手だった井上康生も「まるでこっちのエネルギーを吸い取られるみたいな
無尽蔵なスタミナの持ち主で、全く勝てる気がしなかった」と言っていた。
竹園隆浩
「ひたすら突進し技をかけ続ける。相手は丸太で足を殴られ続けているみたいなもので、
ダメージがたまって我慢できなくなったところを、小川は狙いすまして仕留めるんです」
上村春樹
「小川がただ前に出るだけで相手がへばっていく。私たちには考えられなかった、大型
選手が作り出す新しい柔道の時代が来たのかなって思ったよ」
それを可能にしたのは明大時代に与えられた無茶苦茶なハードトレーニング。
寝技の練習をやった後に乱取り二時間、さらに三十人の部員全員から一本を取るまで
真剣勝負、その後全員相手に一分ずつの打ち込み。
肺活量7000ccを身につけてしまった小川は圧倒的なスタミナで先手を取って動き回り、
「重量級選手がやる軽量級の柔道」で相手をボロボロにしても、自分の息が上がることは
まったくなかったという。 >>329
もうボクシングもすっかり「ショー要素」が目障りなくらい前に出してるね。。
以前はストイックさが魅力だったけど。「あしたのジョー」とかああいう世界観w。
亀田あたりが出てきて、テレビもそれに倣った構成で「前振り」企画が長いのな。
で、肝心の試合はしょぼい。。w >>330
あれたまにあるトンデモな「俺が考えた無敵格闘術」みたいなかんじだよなあw
田中自身はいくつかの流派ハシゴして多少心得がある程度で
勝手に自己流の流派名乗って
稽古は街に出てごついやつやいきってるやつに喧嘩売って回るとかっていう
なんだよ、それってやつ
でもあの時代の大阪のおっかない人たち
二郎さんやシーザー武士や赤井みたいな面白話は田中にも前田にも無いんだよなw >>338
まあな渡辺二郎なんてのは生まれついての極道だからなw
前田とか次元が違うのは確かだw >>337
亀田や村田や井岡(井岡は前回は良かったけど)の試合はショボいけど
井上尚弥の試合は凄みがあるぞ!
井上こそ正真正銘のモンスターだよ!
亀田三男がショボい試合をして2回とも判定負けで
勝つ事が出来なかったマクドネル。
そのマクドネルと井上が戦ったら
1Rから圧倒して2回倒して1RTKO勝ち。
これこそ本物を見せてくれた感じだったよ。 >>338
前田日明は、ワルと言っても岡田彰布レベルのワル
前田と岡田は北陽高校の同級生。
岡田のワルのレベルは、野球(それもプロが注目するレベル)と両立しての
ワルだからたかが知れてるだろ?
前田は高校3年時に進路指導の先生に
「岡田は野球があるから進路先が選べるけど、お前はどうするんだ?」と
言われたらしい。 前田はほぼ無名だったんでしょ、シーザーあたりは二つ名で通ってた
みたいだけど。
UWF時代にシーザーの正体を知った前田が、「あの有名な●●さん
なんですか!!」ってビックリしたんだよね(笑) ボクシングやっていて喧嘩は一度も負けたことないという星野勘太郎
これまた喧嘩が飯より好きでヤクザをボコボコにした藤原喜明
柔道やレスリングの一流アスリートやら元関取
そんな癖のある連中を束ねてきた猪木って桁外れに強かったんだろうなと想像する ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています